第35話

どれだけ叫んでも大河は結の元に戻ってきてくれなかった。



その場に立ちすくみ、次から次へと溢れてくる涙を止めることができない。



「置いていくぞ!」



そんな結に声をかけたのは毅だった。



毅と哲也のふたりはすでに歩きはじめている。



結は下唇を噛み締めてふたりを睨みつけた。



どうして生き残っているのがこのふたりなんだろう。



明日香や大河なら、結だってここまで悲観的になることもなかったのに。



結は重たい足を一歩踏み出す。



このまま座り込んでしまいたいという気持ちをどうにか奮い立たせてふたりの後を追いかけたのだった。


☆☆☆


「悪い、ちょっとトイレ」



哲也がそう言ったのは再び歩き始めて5分後のことだった。



今日も雨が強くてなかなか前に進むことができずにいて、少し苛立っている様子だ。



「あぁ。先に進んでるぞ」



毅が木々の中へ入っていく哲也へ向けて声をかける。



この辺の道は飛ばされてきた木の枝や葉っぱの吹き溜まりのようになっていて、今までよりも滑りやすくなっている。



自然の体に力が入り、全身がガチガチに硬直してしまいそうだ。



毅は時々草木に足をとられそうになりながらも慎重に前進する。



晴れている日ならハイキングコースにもなっているくらいだから、今日中に下山したかった。



下山できなかったとしても、せめてスマホの電波が届く場所には行きたい。



そう思って時折スマホ画面を確認してみるものの、相変わらずの圏外だ。



もしかしたら電波塔が倒れたりしていて、この辺一体の電波がなくなっているのかもしれない。



そう考えると自然と舌打ちしてしまう。



下山できてもすぐには人に連絡を取ることができないということだ。



山から離れて人家を探さないと、助けは来ない。



「ねぇ、哲也の戻りが遅くない」



色々と考えながら進んでいると結が後ろから声をかけてきた。



唯一女の中で生き残った結は運がいいとしか言えない。



いつ身代わりに殺されてもおかしくなかったはずだ。



「そういえばそうだな」



振り向いてみるともう随分と歩いてきたことがわかり、哲也が山へ入っていった場所はとっくに見えなくなっていた。



ゆっくり下山していたつもりが、つい足早になってしまっていたみたいだ。



「待ってみる?」



結の言葉に毅は一瞬顔をしかめた。



雨脚は強いままだし、できれば立ち止まりたくない。



立ち止まってしまえば疲労を感じて、二度と動けなくなってしまいそうで怖かった。



かといってこれ以上先へ進んで毅をおいてけぼりにしてしまうこともはばかられる。



少し思案したたと、毅は山の中へ向けて歩き出した。



「山の中で迷ったのかもしれない。探しに行くか」



ただのトイレだからそう奥の方まで行くことはないはずだけれど、念の為だ。



「それなら私も行く」



結の言葉に毅は否定も肯定もしなかった。



もしも足手まといになるようならその場においてくればいい。



毅にとって結はその程度のクラスメートだった。



「好きにしろ」



毅は短く答えて山の中に足を踏み入れたのだった。


☆☆☆


一歩踏み込むと足ともに蓄積している木々の枝がバキバキと音を鳴らす。



普段はもう少し整備されているのだろうけれど、長く続く悪天候のために足元は最悪だった。



落ち葉が山積しているため、その下にある蔦植物に気がつくことができず、足をとられそうになってしまう。



毅の後ろでは結がなんどもこけそうになっている。



「くそっ。なかなか前に進めないな」



想像以上に足元が悪くて舌打ちしたしまう。



山の中は雨音ばかりが聞こえてきて、哲也の姿はまだ見えない。



あいつ、どこまでトイレに行ってんだよ。



まるで女子のように周囲を気にして奥へ奥へと入っていってしまったのかもしれない。



一度来た道を振り向いて確認する。



まだ迷ってしまうほど奥深くまでは来ていないから大丈夫そうだ。



哲也を探しに来てこっちまで迷子になったんじゃたまらない。



そして再び歩き出そうとしたとのときだった。



不意に足元の地面が途切れて崖が出現していた。



毅は「うわっ」と声をあげて立ち止まる。



崖の幅が狭くて気がつくことができなかったのだ。



「大丈夫?」



ようやく追いついてきた結が崖下を見て唖然とした表情を浮かべる。



幅は狭いと言っても1メートルくらいはある。



崖下は5メートルほどか。



地面には枯れ葉が積もっていると言っても、落ちたら怪我くらいはしそうだ。



「飛び越えていくか」



「危ないよ」



たった1メートルほどの幅であれど、足元は悪い。



着地したときに足を滑られて落下しないとも限らない。



どこか、崖の切れ目があればいいけえれど……。



そう思って毅が周囲を確認してみると、不自然に草木が積もっていない箇所を見つけた。



近づいてみるとそれは筋道のように崖下へと続いている。



嫌な予感が一瞬にして毅を飲み込む。



そっと覗き込むようにして崖下を確認してみると、そこに哲也の姿があったのだ。



「哲也!!」



咄嗟に声を張り上げる。



哲也は落下した衝撃のためか気絶していて、目を閉じている。



顔色は悪く、頭部から血が流れているのがわかった。



「嘘でしょ……」



結が息を飲んで後ずさりをした。



ここまで来たのに、こんなことになるなんて!



「哲也しっかりしろ!」



どれだけ毅が声をかけても哲也は目を開けない。



容赦なく降り続く雨がどんどん血を溢れさせているように見える。



哲也の手足はあらぬ方向へ曲がっていて、まるでもっと高い場所から落下したようにも見えた。



「哲也!!」



毅の声は風雨にかき消され、消えていったのだった。

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