限定SS『古代の料理』1
※全3話です。
(別視点/アウル加入前)
「おいシュザ、これを読んでくれ」
ある日の昼下がり、シュザはアキに連れられて区の図書館へやって来た。
ミドレシアの王都、その中央区には、大図書館と呼ばれる大陸で随一の蔵書量を誇る図書館があった。
また、それとは別に各区にも小規模な図書館が存在する。
区の図書館は中央区の大図書館ほどの蔵書はないが、基本的なものが揃っている。それに、大図書館とは異なり、本の貸し出しも行っているので利用者は多かった。
シュザたちがやって来たのは、自分たちの住んでいる外・北西区にある図書館だ。歩いて数分の距離にある。
アキが図書館へ来るなんて珍しい、と思っていたシュザだが、見せられた文献を見て納得した。
そこには、古語で古代の料理について書かれていたからだ。
やはりアキだった。
「君も僕と同じ家庭教師から学んだんだから、少しは古語を読めるだろう?」
「俺にはわからない表現がある」
「ふむ、カントラ大河流域の食文化についてだね。これは魚料理かな」
「……今日の夕食は、お前の好きなあのスープだ」
アキは少しそわそわした様子でそう言った。
シュザは苦笑する。丁寧にシュザの好物まで用意している。つまり、アキはシュザに何かを頼みたいのだ。
「わかったよ、この本は借りて帰ろう。必要な箇所は書き出して、訳しておくよ」
「頼んだ」
「いいんだ、僕も古代の料理に興味がある」
こうして、アキの挑戦が始まった。
それがパーティーの全員を巻き込むことになるとは、このとき誰も知らなかった。
***
シュザは拠点に戻り、すぐに写本と翻訳にとりかかった。
シュザは教院には行っていないが、家庭教師からひと通りの基礎教養を教えられていた。古語もそのひとつだ。
ノーヴェやハルクほど明瞭に理解できるわけではない。しかし、軽く読む分には不自由しない程度には古語を理解していた。
しているつもりだった。
図書館から持ち帰った文献の翻訳をしていて、シュザは行き詰まりを感じた。
文献が民話や歴史であればまだよかったが、これは料理の本である。つまり、専門用語が多い。
その上、シュザは普段ほとんど料理をしない。いくつかの表現が曖昧で、翻訳にはかなり苦戦した。
どうにか最初の翻訳を終え、現代語訳したそれを眺めた。
シュザは頭を振った。
これは、おそらくダメだろう。
「どうだ?」
いつのまにかシュザの書斎机の横に立っていたアキが、身を乗り出すようにしてシュザの持つ紙をのぞき込む。
「そうだね、君の意見を聞きたい」
「見せろ…………なんだこれは」
シュザに渡された紙を見て、アキは眉をひそめる。
「暗闇を砕き、赤の大罪を荷造りして空を凍らせ……これでどんな料理ができるんだ」
「うん……僕もおかしいと思うよ」
「古語のほうを見せろ」
結局自分で古語を読み解こうとしたアキだが、結果はシュザと同じだった。意味のわからない文章にしかならない。同じ教師から同じことを学んだ2人なので、当然といえば当然である。
これは自分たちの手には負えない。
そのことに気づいた2人は、専門家たちに頼ることにした。
「帰ったぞー。……ふたりしてそんな険しい顔してどうした?まさか、また収支が合わなかったのか?」
「おかえり、ハルク。これは計算書ではないよ」
狩猟から帰って来たハルクに、シュザはアキが古代料理に挑戦しようとしてる、と説明した。
それを聞いて、ハルクはとてもうれしそうな顔になった。
「そうかそうか!古語なら俺の得意分野だな」
「……とりあえず、これを訳してくれ」
「どれどれ」
ハルクは荷物を放り出し、一緒に古語が書かれた紙をのぞき込む。
「下流域の魚料理か。馴染みはないが、何とかなるだろ。……ええっと、黒鮭?という魚をまず仕掛けで捕まえる」
「……材料の入手から書かれているのかい」
「それを凍らせて何日か置く」
「魚の一般的な下処理方法だな」
「赤い香辛料をまぶして、大きな葉で包んで……泥に埋める」
「は?」
「泥で固めて、猫のしっぽの毛を……ミミズ?……墓の上で舟唄を歌って、母の贈り物を絞める……」
シュザとアキは、やはり古語話者は違うと感心しながら聞いていたが、次第に雲行きが怪しくなり訝しげな顔になった。
完璧な古語を話し古語学者からも一目置かれているハルクですら、意味不明な訳を出した。そもそも、この文献自体が怪しいものという可能性も出てきた。
「ハルク、お前正気か?」
「おかしいな、俺が間違えるはずが……方言か?」
「とりあえず、この通りに作ってみるのはどうだろうか」
「シュザ、お前も正気か?泥に浸かった魚を食べたいのか?墓の上で歌うのか?」
「うーん」
3人揃って、首を傾げた。
そこへ、テラスから入ってきたノーヴェがやってきた。薬草園の手入れをしていたようで、その手には籠があった。
「紙なんか眺めてどうしだんだ、みんな。また収支が合わなかったのか?」
「これは計算書ではないよ。ちょうどよかった。ノーヴェ、君の意見が聞きたい」
事情を聞いたノーヴェは、籠を置いて3人が集まる書斎机に近づいた。
「……なるほどな、よくあることだよ」
「そうなのかい」
「古代の薬草の調合が書かれた文献を読んでる時に、同じ目に遭ったことがある。こういう、薬草調合とか料理の文献は、独特の言い回しを使うことがあるんだ。まるで暗号だよ」
「……じゃあ、もう読めないのか」
「そんなことはないさ」
ノーヴェは皆が見守る中、古語の原文の横に新しい紙を置き、まずは一字一句を訳していった。いわゆる、逐語訳や直訳と呼ばれるものである。
さらにその文章から違和感のある部分を抜き出し、前後の文脈から推測される文法の違いを確認していく。
同じ単語であっても、状況や文脈によって用法がガラリと変わるということはよくある。
ノーヴェは、古語の理解においては古語話者であるハルクには劣るかもしれないが、教院で現代語話者の視点から古語文法を学んでいる。そのため、古語を現代語で解釈して翻訳する作業においては、ハルクよりも向いていると言えた。
「ふむ、これは……なるほど、前の文ですでに言及のあったことだから省略されているのか。ということは、これを付け足せば……よし、意味が通った。それに、これは薬草の抽出方にも同じ表現があったから……」
そうして翻訳作業を続け、完成した文章をアキに見せた。
「どうだ?これなら読めるだろ」
「…………ほぼ完成か」
「すごいな、お前!古語が得意な俺ならわかると思ったのに……」
「教院時代に、薬草関連の古語の文献を読み取るのにかなり苦労したからな。こういうのは現代語の知識も必要なんだ」
少しだけ得意げにノーヴェは言った。
出来上がった訳文では、きちんとした調理法に見える文章が完成していた。
しかし、アキの表情は曇ったままだ。
「……結局『泥で固める』が解決していないぞ」
「ごめん、それはオレにもわからない」
「それに、魚料理には使わない香辛料が出てくる」
「それも、オレにはわからないかな……」
得意げだったノーヴェは、すこし肩を落とした。
ノーヴェの技術をもってしても、古代の料理の解読は困難を極めた。
そこへ、ダインがやってきた。
どうやら街の公衆浴場へ行ってきた帰りらしく、ほくほくとした表情をしており、香の匂いがしていた。
「なんだァ?収支が合わなかったのか……いや、古語で悩んでんのか。また面倒なもん拾ってきたなァ」
面倒そうな言い草だが、風呂上がりで機嫌が良いダインは皆が集う書斎机に歩み寄り、ノーヴェの書いた訳文を読んだ。
「君も教院で古語を学んだのだったね、意見を聞かせてくれないか」
「詰まってんのは、これかァ?『泥』と香辛料」
「それだけどうしても意味が通らないんだ」
ダインはしばらく紙を眺めてから、顔を上げた。
「あれだ、こりゃ訳の問題っつゥより、知識と解釈の問題だな」
「どういうことだい」
「この泥ってのァ、ふた通りの意味が考えられる。ひとつは、陶器だ。『泥を固める』んだから、陶器そのものだろォ」
「……確かに!」
「壷焼きのようなものか」
「もうひとつは何かな」
「ふたつめは、燃料だな。俺の昔の患者に粗悪な燃料を使って肺をやられた奴がいた。そいつがよく使ってたのが、『泥炭』ってやつでなァ。それを使って焼いたのかもしれねェ」
「なるほど……」
「オレもどっかで聞いたかもしれない、泥炭」
「だが、カントラ大河の下流域じゃ取れねェ燃料だなァ。あれがあんのは、ウェルティーヤ寄りのほうだったはずだぜェ」
「ということは、これは壷焼きか」
「かもなァ」
ダインの説には説得力があった。
ようやく光明が差し、アキの表情は晴れつつあった。
「では、この香辛料は」
「俺ァ料理に詳しくねェから何とも言えねェが、そいつァ『反転文字』じゃねェのか」
「何……?」
「あっ、わかったぞ……季節的な要素を考慮した場合、この語はひっくり返して読むんだ!」
「あー!ほんとだ、オレなんで気づかなかったんだ……基本の中の基本だよ」
「ということは……ああ、これなら僕でもわかるね」
「俺もだ」
無事に、香辛料の問題も解決した。
それぞれの知識を持ち寄り、ひとつの文章を解読できた。それは広大な歴史の中ではごく小さな出来事かもしれなかったが、アキにとっては快挙だった。
アキは晴れ渡った表情で厨房へ向かった。
その日の夕食は、随分と豪華なものになった。
それが、協力してくれた皆へのアキ式のお礼だった。
後日、入手したレシピ通りにアキは古代の料理を作った。市場を回って苦労して材料を入手し、丁寧に調理法を再現した。
そして、失敗した。
***
(つづく)
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