第39話 エンディング

 終わりを渋らせていた闇と光の戦いは、あっさりと幕引きした。

 深手を負った体は、再生機能によってたちどころに塞がっていく。

 俺は手にした魔剣で勇者の息の根を止めるべく、一歩ずつ前進する。


「いやあああ! レオン!」


「待て、行くな!」


 勇者一行の女が、仲間の男に羽交い絞めにされる。


「やめて、殺さないで!」


「勝負は決まった。おとなしく受け入れろ!」


 敵と味方の双方が大声でがなり立てる。

 くっ……。俺は光だけでなく、騒音も苦手だ。

 なにもかもがわずらわしい。黙って見ていることはできないのか。


「この人でなし!」

『殺せ! 殺せ!』


 烏合の衆が、誰に物を言っている。生殺与奪は俺の権限。

 興がめてしまった。

 俺は魔剣をさやに納めると、懐から蘇生薬を取り出し、勇者に向けて投げつけた。

 観客からどよめきが起こる。


 しばらくすると、エゼルレオンは聖剣を支えにして上体を起こした。


「……なぜだ。更なる屈辱を与えるためか?」


「人の身で大魔王となった余の感情を推し量れる者は誰もいまい」


「慈悲を与えるというのか」


「騒々しいのは好まん。兵士を連れてとっとと消え失せろ。魔界の平和を脅かしたのはそちらのほうだ」


「くっ……」


 撤退させるのが本来の目的である以上、殺す必要はどこにもない。いつしか雰囲気に呑みこまれ、感情的になっていたようだ。

 うなだれる勇者、静まり返る聴衆。

 彼らに背を向けて魔王城へ戻ろうと思った、その時──


 人ごみの中から何かの影が飛び出て、勇者の背後に向かう。

 俺は思わず駆け出し、その者の首をねた。


「な、何だ?」


「貴様、あのときの道化師だな」


「……ご名答」


 頭部を失った人間は答える。

 再びどよめきが広がった。


「それでは困るのですよ。勇者どのには死んでもらわなくてはならない」


「なぜだ?」


「王子の密命です。王は勇者に領土を譲ろうとしている」


「くだらん。そんな身内のごたごたは自らの領内でやれ」


 魔剣を向けると、道化師はひょっこりと胴体から本物の顔を出した。


「お前は見覚えがある!」


「おや、覚えておいでですか、エゼルレオン。申し訳ありませんが、あなたにはここで死んでもらいます」


「我が領土で勝手は許さん。口を塞げ」


「……うん? はっ!」


 強者と弱者で大きく差を分けるもの、それは直感だ。

 勇者は自らの口を袖で塞いだ。


「もがき苦しめ、《マイアズマ》」


 道化師の足元から紫色の煙が噴出する。

 魔界の毒素を濃縮した瘴気。

 取り囲む人間と悪魔が一斉に距離をとった。


「ぐおおおお……おっ、おっ……」


 ロバ耳の伝令兵は喉を押さえて身悶える。顔面は見る間にどす黒く変色し、口から泡を吹いて昏倒した。

 魔界に吹く風は猛毒を空へと散らしていき、やがて場は完全なる静寂に包まれた。


 隠しイベントもこの程度か。意外と期待外れだったな。


「これで終わりだ。汝の命はいちど余が預かる。よいな」


「ああ……煮るなり焼くなり好きにしてくれ」


 敗北を認めた王国軍は幻影の森へと完全に撤退した。

 勇者の一行は王国側の企みに意見が割れたようで、女魔術師をひとり残して去っていった。

 エゼルレオンは悪魔たちに武器を奪われ、ふたりは後ろ手に縛られる。

 双方の兵が撤収を終えると、魔王城は再び跳ね橋を上げて固く閉ざされた。


 こうして、『デモニック・キャステラン』のイベントがすべて終わりを迎えた。


 思えばずいぶん遠回りをしたものだ。

 一つひとつ終わらせていればなんてことはない、ただのゲーム。だが寂しさという感情が、事あるごとに己の手を、足を、思考を止める。

 そうやって積み上げられた消化不良の山を、幸か不幸かやり直す機会を得る。完璧を目指してなにも果たすことができなかった己が、またひとつ旅を終えた。

 一抹の虚しさとともに、ようやく達成感が湧き上がってきた。


「今回ばかりは、最後だけの体験という感じはしませんでした」


「こちらからすると、ヒロインは初期からずっといたんだけどな」


「ヒロイン……」


「べつに、物語とはそういうものだろう」


「ふふ、そうですね」


 俺は最後にまた指輪を掲げて魔神を召喚した。

 魔王城と城下町の建築に貢献した、獅子の頭を持つ兵士の悪魔サブナック。

 呼び出されるや、戦いで破壊された城郭を見る間に元通りにしていく。

 兵士たちは町民の一部を城内に招き寄せ、共にエンディングの準備をし始める。

 その間、俺とアルディナは勇者と女魔術師を連れ立って、王の間に引き返すことにした。


「これで本当に終わりなんだな」


「寂しいですか?」


「まあな」


「ところで、あたしたちの縄はいつ解いてくれるのよ」


「どうして俺たちをこんなところに連れてきた? 公開処刑でもするのか」


「殺すつもりならとっくにやっている。汝らは、この魔王城の行く末を見届ける義務があるのだ」


「ほう?」


 はたしてこの者たちは、コンピューターに作られたAIなのだろうか。

 すでに作り手から離れて好き勝手に振舞っているようにも見えるが、思考パターンを受け継いで独自の人格を会得した、奇妙な存在なのかもしれない。

 結局最後まで、ここが人工の世界なのか精神の世界なのか判断がつかなかった。


「汝は、人が光で悪魔が闇だと思うか?」


「当然だ」


「それでは人間にして大魔王たる俺はなんであろう」


「闇に堕ちた者は闇の者だ」


「そうかな?」


「何が言いたい」


 男同士の問答。ふたりの女性は互いにそばで黙って聞いている。


「余はかねてから思っているのだ。光と闇は対となる存在ではないと」


「どういうことだ」


 大きく話が逸れるようだが、自分は動物番組が好きだ。

 散歩をして生き物に出会った際は、行動をじっくりと観察している。


「汝は光をそなえて生まれ落ちたのであろう。それとは逆に、闇を具えて生まれてきた人間もいる。そして、その両方を兼ね備えた存在も」


 鳥の群れを観察していると、たいてい一羽、仲間から離れて周囲をうかがう個体がいる。食事のため公園に降り立った鳩のなかには、ベンチの上に留まり見張りをするものが。電線で休息する小鳥には、距離をとってからすに目を光らせるものが。


「結局のところ、それらはひとつの種の存続のために、最初から分担して生まれたのではないだろうか」


 三人は言葉を理解できないでいるようだった。自身もまた、こんがらがった思考を整理するのに苦労していた。


「汝は勇敢だ。余は勇敢であり、臆病者だ。汝は弱き者の気持ちは理解できぬが、余にはできる」


 気質の種類は、人間も動物も似たような配分になると考える研究者がいる。

 生まれたばかりの動物が、きょうだいで最初から行動が異なることは、おそらく誰もが知っていることだろう。


「汝は先を見ることに長けている。余は先も後ろも見ることができる」


「万能とでも言いたいのか?」


「そうではない。余は完全にして不完全。すべてにおいて、特化した者に勝ることはできない。しかしほんらい混じることのない天も魔も、つなぐことができる──」


 一呼吸を置く。目をくわと広げ、地に足を食い込ませ、両のかいなを天に掲げる。


「それこそが余、テンマなのである!」


 ……完璧に決まった。


『ごめん、なに言ってるかわからない』


 三人は口をそろえた。矛盾した少数派は理解されるのが難しい。

 思えば、子供のころから内気なのにリーダーばかりするおかしな奴だった。

 要するに、光と闇が両方そなわり最強に見えるってことよ。


 兵士に促されて、俺たちはバルコニーに出ることにした。

 現実ならば一日はかかるであろう準備も、魔神のちからをもってすれば半刻たらずで終えることができる。

 いつの間にか城内はエンディングにふさわしい装いにあらたまっていた。正面にはたいまつに囲まれた高台が作られ、背景のセットが奥に置かれているのが見える。

 やがて城下町の人々が束となってなだれ込み、会場を埋め尽くした。


『大魔王さま万歳! 大魔王さま万歳!』


 領民の声に手を振って応える。

 側らにはアルディナが控え、端には監視された勇者と女魔術師が眼前に広がる光景を見つめていた。

 ほどなくして、主人公たる俺を讃える演劇が始まった。

 人間に似た容姿の住民が、自分や敵方に扮して物語を振り返る。


「あれはまさか、魔界に取り残された人々か」


「汝らがどのような情報をつかまされたのかは知らぬ。しかしあれが現状なのだ」


「むう……」


 勇者は軽くうなり、考えるように口をつぐんだ。


「ハハッ、懐かしいものだ。あれは魔界の諸侯をついにすべて打ち倒した場面……」


「いろいろあったんですね」


 たかがゲーム。されどゲーム。じつに素晴らしい物語であった。

 たとえ世界を離れても、ここで過ごした思い出を忘れることは決してないだろう。


 こうして俺は、『デモニック・キャステラン』の長い長い旅を終えた──はずだった。

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