第23話 心の内にあるもの 2

 俺はシャドウを待つ間、妖精国の秘密部屋にいた。自分の中の本能を支配するために用意した魔術部屋だ。現実の寝室と変わらぬ部屋に人魚の手足が散らばる。

 

 悲鳴を上げた寝台から降り、汗もかまわず、本棚の間を通り抜ける。地面にはめ込んだ25メートルの硫酸の水槽に想定外の人魚セイレーンがいた。波打つ髪の間からのぞく顔はアナだった。


「俺が次に何をするか言い合てたなら、見逃してやる! 言い当てなかったらお前を喰うぞ!」

「入る。壊れる。入る。壊れる」


 壊れた録音機のように彼女の声を再現するな!


「なぜ逃げない、なぜアナの声と顔を模倣した!」

「入る。壊れる。入る。壊れる」


 俺は人形を道連れにプールに飛び込む。抵抗した人魚の黒髪が水面に広がり溶け始めるが、無邪気に笑っていやがる。俺はワニの口で体をむしゃぼる。人魚は泡となり、食いちぎられたアナの頭部を抱えて俺はプールの底で共に白骨化する様を見届ける。


 脱落志願者を矯正するための魔術は最悪な形になる。不道徳空間ノンモラルスペースは一昔前に流行った。犯罪抑止剤、セーフティとして認められたのだ。


 俺は弱わっているのか? 

 だがプール底を眺める視点がおかしい。

 俺の意識は人魚と沈み白骨化したはずだ。


<気づいたかい、ニール君『人喰いワニのジレンマ』……本家は赤ん坊だっけ? それに女ではなく人魚を使うとは君の優しさかな?>


 隣に現れた黒髪の男をにらむ。人魚の顔を弄れる犯人はこいつしかいない。


「ここはプライベートゾーンだ。侵入を許した覚えはないぞ、シャドウ」


<この世界から脱落したいのかい? 浸りすぎるとそのうち本気で妖精……システムに喰われるよ?>


「あっちの寝室も見たのか?」


<わきまえているさ。それに非難もしない。俺も上官を頭の中でぶち抜くし、暴力性は化け物と自認する君の特権ではない。硫酸水で肉体を溶かしては回復魔法を重ねループする体験なんて見過ごせなかったんだよ>


「……励ましに、来たのか?」


<人類を代表した常識を述べたまでさ。執務室へ戻ってこい。俺は骨やただれた肉の塊と話したくはないんだ。幻覚も現実と等しいし>


 シャドウがプールサイドの本棚を順に動かし、書庫に変え、夜の街に繋げた。アスファルトに打ちつける雨の中、俺の手を引いて飛翔する。摩天楼の間を駆け、曇天を抜けた空は森だった。

 大樹の窪みに俺たちは降り立つ。窪みの中は海底で、ひとかきすれば執務室の天井が見えて長椅子カウチ魔法船ベッセルで俺は目覚めた。


 懐中時計をみると深夜だ。あれから3時間も罪悪感と欲望に付き合わされていたらしい。



『親父は反逆者だ! お前が成績優秀者で俺たちはの仲間は落第? 納得できねぇ!』

 同級生たちの手にある新聞には、父が犯罪に手を染める様子が書かれていた。8歳でもわかるように。王家の壁を破壊して回す父、自動人形に取り押さえられる父、処刑前に見せしめる磔にされる父の写真だ。

 授業終了と同時に椅子から引きずり下され、新聞投げつけられた。沈黙する俺に飛んでくる拳の気配が止まる。


『醜いフェイクを信じるのか。ま、醜さなら君らもいい勝負をしてるな』


 紅い瞳で不敵に笑う。一度も授業に出席しないのに全学年一位の優等生が、なぜ現れたのかは分からない。同級生たちは後ずさった。

 

 偽善はうんざりだ。彼らのストレス解消のためなので、標的を変えられたら困まる。自分の異様な回復力を有効活用しているだけだ。彼らには生死を分かつテストからくるストレス解消が必要だ。


『君に関係ない。見たいものを見る奴らに君が諭しても通じない。時間の無駄だ』


 俺は余計なお世話だ言わんばかりに睨みつけた。彼が口端を上げて笑う。


『そう言う君は、俺の千里眼紅い目を怖がらないんだな』

『好きな事だけ信じる奴より、マトモだろ』


 シャドウは今度こそ紅い瞳を見開くと愉快そうに笑った。初めてルームメイトに姿を見せたくせに。


。よろしく頼む。俺はシャドウだ』


 シャドウは俺の手を強引に握ってほほえみ、俺の前で彼らに宣言した。


『偽善に犠牲を捧げてもあの子たちや俺の妹は喜ばないよ、ニール君。俺の千里眼は君が優しい人間だと知っているが、喋れない幼児を標的にするコイツらこそ恐怖に支配され、あの子達のストレスを体感するべきだと思うな』


 それから箱庭では自動人形達の死角で幼児が年上の子どもらに搾取されることが無くなった。



<懐かしい感傷に浸ってるところ申し訳ないが、話しても良いかい?>


 ため息をついて、俺は誰もいない執務室の壁をにらんだ。俺の記憶を見たな。


<シャドウ、今日はしつこいくらい見ているな?>


 彼の千里眼は事象外にも他人の心を見る。彼に言わせれば、記録の閲覧と変わらないらしい。


<しつこいのは昔からさ。……報告が君にどう作用するか慎重なだけだ>


 日中、アナスタシアの調査をシャドウに頼んだ。妖精に聞いても肝心な情報は教えないから、彼を頼った。


<それで? アナの誕生日は分かったか?>

<出生記録の照会や治療院のカルテは調べたろ?>


 俺は長椅子から立ち上がり、キャビネットにあるガラスの瓶を開け、グラスに酒を注ぐ。


<調べた。戸籍もな。だがお手上げだ。手術カルテも誕生日は照合しない。バラバラだった。どういうことだったんだ?>


 グラスの酒を飲んで執務室の机に腰を預ける。


<記録どおり1月1日、1月10日、1月11日、10月1日、10月10日、10月11日、11月1日、11月10日、11月11日の9日分祝うのはどうだい?>

<俺は本当の誕生日に特別なものを贈りたいんだ>

<情熱的だね。昔風に結婚指輪を贈るのかな?>


<秘密だ>

<ケチだなぁ、特別なプレゼントを9つ贈ってやったらどうだい?>

<シャドウ、人間が産まれるのは人生で一度だ。自動人形の更新日とは違う。アナは人間だぞ?>

<自称化け物がそれを言うと興味深い>


 シャドウはぐらかしたいようだ。


<俺は……彼女が望むような子どもは無理だから何か別の特別なことをしたい>

<ニール君も別れたくないんだな? 仕事の合間に養子縁組の申請方法を調べてるよね? でもさ夫婦には子を育てる意外の関係もあるはずだよ?> 


 ……また勝手に人の記録を……グラスに残った酒を全て喉に流し込む。


<手を出して期待させたくない。身体を繋ぐことばかりが夫婦でもないだろ。避妊具は魔法印しか無いんだ。貴族が押したら労働者階級に堕ちて、自動的に離婚だしな>

<階級社会を超えたラブロマンス。ご夫人の読書履歴にもあるよ。タイトルを読み上げようか?>


<いらん! もったいぶらず千里眼で見た結果を教えろ>

<酒が美味そうだ……そこへ行こう>


 部屋中の影が集合し、軍服姿のシャドウが現れた。魔術転移に今さら驚かないが、こいつはプライバシーという概念が欠如している。


「シャドウ……人の家に上がるマナーとか考えないのか?」


 憎まれ口にも動じず、キャビネットのグラスと瓶を転移させ、下の広間にある椅子を二脚呼び寄せた。今が深夜でなければ、ソファーが消えたと使用人が大騒ぎするところだ。


「まぁ、座れよ、ニール」


 ここは俺の屋敷なのだが……。

 彼は俺にも酒を注ぐと向かい合わせのソファーにかけた。昔から身勝手だが改めて身勝手なヤツだ。


「座ったら絶対、話せよ」


 そう言ってソファーに座ると、シャドウは赤い瞳を伏せた。


「本当の日はないよ。……彼女はキメラだからね」


 キメラ……魔石移植患者の蔑称に、胸が焼けるような怒りが込み上げるのを抑えきれなかった。

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