第6話

 放課後。


 東伍は今日も部活動に顔を出すのを諦め、紙切れ片手に住宅街を歩いていた。

 仕事が溜まっている。行事の準備や生活指導、カリキュラムの見直しに研修。やるべき事は山ほどあるのに、東伍の身体は意に反して歩みを止められない。

 手元の住所と、電柱に書かれた住所とを見比べながら、一つ一つ表札を確認していく。

 

「……あった。ここだ」

 

【KAWAMURA】と、簡易なシールの貼られた表札。真っ白な壁の一軒家。

 引っ越したてのようで、玄関には折り畳まれた段ボールが紐に括られた状態でいくつも立て掛けられている。

 

(確かめなければ。俺は、前に進めない)

 

 意を決して。東伍はインターホンのボタンへと、人差し指を押しつけた。

 

「はい」

 

 機械から発された声は、男性のもの。

 

「私、淑和学院高校で社会科の教員として働いております、水野と申しまして」

「ああ、はいはい。少しお待ちくださいね」

 

 ぷつり、通信が切れる。それから直ぐに、玄関のドアが開いた。

 黒いエプロンを身につけた丸メガネの男性が、柔和な表情で東伍を見る。

 

「お世話になります、泉の父です。泉がなにか?」

「突然にすみません。先日、泉さんから水泳部に入部したいと打診がありまして。私、顧問を務めているもので、少々確認したいことが。今、泉さんはご在宅でしょうか?」

 

 ここへ辿り着く前に考えた、訪問理由。

 多少無理があるとは思ったが、東伍にはこれくらいしか思いつけなかった。

 

「なるほど。わざわざお越しいただいて悪いんですが、泉は今、夕飯の買い物に」

「そうですか。あの、前の学校でも泉さんは水泳部に?」

「ええ。表彰台にも何度かのってます。足を引っ張るようなことはないと思いますが」

「あ、いやいや。そういった意味では。その、以前はどちらの高校に通って——」

「水野、先生?」

 

 背後からの声に東伍が振り返れば、そこにはスーパーの袋を腕にぶら下げた制服姿の泉がいた。

 

「おかえり泉。水泳部に入るんだって?」

「え? ああ、うん」

 

 答えつつ、泉は横目に東伍を睨む。

 

「お父さん。少しここで先生と話すから、食材冷蔵庫にお願いできるかな」

「構わないが、家に上がってもらったらどうだ? もう日も沈みそうだし」

「ううん。ここでいい。直ぐに済むから」

 

 食い気味に父親の提案を拒否しながら、泉は持っていたスーパーの袋を父親に渡した。

 

「お。今日は鍋か。どうです、先生も一緒に」

「お父さん」

 

 泉が制する。その表情におでこを掻いた父親は、東伍に視線を移すと軽く会釈した。

 

「じゃあ、すみません先生」

「いえ。お気遣いなく」

 

 玄関のドアが閉まる。生ぬるい夕風が頬を掠めると同時に、東伍と泉の間には妙な緊張感が漂っていた。

 

「で。なんの用?」

「陽子、なのか」

「なによそれ。わざわざそれを確認しに来たの? 勘弁してよ、私には時間がないのに」

 

 泉は呆れ顔で玄関のドアに向かう。

 

「用はそれだけ? なら帰って。私、食事の後に行かなきゃならないところがあるの。東伍とおしゃべりしている暇ない」

「待って。違うんだ。きみが陽子だというのなら、彼女……川村泉さんの意識は、一体どこにいってしまったんだろうって」

「どういう意味?」

「陽子と、川村泉さんの中身は、交換されたんじゃないかって思ったんだ」

 

 東伍の疑問はこれだった。

 もしも。川村泉の意識が陽子になっているのだとしたら、本物の川村泉の意識は、陽子の身体に宿っているのではないか。

 そうだった場合、陽子の身体になった川村泉の方もまた、混乱しているのではないか。

 

「陽子の身体をした川村泉さんは、いずれ自宅に戻ると思わないか? つまり、この家に。そうなれば、少しは状況が」

「それはないわ。仮に私の身体に彼女の意識が宿っていても、彼女はこの家には帰ってこられない」

「どうして」

「言わなかった? 私、外に出る前は檻みたいな場所に監禁されていたの。あの場所から、簡単に出ることはできない」

「その場所がどこだか、心当たりがあるのか?」

「それは」

 

 言葉に詰まる。

 

「心当たりはある。でも、簡単に外に出られないことは事実なの。可哀想だけど、もし東伍が言ったように、私と彼女の意識が交換されているのだとしたら。泉さんは今、最悪な気分でしょうね」

「だったら、放っては置けないよ」

「どういう意味?」

「彼女は、川村泉さんはうちの生徒なんだ。俺は教員として、彼女を助ける義務がある」

 

 東伍の真剣な表情に、泉の顔をした陽子は思わず吹き出す。

 

「相変わらずよね。そういう正義感。昔も同じような正義感で、私を助けてくれたことがあったっけ」

「そんなことあったかな」

「あったよ。ほら、高校の焼却炉そばで。千紗子と揉めて私が座り込んでたら、いきなりお姫様抱っこしてさ。……あ。もしかしてこのエピソードも本当は覚えてて、カマかけてるんじゃないでしょうね?」

「ち、違うよ。言われて今思い出した。そんなこともあったなって」

「うん」

「確かあの後、学校辞めちゃったもんな。夏川さん。元気にしてるのかな」

「なに、気になるの?」

「いや別に。陽子も仲良かったよなあって思ってさ」

「ふーん」

「なんだよ」

「……鈍感なとこも、相変わらずだなって」

「はい?」

 

 クツクツ笑うその仕草は、まさに陽子そのもので。東伍はやっと事態が身体に馴染んできたのだと自覚する。

 

「なんでもないわよ。っていうか、もういい加減に信じたわよね。私は陽子。小林陽子よ。ややこしいから、学校以外では陽子って呼んでくれる? それで。協力してくれるってことでいいのよね、おじさん?」

「なんだよ、おじさんって」

「クラスメイトの船井凛子さんにそう説明したんでしょ? 私が東伍の姪だって」

「あ」

「ったく、もう。オプションつけるなら説明くらいしといてよ。あの子テンション高いし、話合わせるの大変だったんだから」

「うん。ごめん」

 

 笑い合う、東伍と陽子。久しぶりの懐かしさに、東伍は心からの安堵を現す。

 

「良かった。陽子が無事で」

「半分無事じゃないけどね」

「まあ……あ、これから行くところがあるって行ってたよね。俺も行くよ」

「でも」

「知りたい。なんでこんなことになったのか。そもそも陽子を誘拐したのは誰で、クリスマスイブの日から今日に至るまでの半年、陽子になにがあったのか。その詳細を、まずは説明してくれないかな。俺、今度こそちゃんと聞くから」

「わかったわ。東伍、ここまでは車で?」

「うん」

「なら行きましょう。話は移動の車中でするわ」

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