二十三発目「水泳の授業と恋愛と」

 ぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃ……


 森の中に、可愛らしい水音が響いていた。

 盲目の少女ユリィが、川の中で水泳に、挑戦しているのだ。

 夕暮れ前の穏やかな空、水の澄んだ天然のプールだ。


 俺は、ユリィの両手を握って、彼女を支えている。

 彼女は、ゴーグルなしで、顔を地面につけながら、バタバタバタと、一生懸命足を動かしている。

 目が見えないとは思えない程、上達の速度が速い。


「プハァァ!!」


 ユリィは、苦しそうに、水面から顔を上げた。

 まだ、息継ぎは出来ない。

 両足を地面に付けて立ちあがり、ぜーぜーと息を切らしている。


「はぁ……はぁ……ごほっ……はぁはぁ……」


 当然、彼女は、水着も着ていない。

 彼女の白いワンピースは、水で半透明に透けていて、肌にべっとりと纏わりつき、中の肌色がうっすらと見えていた。


「大丈夫!? ユリィちゃん? いいよっ、うまく泳げてたよっ」


 俺の隣、新崎直穂にいざきなおほが、心配そうに、ユリィに話しかけていた。

 直穂なおほが泳ぎを教え、俺はユリィのサポートをする。

 直穂なおほの水泳のコーチングは、無茶苦茶分かりやすかった。

 流石、学校の先生を目指しているだけはある。

 体育の先生も完璧だな、直穂なおほは運動もそこそこ出来る。

 俺も直穂なおほに、大人の保健体育を教えて貰いたい……


 彼女も薄着姿で、全身水浸しであった。

 ショートパンツと、透けたTシャツ……

 肌に張り付いたシャツは、彼女の身体のラインを、ピッタリとなぞっていた…


「はぁ………はぁ… 大丈夫ですっ! 次は行宗ゆきむねさんみたいに、魚を捕まえたいです……」


 ユリィには疲れが見えるが、まだまだやる気のようだ。

 息を切らしながらも、声色は明るい。

 楽しんでくれているようで、こちらも嬉しくなる。


 因みに俺は、13匹の魚を捕まえおわっている。

 俺は、レベル52の召喚勇者だ。

 水の中でも、かなり自由に動き回れる。

 俺の身体には、【自慰マスター〇ーション】スキルなしでも、素手で魚を捕まえられる程の、身体能力が備わっていた。



「それはいいね。でも、少し日陰で休もうか。泳ぎっぱなしで疲れてない?」

「分かりましたっ」


 直穂なおほの提案で、俺達は川から上がり、大きな岩の上へと腰掛けた。


 座る順番は、左から直穂なおほ、ユリィ、そして俺だ。

 俺と直穂なおほは、それぞれユリィの、左手と右手を握っていた

 目の見えないユリィは、常に誰かに触れられていないと、不安になってしまうそうなのだ。

 思い返せばリリィさんも、ずっとユリィの手を繋いでいて、傍を離れることはなかったな。

 

 大岩の上は、じんわりとした暑さがあった。

 気候は夏、熱帯雨林といったところか。

 絶好の水泳日和である。

 直穂も、この暑さには、分厚いマントを脱いでくれた。

 お陰で、直穂なおほの身体のラインを、ハッキリと見る事ができるのだが。


「リリィちゃんと和奈かずな、大丈夫かなぁ……」


 直穂なおほが、ぽつりとそう言った。

 リリィさんは、浅尾あさおさんと共に、今夜寝られる場所を作ってくれている。

 一方の俺達は、川で遊んでいるのだが……


「お姉さまに関しては、心配無用ですよ……」

「同意だな、ユリィも凄いけど、リリィさんは凄すぎる……。俺なんかより、ずっと年上な気がするよ……」


 リリィさんは、魔法に知識量、言葉遣いまで、まるで非の打ちどころがないのだ。

 もし、洞窟で彼女と出会っていなかったらと考えると、ゾッとする……

 俺は、洞窟から出られずに、【天ぷらうどん】から、直穂なおほ浅尾あさおさんを助ける事も出来ないのだから。

 だから、彼女を心配する必要はないだろう。

 きっと、素晴らしいログハウスを作ってくれる筈だ。









「あの、お二人の顔を触ってもいいですか?」


 しばしの静寂のあとで、ユリィさんは遠慮がちに、そんな事を口にした。


「顔を触る? なんで??」

「お二人の、顔のかたちを知りたいのです。触っていいですか??」


 ユリィはそう言った。

 そうか、ユリィは目が見えないから、俺達の顔を知らないのだ。

 それは、可哀そうだな……

 お母さんの顔も、お姉さんの顔も知らない。

 好きなアニメだって、見られないじゃないか。


「もちろんいいよ、ほら、これが私っ」


 直穂なおほは、ユリィの小さな手を、自身の頬っぺたに当てた。

 ユリィは、直穂なおほの顔に、優しく手を這わせた。


「こ……これが俺の顔だ……少しひげが伸びてるかもしれんないが……」


 俺も、そう断ってから、ユリィさんの手を俺の顔へと乗せた。

 決して、自慢できる顔立ちではない……

 それに、髭剃りのない異世界では、髭が少し伸びてしまっていた。


「ありがとうございます」


 ユリィさんは微笑むと、俺と直穂なおほの顔を、柔らかな手触りで確かめていく……

 互いの吐息が聞こえるほど、至近距離だ。


 左どなりの直穂なおほの黒髪が、俺の頬っぺたをくすぐった。

 直穂なおほの方をふと見ると、ちょうど彼女と目が合った。

 水の滴るいい女。黒く光るクリクリとした瞳……

 俺は、息が止まりそうだった……

 洞窟の暗がりでキスした時とは違う。

 彼女は、日光に照らされて、艶めかしく輝いていた。

 あぁ……抱きしめたい……


「ふふっ……二人とも、顔が熱いですよ……深く、愛し合っているのですね……」

「ふぇぇ?」


 ユリィさんの言葉を聞いて、直穂なおほは顔を真っ赤にして、黒髪の中に顔を隠した。

 俺は、極度の興奮状態だった。

 なんだこの可愛い生き物は!!

 この人が、俺と愛し合っているだなんて、未だに信じられない話だ。











「ねぇ、ユリィちゃんには、好きな人はいる?」


 そんな直穂なおほの問いに、ユリィは嬉しそうにはにかみながら、


「はい…好きな人なら、いますよ……」

 

 と、答えた。

 俺は、ユリィの恋愛に、興味が湧いた。

 盲目の貴族のお嬢様、今まで自然と触れ合う機会がなかった箱入り娘。

 そんな女の子は、一体どんな恋をするのだろう、と。


「わたしは……、騎士様に恋しています。彼と一緒にいると、胸の鼓動が早くなるのです」


 ユリィは両手で顔を隠しながら、赤裸々に恋心を告白した。

 俺と直穂なおほは、ユリィの太ももに手を添えながら、彼女の恋に耳を傾けた。

 ユリィは耳まで赤くなっていた、なんとまあ可愛らしい。


「へぇー。騎士様かっ!!、その人のどこが好きなの?」


 直穂なおほがグイグイとユリィに尋ねると、ユリィは恥ずかしそうに言葉を繋いだ。

 

「……騎士様は、目の見えない私に、いつも寄り添ってくれるんです。 

 街の外に出られない私に、外の世界を語ってくれるんです。

 雪原という、柔らかな氷に包まれた世界の話……。

 海という、莫大な水溜まりの話……。

 神獣が住むという、幻の洞窟の話……。

 そして森という、植物と動物達に囲まれた、命の溢れる世界の話……。

 騎士様の話は、寝室にいる私を、想像の中で、外の世界に連れ出してくれるんです。

 彼が実際に経験した冒険譚と共に、私も彼と一緒に、世界中を冒険している気分になるのです……

 だから私は、騎士様を好きになってしまいました……。

 今日初めて、本物の森と出会って、私は感動しました。

 彼の話は嘘ではなかった……。

 森は本当にあったんです。私の想像よりも、ずっと鮮やかで壮大に………」

 

 そう語るユリィの目は、キラキラしていた。

 もちろん目は閉じられているのだが、その奥には確かな輝きがあった。


「へぇ……じゃあ今日が、ユリィちゃんにとっての初めての外の世界ってことだね。騎士様も一緒だったらよかったね。」

「はい……」

「彼には、告白したいと思う?」

「……それは………無理なんです。 私の恋が実ることはありませんから……。私には、貴族としての使命があります……、自由に恋愛なんて出来ません……」


 ユリィは、半ばあきらめたような、寂しい顔をした。

 なるほど、お嬢様故の使命……ってやつか……

 政略結婚、的な何かだろう…

 自由に結婚できない貴族の話は、ラブロマンスでは、よくある話だが……

 ユリィも、そんな境遇にいるのだろうか……

 


「……ユリィは、それでいいの?」


 直穂なおほは、悲しい顔で尋ねた。


「いいんです……結婚だけが、人生の全てではありません。私の働きで、公国が豊かになるなら、それで良いんです。

 ……すいません、今の話は忘れて下さい。 私は大丈夫ですから。 

 さてっ、息も整いましたっ! 今度はわたし、行宗ゆきむねさんの補助なして泳いでみますっ!」


 ユリィは、暗くなったを断ち切るように、明るい声で息まいた。

 それは、現実逃避のようにも見えたし、これ以上、俺達に深掘りされたくないようにも見えた。

 俺も、言いたいことはあったが……追及するのはやめておいた。


 俺は、他人の心配をしている場合ではないのだ。

 俺達には、何よりも優先すべき問題がある。

 【クラス全員での、現実世界への帰還】

 それこそが、俺のすべき全てだ。

 俺は、その為に、【ネザーストーン願いを叶える石】で、直穂なおほ浅尾あさおさんを生き返らせる選択をしたのだから。

 ユリィさんの結婚問題は、言い方は悪いが、俺が率先して解決すべき問題ではない。


「そうだなユリィ。せっかくの外の世界だ。国に帰るまで、おもいっきり楽しもうぜ!!」

「はいっ!」

「よしっ、ついてこいっ!!」


 俺は、大きく息を吸い込むと、大きな岩のてっぺんに立ち上がった。

 そうして、グッとしゃがみ込んで、固い大地を蹴り上げた。


 俺の身体は、勢いよく、空中へと飛び出した。

 水面まで、一メートルと少し。

 勢いづいた俺の身体が、水面へと触れて、水が切り裂かれていく……


 ドッバァァァン!!

 

 という爽快な水音と共に、俺は水中に飲み込まれた。

 涼しくて、冷たくて……水に、身体を撫でられる感覚が気持ちいい。

 俺は、水中から顔を上げて、ユリィさんの方を見上げた。

 ユリィも直穂なおほも、目を見開いて驚いていたのが可笑おかしかった。

 

「ほらっ、ユリィも飛び込んで来いよっ。楽しいぞっ!!」

「え……危なくない??」


 心配する直穂なおほの声を置いて、直穂なおほの手を借りずに、ユリィは一人で立ち上がると、俺の方を向いた。

 そして、ギュッと身体を強張らせて、すーはーと深呼吸をした。

 

「私っ、行きますっ!!」


 思い切り叫んだユリィは、ギュッと目を瞑り……

 小さな足で、大岩を踏み切った。


「きゃあぁぁぁっ!!」


 甲高い悲鳴と共に、ユリィは大空へと飛び立った。

 真っ白な濡れたワンピースが、青空の中、つばさのように、はためいて、

 彼女の黒い髪が、美しい糸をひきながら、放物線を描いていった……


 バシャーン!!


 次の瞬間、

 彼女は水飛沫に包まれて、水の中へと飲み込まれた。

 俺は急いで、彼女の元へと駆けつけた。

 彼女を抱きかかえて…、足のつく浅い場所へと連れていく。

 

「大丈夫か??」

「……ふふっ……うははっ……あははっ……」


 俺が心配して声をかけると、ユリィさんはびしゃびしゃの顔で笑っていた。

 

「……最高でしたっ!!」


 彼女の満面の笑みは、太陽にも負けていなかった。

 ぜひ「騎士様」に見せてやりたい。

 こんな笑顔を見せられたら、惚れない筈がないだろう。

 

「やっほーーっ!!」


 後ろで、直穂なおほの明るい雄たけびを上げた。

 ザッパーン、という水音と共に、直穂なおほも川へと飛び込んできたのだ。


「うはぁ、気持ちいいっ!!、やったねユリィちゃん!」

「はいっ。楽しいですっ!! もう一回やりたいですっ!!」


 俺の胸のなかで、ユリィは楽しそうに笑っていた。

 直穂なおほが笑いながら、こちらに歩み寄ってくる。


 澄んだ泉のなかで、天女の衣を纏った美少女たちが、陽光に照らさせながら、笑顔を振りまいている……

 こんな天国が、あっていいのだろうか……

 まるで夢のような、幸せで尊い時間……

 これは、二次元じゃない……

 これが、三次元の幸せ……

 こんな穏やかな時間が、ずっと続いてほしいと思った。

 






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