宿でゆっくり休んだら

 母さんが宿に到着したのを区切りに、お茶会はお開きとなった。


 ベルデさんは普通に母さんも誘おうとしたのだが、他のメンバーが血相を変えて止めた。「酒が入ってる状態で『天鈴てんれいの魔女』さまへ失礼があったらどうする!」とか言って皆さんめちゃくちゃびびってたんだけど……。


 いや うちの かあさん ほんと

 なにしたら こうなる の


 でもって。

 チェックインし部屋に案内された僕は、あまりの豪華さに恐れおののいた。家族用とは聞いていたけどここまででかいの? ここリゾートホテル? みたいな。一泊十万円とかしそうな。


 我が家のリビングの三倍くらいはありそうな部屋、三つ並んだベッド、悠々とくつろげそうなソファーとテーブル、そして天井から吊り下がったシャンデリア。シャンデリアで合ってるのかなこれ……照明装置? もちろん電気ではなく、魔力を込めたら発光する鉱石を使っているそうだ。


 他にもバストイレ完備だし、アメニティーもどっさり置いてるし、テーブルの上にはお菓子も用意されてるし。更にはショコラのため特別に用意してくれたのか、犬用の寝床とトイレまで設置されていた。

 日本にいた頃もこんな豪華なホテルに泊まったことなんかない。


 ただ、そういったあらゆるものすべてがやはり『異世界』って感じで、確かに意匠は豪華に見えるのだが、細かいところの技術面では——魔導の存在を抜きにしても——日本の方が優れているようだ。


 たとえばアメニティー。石鹸が白くなかったり、スポンジじゃなくて軽石だったり、歯ブラシも木の枝の先端を割いて加工したやつだったり。


 あと、お風呂にシャワーがなかったのも、なるほどなーとなった。どうも、お湯を浴槽に溜めることはできても継続的にお湯を出し続けるのが難しいらしい。


 その話を母さんにすると「昔お父さんも同じこと言ってたわ」とのこと。


「シャワーはね、一度味わっちゃうと戻れないのよねえ」

「ん、あれは最高。どんな高級宿も我が家にはかなわない」

「わう……」


 最後のはシャワーという単語を聞いて露骨にテンションを下げたショコラでした。


 ともあれ。

 

 チェックインの後に日が暮れて、部屋に運ばれてきた料理に舌鼓を打つ。

 見た目と盛り付けは優雅で豪華。やはり僕には異世界風——文化も風土も知らないどこかの異国のものに見える。使われている香辛料や調味料も独特で、大いに参考になると同時に、せっかく街に来たんだからこいつらを仕入れて帰ってやるぞという意気が高まった。


「でもやっぱり、スイの作った料理の方が美味しい」

「そうねえ。お母さんも、スイくんの料理の方が好きよ」


 一方でカレンと母さんは相変わらず、僕の料理を褒めてくれる。嬉しいのは嬉しいんだけど、こっちも充分美味しいと思うんだけどなあ。


 なので、問う。


「それって食材の差があったりしない?」

「確かに、シデラの料理は『うろの森』の恵みをふんだんに使っているのが売りではあるわ。ここも高級な宿だけあってもちろん——肉や野草を使ってる、ってうたってるはずよ」

「だよね」


 母さんの婉曲えんきょく的な言葉に、僕は頷いた。


「僕らが普段食べているのは、だから。そもそも使ってるものが違うんだから、美味しさも違ってくるよ」


 竜族ドラゴンのジ・リズに及ばずとも、この世界の人間には、肉や野菜に内包された魔力を味覚で受容する能力が少なからずある。つまり『虚の森』は奥に行けば行くほど美味しい素材が転がっているのだ。


 だがカレンが、鳥のソテーを切り分けながら言う。


「ん、でも、それだけじゃない」

「ええ、そうね。やっぱり違うのよね」


 そして母さんまでがそれに追従した。


「スイくんが作る料理の味付けは、なんというか……深いのよね」

「深い?」

「ええ、上手い表現が見付からないのだけど」


 抽象的で正直、よくわからない。

 が、抽象的な分、お世辞や身内贔屓びいきで褒めてくれてるとかではないっぽい。


 カレンを見遣ると母さんと似たような顔をしている。同意見らしい。まあカレンは説明が下手だから意見を求めてもたぶん参考にはならないと思うけど。


「スイ、なにか失礼なことを考えてる?」

「いやまさか。ショコラはどうだ? 肉、美味しい?」

「はぐっ。わう」

「そっか、それなりか。まあお前のは味付けとかないもんな」

「むー。ごまかした」


 むくれるカレンを尻目に、僕は皿に残っていた根菜を口に入れる。

 うん、鳥肉の味とソースが染みていて美味しい。特に不満は感じない……と思う。


 というか、単にふたりが日本風の食事、つまり醤油やみりんベースの味付けに慣れただけなんじゃないかという気がしてきた。煮物なんかは特に、異世界にはない料理だと思うし。


 ——まあ、褒めてくれるのに悪い気はしないんだけど。


「ごちそうさまでした。僕としては目新しくてよかったな。少し懐かしい感じもした。たぶん、子供の頃に食べてた記憶がぼんやりとあるんだと思う」

「スイくんはあまり好き嫌いしない子だったのよね。反対にカレンはもう、あれはイヤこれはイヤって、選り好みが激しくてね。苦労したわ」


「それは昔の話。今はもう好き嫌いはない」

「あら? じゃあ明日は、赤セロリのスープを出してもらおうかしら?」

「…………ヴィオレさま。赤セロリは食べ物じゃない。あれはただの変なにおいのする草」


 唇を尖らせながらそっぽを向くカレン。なるほど、このはセロリが嫌いなのか——赤セロリっていうのが僕の知ってるセロリと同じかどうかはわからないけど。


 ひとしきり笑い合ったのち、母さんがナイフを置いて僕らへ告げた。


「そうそう、ふたりとも。明日のことだけど、お母さんはちょっといろんな人たちと小難しい話をしなきゃいけないのよ」

「ん、研究局との打ち合わせ? 私は行かなくていいの?」

「ええ、カレンは大丈夫。そもそも特別顧問なんて役職、あなたを組織の内側に入れる名目みたいなもんだったし。あれこれ面倒くさいしがらみは全部私に任せなさい」


「僕らがこっちに戻ってきた時のために動いてくれてたんだよね。ありがとう。いろんな人が関わってるんでしょ? 僕からもお礼を伝えておいてほしいな……それで、母さんが留守の間、こっちはなにをすればいい?」

「頼んでいた支援物資を集めている倉庫があるの。そこに行って、スイくんたちが必要だと思うものを選んでくれる? 数も量も無制限に、好きなだけね」


「え、いいのそれ……」

「せっかく手配したんだから、むしろちゃんと選んでくれなきゃ悲しいわ。選ばなかったものも捨てるわけじゃないし、別のところで有効活用することになってるから大丈夫。だから本当に気にしなくていいの。むしろ必要なものが倉庫になかった場合はちゃんと言ってね。改めて手配するから」

「……そっか、ありがとう。じゃあ遠慮なく見させてもらうよ」


 果たしてどんな物資がどれだけの量、倉庫に積まれているのかはわからない。でも、すべて母さんが私費で購入したものだよね。それを好きなだけもらって帰る——おんぶにだっこみたいでちょっと情けないなと思う自分が、やっぱりいる。


 ひとり立ちしたいとかではない。これからもずっと家族みんなで暮らしていきたいという気持ちは変わらない。


 ただ、片隅で少しだけ思うのだ。

 僕はこの世界で、僕自身の力でなにかできるのか、なにができるのかを知りたい。

 なにもできない——ただ親の世話になる子供のままでいるのはイヤだな、って。


「カレンもちゃんと必要なものがあったら選んでおくのよ。もちろんショコラも」

「ん」

「わう!」


 だけどまあ、楽しみなのは楽しみなんだよね。


 あの家で不足していたものはたくさんある。あったらいいのにと思っていたものをリストにしてスマホに保存しているほどには。

 それにきっと異世界の食材——見たことのないものなんかも用意されているだろうから。





———————————————————

 後々に機会があれば作中でも説明シーンが入りますが、貨幣価値について。

 単位は『ニブ』で、1ニブ=10円くらいの感覚です。

 もちろん物流などの関係ですべてがすべて現代日本と同じなわけではありませんが、目安として。

 なお前話でリラが話していますが、いまスイくんたちが泊まっている宿は一泊3万ニブです。うわあ。

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