その2『父さんの足跡、僕の第一歩』

まさかのご近所さん

このドラゴンしゃべったんだけど

 ハタノ家の食事は僕がいつも担当していて、これは母さんもカレンも料理はからっきしだからである。


 じゃあ僕が幼い頃はどうしていたのかというと、近くに町があったのでそっちに食べに行ったりありものを買ってきて冷蔵庫に保存したり、あとは簡単にできるものは頑張って作ったりでどうにかこうにか回していたようだ。僕は異世界こっちの料理がどんなだったかをはっきり覚えていない。ただ、母さんが魔術を使って料理しようとしてキッチンカウンターに傷を付けたのだけは強く覚えている。


 なお、そのことを話すと母さんは曖昧な笑みを浮かべてから逃げた。


 ——ともあれ、だ。


「このおひたし、美味しいわねえ」

「ん、香りがいい。あと、甘い」

「うん、おひたしにして正解だった」

「スイくんが作る料理はどれも本当にすごいわ。いつもありがとう」

「ヴィオレさま、スイのこの技術は国に見付からないようにしないと。宮廷料理人として召し抱えるとか言われたら大変」

「大丈夫、あいつが私にそんなふざけたこと言うわけないわ」

「……なんだか剣呑けんのんなんだよなあ」


 褒めてくれるのは嬉しいが、こっちで母さんとカレンがどんなふうに過ごしてきたのかが言葉の端々から垣間見えて、すごく気になる。国王ってふつう、めちゃくちゃ偉くて平伏しないといけないやつなんじゃないの……?


 まあ今は誰も来ない森の中だし、いっか。


「おひたしが合うし上手くできたからいいんだけど、相変わらず謎の野草なんだよなこれ……」

「『うろの森』の生態系はわかっていないことの方が多くて、自生する植物も名前自体が付けられてなかったりするのよね。でもたぶん、ほうれん草の近縁種だと思うわ」

「え、ほうれん草あるの、こっちの世界」

「あるわよ?」

「まじか……いま畑に植えてるのに」

「だいじょぶ、あっちの世界の野菜は品種改良でこっちよりも遥かに洗練されてる。だからスイの育てるのの方が絶対に美味しい」

「あー、なるほど」


 とすると、特に種とかは無闇に外に持ち出さない方がよさそうだ。


 ちなみに外の倉庫にあった野菜の種にも『食糧庫ストック』の魔術は有効で、収穫に気をつかわなくていい。ほうれん草などは雌雄異体なので、雄株と雌株をそれぞれとうが立つまで育てて……となかなか面倒みたいだから、種が減らないのはありがたかった。


「でも、こっちの食材も美味しいやつが多いけどなあ。今日のメインディッシュの肉とか」

「ん……つのボアは森の外にも生息してるけど、脂の香りも肉質も、ここまでじゃない。たぶん『虚の森』だから」

「はぐ……わうっ!」

「うん、ショコラが仕留めてくれたもんな、えらいぞ……でも食べるか鳴くかどっちかにしような」

「はぐっ」

「食べる方にしたかあ。……まあ、お肉ってなにを食べて育ったかが大きいよね。この森はそれだけ豊かってことか。それにしても、生姜しょうが持ってきてくれてありがとう母さん」


「よかったわ。香辛料はきっと足りてないと思ったから」

「猪……豚肉といえば生姜焼きだからさ。角煮は時間がかかるから夜になるけど」

「そっちも楽しみだわ」

「圧力鍋があって本当によかったよ。ただ八角ハッカクに似たやつがなかったから、ちょっと不満なんだよなあ。やっぱり一度、街には行ってみたいかな」


 異世界ならではの野菜とか果物がきっとある。

 甘味かんみも相変わらず不足してるんだよね。問題は果物と乳製品だ。いっそ家の裏手を広めに切り拓こうか。一画をちょっとした果樹園にして、あとは牛……はさすがに無理としても、山羊とか飼いたい。


 そんなことを考えていると、生姜焼きとおひたしを完食した母さんが箸を置く。


「ごちそうさまでした、スイくん。美味しかったわ、ありがとう。……街だけど、こっちの生活も落ち着いてきたことだし、そろそろ行ってみましょうか?」

「おそまつさまでした。え、いいの?」

通信水晶クリスタルで連絡はしてあるんだけど、さすがにそろそろ顔を出して報告しないといけないかなって。頼んでいる支援物資も到着しているはずだし」

「え、なにそれ……」


 聞けば母さんは、僕らの転移に備えて国営の組織にいろんな準備をさせていたらしく、森の南端にあるシデラという村(と呼ばれてはいるが規模はちょっとした街らしい)に、かなりの量の支援物資を運び込んでもらっているそうだ。


「それ、いいの? 迷惑かけてない?」

「大丈夫よ、物資の料金も倉庫の場所代も関わった人たちのお給料もなにもかも、全部お母さんの私費だから」

「ええ……」

「スイ、ヴィオレさまは世界有数の魔導士。お金なんて腐るほどある」

「まじかよ……」


 でも母さんに全部をまかなってもらうのは申し訳ないというか、このままだとただ養われてるだけなのではという気がする。それに、せっかくだから自分でもお金を稼いでみたい。


 ……と言おうとしたのだが、母さんがあまりにも得意気な、それでいて嬉しそうな顔をしているので今はやめておこう。


 そうこうしているうちに僕もカレンもショコラも食事を終えたので、みんなでごちそうさまをして片付けに入る。母さんは意気揚々と皿洗いを買って出た。そんなにも『母親らしいことができるのが嬉しくてたまらない』って態度だと、こっちの方が照れてしまう。


「ねえカレン。確か、街まで行くのってけっこうかかるんだよね」

「ん、行きは私たちだけなら五日くらいでだいじょぶ。不眠不休なら三日で済むけどそんなに急いでも仕方ない。ただ帰りは物資があるし……ヴィオレさまー、蜥車せきしゃは手に入るの?」

蜥車せきしゃー? 用意してもらってるわ。甲亜竜タラスクが調達できたって連絡が、昨日来てたし」


 洗い物を続けながら答える母さん。


「その蜥車せきしゃっていうの、森の中は大丈夫なの?」

「場所によってはちょっと厳しいわねえ。樹を伐採しながらになるかも。それでもみんなでやれば、街道と変わらないあしでいけると思うわ」


 魔物が襲って来ても——それが変異種であっても、たぶん僕らなら退治は容易だろう。僕らというか、特に母さんがだけど。


「ん、街道と同じなら、五日くらいで済むかも」

「要するに森の中だからどうしても脚は遅くなる、と」

「そういうこと」


 だったら本当に森を切り開いて街道を整備すればいいのではと一瞬思ったが、できるのならここは前人未到の魔境だなんて呼ばれていないのだろう。素人の浅知恵だ。


「行くとして、家を長期間留守にするのだけがちょっと不安だなあ」

「だいじょぶ、今のスイなら、遠隔からでも結界は作動するはず」

「いや確かにそうなんだけどね。遠くにいても全然できる気がするし。それでも、なんというか気分の問題で……」


 どんな環境でもなんとなく不安になっちゃうもんなんだ、長期間の留守ってのは。


「本当に心配ならお母さんだけで行ってきてもいいけど……スイくんも一度、街を見てみたいわよね」

「それはそうなんだよねえ」


 皿洗いを終えて戻ってきた母さんも加え、三人と一匹で食後の団欒だんらんに入る。話題の中心はいつ街に行くか。二、三日のうちには出発することにはなりそうだ。行きに五日かかるとして、準備ってどんな感じになるのかな——。


 などと考えていると、


「わう! わんわん!」


 丸まっていたショコラが急にぴょんと立ち、縁側——庭先へ向かって吠え始めた。


「どうした?」

「……もしかして、変異種がまた攻めてきた?」

「いや」


 この吠え方は、危険が迫っているというのとは少し違う。

 警告や威嚇いかくではない。


 向こう日本でも似たような吠え方をすることがあった。父さんの会社の人とかご近所さんが玄関先に立ってチャイムを鳴らす寸前に、それを察知して。


「『なんか来たよ』ってただ報せるような……でも、この家にお客?」

「わうっ!」


 怪訝に思いながら、掃き出し窓を開ける。そのまま軒先に置いてあった靴を履き、庭に出ると。


「え」


 ——は、空からやってきた。


 まずは上空に、翼を広げたままゆっくりと滑空するその姿が見えた。

 そこからすうと、音らしい音もなく、どんどんこっちへ向かって、つまりアップになっていく。


 おおきい。目算で——いや何メートルだ? 見当もつかない。


 爬虫類はちゅうるいっぽくはありながら、ワニにもヘビにもトカゲにもちっとも似ていない、どこか荘厳そうごんさの漂う顔。頭部にある角は鋭く、それでいて美しい。

 全身を覆う鱗は光を反射して、部位によって青にも白にも緑にも見える。


 背中の翼は勇壮に大きく広げられ、どこか戦闘機めいた機能美を彷彿ほうふつとさせた。けれど物理法則に従って飛んでいるとはとても思えない。太い胴体からは隆々とした尾が伸び、獣のような四肢が生え、空を舞うに任せてだらりと垂れ下がっている。


 は我が家の上空でわずかに翼をはためかせつつ静止すると、そのまま真っ直ぐ、V直離T着陸OLみたいに庭へと降り立った。


 ぶわ、と風が舞う。

 ただし巨体——庭の四分のいちほどを占拠するほどの全長に反して、至極ささやかな。


 結界は作動しない。つまり短期的未来において、は僕らに、僕らの家に、危害をまったく加えないということ。


 僕は恐怖よりも驚きよりも、その美しさにぞくりと肌が粟立あわだった。

 顔、身体、翼、四肢、そして穏やかな知性をたたえた双眸そうぼう


 確かにこれに比べれば初日に出くわしたワイバーンなんて、でかくて羽が生えただけの蜥蜴とかげだ。


竜族ドラゴン……」


 夢を見ているような心地でつぶやいた僕に、その竜は言った。

 僕らと同じ言葉を、しゃべった。


「急にすまん。天鈴てんれい殿の魔導を感じたもんで、気になって来ちまった。あ、庭に降りたのまずかったか?」

「いや意外にフレンドリー」







———————————————————

 第二部の始まりになります!

 第二部ではスイたち家族と周囲の人々(いきなり人ではないやつが出た)との関わりなどを描いていく予定です。だが森の奥深くで暮らす世界最強アンタッチャブル家族はマイペースにく。

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