予期せぬことは突然起きるし

 開墾かいこん作業は、五日という凄まじいスピードで終わった。


 いま我が家の裏手にはサッカー場ほどの広さをした空き地ができており、その光景は圧巻だ。日本人的な感覚だと、原生林を切り拓いてしまったことにちょっと罪悪感もあるのだが——大自然を相手にそれはたぶん傲慢ごうまんというものなんだろう。僕らは生きるために自然と相対しているのであって、自然を守るために生きているんじゃないんだから。


「相対的に水場が近くになったのもよかったな」


 家から歩いて五分ほどの場所にある川は、方角的には裏手側となる。僕らがよく魚を獲りに行っている川だ。牧場(予定地)を作ったことで、その川は『歩いて五分ほど』から『牧場のすぐそば』となった。


 もちろん家の蛇口を上げれば水は出るし庭には井戸だってあるが、気軽に使える水場が増えるというのはそれだけで利便さが向上する。


 なお、ちょいちょい魚を獲ってはいるが、まだ『釣れた』ことはない。せっかく街でちゃんとした竿と釣り針を手に入れたというのに、僕の垂らす糸はうんともすんとも言わず、もっぱらショコラがざぶんと飛び込んでぽんぽんと魚を打ち上げてくれるのに頼りっきりだ。ちくしょう……。


 厩舎——ポチの寝る場所も、めでたく完成した。


 基本的には出入り口を大きく開いた丸太小屋だ。ポチのおおきな身体がゆったりできる広さを誇り、寝床に加えて飼葉を積んでおけるスペースもきちんと確保している。雨漏りもなく通気性もいい。


 出入り口にはシャッターを付けた。細長い板をすのこみたいに連結させて紐で繋いだ原始的なものだ。街で仕入れた既製品のクランクを使って上げ下ろしできるようにしてある。今は上げっぱなしだが寒い日なんかはこれで風を遮断できるはず。


 とにかく大変だったが、父さんが書斎に用意してくれていたDIYの入門本を参考に試行錯誤を重ね、強度と耐久性は僕の魔術で補完した結果——『ちょっとやそっとじゃびくともしない素人建築』という不思議な仕上がりになってしまった。


 でもポチも気に入ってくれたようだし、僕らも満足だ。


 あとは冬になるまでに干し草を敷き詰めてポチの布団にしたい。とはいえ今は春だし、牧草がちゃんと生育すればそれでOKなので心配はいらないだろう。


 なおショコラはポチと一緒にそっちで寝るようになった。僕よりもポチの方が、より手のかかる存在だと思ったみたい。少し寂しいけど、スイはもう大丈夫だよね、って思ってもらえたようで嬉しくもある。


「でも外で寝起きするようになった分、汚れるのが早いんだよね。シャンプーの回数は増やさなきゃ」

「わうっ!?」


 そうそう、裏手だけじゃなくて正門側——解体場もだいぶ整った。


 大工道具のおかげでしっかりした解体台ができたし、ハンガーフックに至ってはユニットそのものが手に入ったのだ。少なくとも獲物をさばく際に置き場や体勢を工夫しなきゃいけない事態はかなり減った。


 欲を言えば井戸が欲しい。それと水周りの整備もしたい。


 母さんとカレンが水の魔術を使えるから、獲物の血を洗い流すのは今のところそれで事足りてはいる。ただ僕がひとりでやろうとすると、畑の横にある井戸へいちいち汲みに行かなければならないのだ。


 それに洗い流した血の処理だ。今は溝を作ってゴミ捨て場——という名の穴——にそのままインしているが、土壌的にも気持ち的にも、あと魔力的にもたぶんよくないと思う。以前、ジ・リズが「浄化だ」みたいなこと言って自分の血を注いでくれたけど、ひょっとしたらあれ、すごく重要なやつだったのでは……?


「井戸を掘って、あとは木で水路を作って、川まで引く……? でもそれだと、川を汚すことにならないかな。おまけに川は反対側にあって遠いし」


 ひとりぶつくさとつぶやいてしまう程度には、目下の問題である。


 庭に腰を下ろして脚を伸ばし、わしゃわしゃとショコラを撫でながら空を見上げる。


「森で暮らすのって、やっぱり細かいところで不便が出てはくるよね」

「わう?」


 母さんとカレンは狩り。ポチは庭の片隅でお昼寝中。

 僕は畑仕事を終えてぼんやりしていた。


「よく晴れてるな。気温も過ごしやすいし。季節が変わったらどうなるんだろ」

「くぅーん。くー……」


 手持ち無沙汰に任せてショコラのもふもふを堪能する。

 喉から頬、それから頭、背中をがしがし掻いた後はひっくり返してお腹をなでなで。はっはっはっ……とショコラが舌を出して力を抜き、気持ちよさそうにする。


 そのまま一緒に寝転がり、更なる追撃。


 カレンもショコラを堕落させるのが上手いけど、僕にだって一日いちじつの長があるのだ。ショコラが四肢をだらりと広げ、目を細めてトロ顔にキマっていく。くくく……逃れられると思うなよ……!


「よーしよしよしよしよしよしよし」

「くうう……きゅー……」


 ショコラがカエルのれき死体がごときありさまと成り果てかけた時、僕の懐がぶるりと震えた。


「ん?」


 スマホのマナーモードによく似た、けれどあれよりも原始的な、遠慮のない振動。通信水晶クリスタルだ。


 ショコラを堕落させるのを中断し、横になったまま取り出す。


 水晶、と呼ばれてはいるが、実際は四角い半透明の板である。輪郭だけを見ればそれこそスマホによく似ている。違うのは後ろまで透けていること、長文の送受信機能がないこと、アドレスの登録先が三つしかないこと。それと、送受信にそこそこのタイムラグがあることだ。


 アドレスの登録数が三つというのはやはり地球と比べるとだいぶ不便で、仕方なく僕はふたつ持ちとなっていた。ひとつは家族用、もうひとつは友人知人用。いま振動しているのは、友人知人用——発信元はノビィウームさん。


 鉄の調達ができたって連絡かな。

 そんなことを思いながら、魔力を込めてメッセージを表示させる。


 その文字列に——僕は、目を見開いた。



『ベルデ 小隊 中層 通信途絶 安否不明』



「……っ!」

 思わず跳ね起きた。


 どういうことだ。文字を何度も確認する。

 推測の余地はあっても、誤読のしようはない。


「ベルデさん……小隊を率いて森に行った? シュナイさんも一緒かもしれない。中層で通信が途絶している。つまり」


 彼らに、なにかが起きたということ。


 通信水晶クリスタルを操作してノビィウームさんに質問を返す。


『日時 人数』


 待つこと数分。その間、家族用の通信水晶クリスタルで母さんとカレンに『急ぎ 帰還』との連絡も送る。先に返答があったのはノビィウームさんの方だった。


『出発 三 人 十六 途絶 昨夜』


 三日前に十六人で出発。

 昨夜から通信に返答がない状態——。


 背中を嫌な汗が伝う。

 

「……落ち着け」


 情報を整理しよう。


 まず、ベルデさんが森の中層部へ行くのは彼の仕事で——いつものこと、のはずだ。比較的大人数の小隊を率いての探索は持ち帰れる資源の量も多いことから成果が大きく、リーダーとして仲間を死なせたことがないのが自慢だと言っていた。


 ただ森の探索は、僕らが家に帰る際に一時中断してもらっている。蜥車せきしゃの行軍が森を騒がせるだろうからだ。その影響と危険性をかんがみて、最低でもひと月は立ち入りを禁止して欲しいと母さんがお願いしたのだ。


 僕らがシデラを出発したのは二十一、二日前か?

 ぎりぎりといえばぎりぎりだが、まだひと月は経っていない。


「ベルデさんが約束を破るとは思えない……だから、なにかのっぴきならない事情があって森に入ったんだ」


 ノビィウームさんに再度の問いを送る。

『森 入った 理由』


 返答——、

『冒険者 新人 規則違反 捜索』


「ああ……」


 僕は思わず、呻き声をあげる。

 きっと、ベルデさんは最後まで迷っただろう。


 規則違反をした新人を助けに行くか、それとも見捨てるか。

 母さんの言いつけを守るか、それとも破るか。


 救助に行くならひとりじゃダメだ。小隊を組まないといけない。

 だけど大人数での救助活動で、ミイラ取りがミイラになる可能性もある。


 だったら自業自得だと見捨てるか? それはきっと最適解ではあるんだろう。冒険者なんて自己責任が服を着て歩いているような職業だろうし、しかも規則破りなんていう身勝手した奴らを、大勢の命を危険に晒してまで助けに行く義理はない。


「っ……それが、できるような人かよ……!」


 きっと迷っただろう。悩んだだろう。

 でも、あの人は、ベルデさんは。


 むかし、父さんに助けられたんだ。

 父さんを付け狙うなんていうんだ——。


「どうしたの、スイくん! なにかあった!?」


 拳を握りしめる僕の背に、帰宅した母さんの慌てた声がかかる。

 足音はふたつ。カレンも一緒に帰ってきてくれたようだ。


 だから僕は大きく深呼吸し、つとめて気を落ち着けると、振り返ってふたりに言った。



「ベルデさんを助けに行きたい。……ジ・リズを呼んでほしい」






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 悲しい展開にはならないのでそこはご安心ください。

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