試行錯誤をしてみたよ

 あれから三日が経った。


 ベルデさんたちの撤収てっしゅう作業は順調だったと聞く。僕は野営の準備が終わったのを見届けてのち、ジ・リズに頼んで変異種の死体をギルドまで運び——大騒ぎになっちゃったけどこれはもう僕のせいじゃないよね、たぶん——そこからカレンと一緒に家へ帰った。


 母さんは僕らを優しいハグで出迎えてくれた。やっぱり心配してくれてたんだな。


 で、ついさっき。

 ベルデさんたちが無事にシデラへ帰還したという連絡をもらって、この件は終わり。


 変異種の買い取り料金とかはまだ決まっていないけど、そっちは査定が終わり次第ギルドの口座に振り込まれるそうだし、金額については母さんがちゃんとチェックしてくれるとのことなので、まあ僕は呑気に構えていよう。


 それにしても銀行口座みたいな仕組みがあるんだなと感心した。これなら森の中でタンス預金をして経済を滞らせるなんてことをせずに済みそうだ。


 ともあれ。

 僕はこの三日間——開墾かいこんとか食事の準備とかの合間を縫って、の作成に勤しんでいた。


 ベルデさんたち一行が野営に際し作っていた『肉を塩と香草で煮る』というなんとも適当な料理、後から聞くとどうもあのやり方は冒険者のデフォルトらしく——だったら、まずはそれを改善したいと思ったのだ。


 その『あるもの』は、日本だとその辺のスーパーで必ず売っているし、自宅で作る人もいる。


 材料は、大雑把にまとめると肉と塩と野菜。


 まずは肉。今回は塩漬け肉、つまりベーコンを使う。

 斑猪まだらいのししという、家畜として王国内で広く飼育されており、最も手に入りやすい豚のものだ。三日前にシデラへ赴いた時、大量に買い込んできた。なお元手もとではギルド支部長のクリシェさんが貸してくれた。変異種の売上から引いておいてくれるそうだ。


 塩は我が家の『食糧庫ストック』からではなく、これもシデラで仕入れたもの。こっち異世界の味で広く再現できなきゃ意味がないからね。家の備蓄、つまりは日本の誇る伯方はかたの塩と比べると若干の雑味があるが、ほのかにハーブのような香りがあり、なかなか良さそうだ。


 そして、野菜。

 これの選定が重要で、かつ、なかなか苦労する。


 絶対に必要なのが澱粉でんぷんだ。これは丸芋まるいもを使うことにした。地球にあるジャガイモによく似た芋で、ジャガイモよりねっとりとしているがくせがなく、主食にしている地域もあるらしい。斑猪のベーコンと同様、広く普及しているのでどこにでも手に入る。


 続いて香味野菜。

 地球において一般に使われているのは、タマネギ、セロリ、ニンジン、ニンニクなど。ミニトマトなんかもあるとなおいい。家にあるものとシデラの倉庫、それから市場も見回ってとにかくそれっぽいものを買い集め、いろんな配合を試しまくる。

 正直、ここが一番苦労した。三日もかかった原因だ。


 地球でもあった野菜、異世界にしかない野菜、あれこれ試行錯誤し、選りすぐった結果、基本の配分はようやく完成。作る人それぞれの工夫でいかようにもアレンジできる部分なので、できるだけシンプルに、オーソドックスにした。


 で、あとは香草。

 パセリやローズマリー、タイム、ルッコラ、そういったやつだ。これも調合に苦労しそうだったけど、王国内の大手商会が作っている市販の乾燥ミックスハーブがあり、家庭料理によく使われているそうなので、そっちをまるっと使わせてもらうことにした。香りは馴染みがあった方がいいに決まってる。


「お前が味見できればいいんだけど、塩っけ多いしタマネギ使ってるからなあ」

「わう……」


 キッチンに立つ僕の足元にじゃれつくショコラは、がっかりしたような鳴き声。地球の犬と違って妖精犬クー・シーはなんでも食べるとは聞いてるんだけど、聞いてはいてもやっぱりまだちょっと怖いんだよね。万が一があったらと思うと。


 ……ただ、僕の『結界』で毒物は吸収されずに済むような気配はあるんだよなあ。


「今のところは念には念を、かな。お前が病気になったりするの、嫌だもん」

「わうっ!」


 さて、ともあれ。

 ベーコン、塩、澱粉質、香味野菜、ハーブ。それらの材料をとにかく刻む。ひたすら刻む。刻むというよりぐちゃぐちゃに潰す。本来はミキサーを使うのだが、あいにく家にはない(というかこの世界にもない)ため、身体強化を使って根気よくひたすらに。


 で、原型がほぼなくなったところでボウルに移し、少しずつ水を足していく。これもミキサーなら最初から水と一緒にぶち込めばいいのだけど、まあ仕方ない。


 なお、水はカレンにお願いしている。


「ん、このくらい?」

「いいね、ありがとう」

 

 魔術で生成した水を計量カップに注ぎ、こっちに差し出してくれる。

 それを受け取って、ボウルに入れつつポテトマッシャーで更にガシガシと。いや家にポテトマッシャーがあって本当に助かった。でも包丁を新調することだし、せっかくだからノビィウームさんにも作ってもらおうっと。


「ね、スイ。どうして水道のお水、使わないの?」

「別にそれでもいいっちゃいいんだけど……街の飲用水とうちの水道水、そもそも違うんだよね。だから魔術で作る水を使った方がいいかなって。そっちは街でも使われてるから、レシピも説明しやすくなるし」

「水に違いがあるの?」

「硬水と軟水、ってわかる?」


 こてんと首を傾げるカレン。

 ただ、僕も正直、こっちの常識に合わせて説明できる自信はない。


「ええと……水って、いろんなものがほんの少しずつ混じってるんだ。中でも、カルシウムとかマグネシウムとか……まあ要するに金属が、ほんの少ーしだけ入ってるんだよね」

「金属? 私たちふだん、金属を飲んでるの?」

「目で見てもわからないくらいのわずかな量だよ。そうだな……お風呂いっぱいに溜めた水を全部沸騰させて蒸発させたら、ほんの少しだけ金属の粉が残る、みたいな。で、その含有量が比較的多めな水を『硬水』、少なめな水を『軟水』っていうんだ」


 カレンは無言で続きを促してくる。どうやら興味深々なようだ。


「硬水と軟水の違いは味、舌触りに現れてくる。そして料理においても傾向があるんだ。出汁だしの抽出とかにね」

「ダシ、ってなに?」


 それは、三日前の冒険者と同じ疑問だった。


「そうなんだよ。こっちの世界には出汁の概念がない。実際は取ってるんだけど、それはソース作りや煮込み料理においてってだけで『出汁を取る』って調理過程を、経験則的にしか意識してない」


 そして。

 この世界の住人——少なくとも王国に住む人々——が、出汁を意識していない理由のひとつに、水がある。


「この大陸で飲料水として使われているのは、基本的に硬水なんだ。ただ一方で、カレンにいま出してもらってるような『魔導水』……水属性の魔術で生成する水には、カルシウムとかマグネシウムとかがほとんど含まれてない。つまり軟水になる」


 一般に、硬水は肉の出汁に、軟水は昆布の出汁に向いているとされる。肉は硬水で煮るとアクがたくさん出てくるし、西洋で昆布を煮ても上手く出汁が取れない。


 これはつまり、硬水を飲料としている文化では——故に『出汁を取る』という調理工程が発展しにくいことを意味していた。


 ただし冒険者たちが森を探索している最中、生活用水は飲用のものも含め、水は魔術でまかなっている。冒険者の間で『魔導水はするっと飲めて美味しい』というのは常識だそうだ。


「我が家の水は、僕が魔術で因果を歪めて、おそらく日本の水道水が再現されてる。だから軟水ではあるんだけど……カレンに魔術で出してもらった水の方が、よりレシピの再現性が高くなるから」


 硬水をベースに組んでおくよりも、軟水——特に魔導水をベースに組んでおく方が『レシピより味が落ちた』なんてことにもなりにくいし、大量生産する際にも向いているかもしれない。


 僕の説明を黙って聞いていたカレンは、しばし考え込んでから応える。


「ごめんなさい、やっぱり全部はわからない。でも、スイが一生懸命なのはいいこと。私は応援する。がんば」

「ありがとう。ごめんね、僕も細かい解説ができなくて」


 ふんすと両拳を握って僕に奮起を促すカレンと、足元で暇そうにあくびを始めたショコラ。お前も応援してよ。でも自分が味わえないやつじゃ仕方ないか……。


 潰して水を入れてまた潰して、とにかくぐちゃぐちゃにして、原型を留めないどろどろの塊になったそれを、次はフライパンで煮詰めていく。

 じっくり弱火で、少しずつ水分を飛ばす作業だ。


 これは本当に時間がかかる。三十分も経つと完全に飽きたショコラはポチと遊ぶために家の外へ行ってしまった。カレンは興味深そうにじっと見ていたが、一時間を過ぎた辺りで僕の頭を撫でたり髪の毛をいじったりといたずらし始めた。火を使ってるんだからやめなさい。いやIHだけど。


 二時間近くが経ち、ほぼ水分の飛んだ固形物になってきた頃、母さんが家に戻ってきた。狩りがてら、近所に変異種が湧いていないか見回りに行ってくれていたのだ。トゥリヘンドを何羽か手に持って、縁側から顔をひょこっと出す。


「頑張ってるわね、スイくん。まだ完成は遠いの?」

「いや、もうちょっと。カレンと一緒に獲物、さばいといてくれる?」

「了解よ」


 と言いつつ、家にあがってくる母さん。


「……それの完成を、見届けたらね。いい匂いがするわあ」

「ご期待のところ申し訳ないんだけど、まだもうちょっと先なんだよね」


 完全に煮詰まって水気も飛んだペーストをヘラで割って砕いていく。もう煮詰めるではなく炒めると形容した方が近い。そうして、バラバラの粉状になったそいつをキッチンペーパーの上に敷いて、


「ひと晩寝かせて、余計な油を出しきったら完成だ」


 ペーパーの上に広がったのは、黄金色をした細かな粒。

 キッチンにはそれを作る過程で生まれた、肉と香味野菜のブレンドされたいい香りが立ち込めている。


 僕にとっては馴染み深く、懐かしい匂いだ。


 異世界にもあるのだろうか? たぶん、似たような調理法はあるだろう。肉を香味野菜やハーブで煮込むだけではあるのだから。


 ただそこから丹念にアクを取り、具材も除いて更にし、澄んだスープとしてきょうするのは——ひょっとしたら、やっていないかもしれない。


 少なくともそれを固形に加工したものは、いま現在、この世界に普及はしていない。だって普及していたら、冒険者たちが使っているはずだから。


「ここ何日か、作っては味見していたものよね? これ、なんなの?」

湿気しっけないように保管すれば二、三ケ月は保つ。お湯に溶かせば美味しいスープになるし、具を入れて煮込むだけでちゃんとした……出汁の効いた料理になる」

「それって……」

「うん。冒険者が遠征する時に持っていけば、塩で茹でただけの味気ない食事から解放される。冒険者じゃない一般家庭でも、手軽に美味しい煮込みが作れるはず」


 それは西洋出汁ブイヨンを更に加工したもの。

 本来は、フランス語で『完成されたもの』を意味する名前の高級スープ。


 現代日本においては、僕が作ったような——調理過程を簡易化しつつ、顆粒やキューブにした即席の『もと』が安価で売られていて、むしろ名を聞けばそっちの方を連想させる。


 お手軽料理で重宝する、万能兵器。

 顆粒かりゅうコンソメである。

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