家族の話が、ここから始まる

 ——父さんのメッセージビデオを見てから、一週間が経った。



 僕ら波多野はたの家は『うろの森』の深奥しんおう部、世界有数の危険地帯にあって、なのにめちゃくちゃ平和に暮らしている。

 

 生活はけっこう便利になった。

 母さんはあの日、着替えを始めとした様々な物資を背嚢リュックいっぱいに詰めて持ってきてくれた。足りないものは依然としてあるしそのうち街へと補給に行かないとねと話してはいるが、少なくとも喫緊きっきんで頭を抱えることはなさそうだ。


 庭先——本当は石垣の外だけどもう実質的にうちの敷地だから庭先でいいや——の解体場も、八割は完成したといったところ。母さんが持ってきてくれた工具のお陰で作業台も完成したし、周囲の整地も終わった。あとは滑車があればハンガーフックができて、それで十割だ。「さすがに滑車は思い付かなかったわ」とは母さんの弁。そりゃそうだ。父さんも思い付いてなかったしね。


 それと、この一週間で起きたことといえば——。


 ビデオを見てから二日後くらいに、カレンから改まってかれた。

 食事の後片付けをふたりでしている時だ。


「スイ。スイは……このままこっちで暮らすことに、問題はない?」

「え、どういうこと?」


 カレンの怖ず怖ずとした態度は珍しかった。いつもは淡々と、飄々ひょうひょうとしているのに。


「あっちの世界で、スイは学舎まなびやに通ってた、よね?」

「うん、卒業した後だったけど」

「大学に行く予定だった、よね」

「そうだね、一応」


「その……スイは向こうで、十三年、生活してた。友達とかもいたと思う。それに、もしかしたら、その……好きな人とかは、いたの?」


 そこまで聞いて、カレンが躊躇ためらっていたことの意味に気付く。

 加えて——彼女の優しさと気遣い。それに母さんがソファーに座ったまま聞き耳をたてていることも。


 だから僕はまずは皿洗いを終え、カレンを促して母さんのところへ戻り、三人でソファーに腰掛ける。

 僕は、かつて父さんの定位置だったL字の短い部分に座った。


「あっちに心残りがない訳じゃないよ。住んでいた家のこととか、父さんの遺産が入った貯金通帳のこととか、いろいろお世話になったお隣の樋口ひぐちさんのこととか。ゲームに本に音楽、娯楽の大半がもう手に入らないこととか。父さんはああ言ったけど、やっぱりお骨が気にならないかといえばそりゃあ気にはなるし。向こうには友達もいた。心配とか迷惑とか、かけてるだろうな」


 僕は「でも」と、続ける。


「たぶん僕は、あっちでずっと……心の奥底、頭のどこかで『自分の居場所はこの世界じゃない』って気付いてたんだと思う」


 少しそわそわしながらぎゅっと拳を握るカレン。

 静かに聞き入る母さん。

 母さんの足元で丸まってあくびをするショコラ。


 ふたりと一匹さんにんを順番に見て、


「夢ややりたいことみたいな、将来への具体的な展望があった訳じゃなかった。大学だって『そこそこのところに就職できるように』なんて理由で選んだ。友達だってそうだ。確かにそれなりの数はいたし、二度と会えないって考えたら寂しくはあるけど、なんていうか……広く浅くを地でいってたな。僕がいなくなったことで人生が変わっちゃうような奴は、たぶんいないよ」


 改めて自分の気持ちを意識しながら、僕は言った。


「それに、好きな女の子もいなかった。なんだか、誰ともそんな気になれなかった」


 単に恋愛ごとに興味のないたちだと自分では思っていた。

 けれどたぶん、違う。


 僕の心のは日本へ行く前から、もうとうに決まっていたんだ。


「だから、大丈夫。僕はここで生きていく。僕の生まれた世界であるここで。家族であるみんなと一緒に、生きていくよ」


「……スイ」


 カレンは感極まって僕の胸に飛び込み、それを僕は受け止める。

 あやうくまたキスされそうになったけどどうにか止めた。それはまだ早い。


 いやもういいだろ受け入れろそしてその先も期待しろと僕の中の悪魔がささやいてくるけど、まだなにかこう——あと少しだけ、パズルのピースが欠けている感じがあるんだ。そうじゃない、そうなるとしても、そういう始まり方じゃない、と。なんだろうねこれ。



※※※



 母さんが持ってきたものの中に縫い針と糸、つまり裁縫道具があって、確かにこれは僕が思いつきもしなかったものだやっぱり母さんはお母さんなんだなあなどと思いつつ、針を一本だけもらって釣り針に加工してみた。

 家から歩いて五分ほどの近くに、川が流れていたのだ。


 ってやんよ。きっと森の中で人もいないからスレてない。人間さまにひれ伏すがいい。針に返しがないけどなんとかなるだろう——そんな期待を込めてショコラとふたりで意気揚々と出掛けていったが、まったくもってだめでした。糸はぴくりともせず、餌はいつの間にかなくなり、魚影だけがすいすいと僕の視界にちらつき続ける。


 そして小一時間ののち。


「わおん!」


 もう飽きちゃった。そんなひと吠えをあげてショコラが川に飛び込んだ。水に潜っていき、姿が見えなくなったと思ったら、そこから立て続けに魚たちが水面へと打ち上がる。川岸にぼたぼたぼたと、四匹が落下したところで、最後にばしゃーん! とショコラが浮上した。


「わんっ!」


 ぶるるるるるるると身を震わせて飛沫を散らし、嬉しそうに吠える。

 僕はその飛沫をまともに浴びながら、大きく溜息をいた。


「お前は本当に、優秀だよ……」



※※※



 ぴったり家族と同じ数の魚を釣果(釣ってはいない)として、家に戻る。

 門を潜ると、縁側に腰掛けて、母さんとカレンがアルバムを見ていた。

 僕があっちに行ってからの十三年間を撮影し、印刷したもの——なんで書斎にこんなものがあるんだと見付けた日は首を傾げたけれど、母さんもカレンも、十三年間の空白を埋めるように何度も何度もそれを見ている。


「ただいま」

「お帰りなさい。釣れた?」

「釣れなかった。でも、ショコラが獲ってくれたよ。今夜はこれを焼いてみよう」

「まあ、えらいわねショコラ」

「わう!」


 ショコラを撫でて褒める母さんの左手、薬指には指輪がある。

 むらさきと黒、それからみどりの宝石があしらわれたそれは、父さんから贈られたものだ。


 母さんはたっぷり五日をかけて、それにいろんな魔術を付与した。僕は『不滅』の特性が欲しいとかで少し手伝わされた。よくわからないままにやったけど成功してしまって、完成した品を見てのカレンいわく「あれはやばい。国宝が霞むほどの魔導補助具になってる」とのこと。こわい。


 撫でられて尻尾を振るショコラの首輪にも、銀色の飾りが組み込まれている。そっちは僕が指輪と同じ『不滅』を特性付与しただけであとはなにもしていない。ショコラの持つ光属性は無属性とも言われていて、だから特別なことをせずともショコラの力を増幅してくれるだろうとのこと。なんだこの、はじまりの村で最強装備が手に入ったみたいな感じは。


「カレン、冷蔵庫に入れてきてくれる?」

「ん」


 母さんの頼みにカレンは頷き、僕から魚を受け取って立ち上がり、家に入っていく。その手首にはまだ、ブレスレットが着けられていない。

 それはひとえに父さんが最後に残した言葉によるものだ。


 ——同じデザインのものをもうひとつおまけで入れているから……きみのいちばん大切な人にあげなさい。


 彼女が誰にそれを渡すつもりなのかがわからないほど、僕は鈍くない。

 けれどやっぱり、まだもう少し、、そんな気がするのだ。きっとカレンもわかっているのだろう。まだ、受け取ってほしいと言ってはこない。


 革帯が手に入ったので、腰に提げるようになった『リディル』のつかを撫でながら思う。


 正直、僕にもなにか新品のプレゼントが欲しかったと——ほんのちょっぴりだけど、ねたくなるような気持ちがあった。

 けど、違ったんだな。僕だけ特別に、ひとつ多く用意してくれてたんだな。


 カレンに魚を渡して、縁側の奥、庭の片隅へ行く。

 そこには両手で抱えられるくらいの石がひとつ安置されている。

 今は摘んできた花を置いているだけだけど、いずれ周囲には花を植えて、石もちゃんと加工したものに取り替えるつもりだ。


 その前に立って、僕は言う。


「ただいま、父さん」



※※※



 倉庫に行ってくわを持ち畑仕事を始める。

 プランターで育てているトマトを植え付けする時のため、土を作っているのだ。

 トマトは育てるのが難しいらしいから試行錯誤になるかもしれないが、それもまた一興かな。


「カルシウム不足を防ぐために石灰を撒いて耕す、と……」


 畑を前に思案する僕のすぐそばで、カレンがショコラと戯れ始める。


「ショコラ、お座り、お回り、お手、ジャンプ」

「わう、くーん……わうわう!」

「うまいうまい。次はお手、お座り、ジャンプ、ジャンプ」

「わうっ!」


 母さんは無言で縁側に腰掛けて穏やかに微笑み、僕とカレン、それにショコラを見守っている。かたわらに置いたアルバムを、愛しげに撫でながら。


 畑に鍬を入れた。


 今日この日の光景が、父さんの予知したものなのかはわからない。

 だから僕らは、何度でもこの日常を繰り返すよ。


 かつてあなたが見たっていう未来と僕らの現在いまが、ちゃんと繋がるように。






———————————————————

『異世界で家族と再会しました』


 主人公(と犬)が異世界へ転移し、家族と再会するまでの章でした。

 幼馴染であるカレン、母親であるヴィオレ、そして亡き父の最後の姿。

 その三人との再会です。


 次回からは第二章『父さんの足跡、僕の第一歩』が始まります。

 意外なご近所さんとの出会い、そして街へ行く一家。新たな出会いにスイはなにを思い、なにを決意するのか——。

 お楽しみに!



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 書籍の調子がよければこのお話も心置きなく続けることができるので、どうかよろしくお願いいたします!

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