第21話 相性98%の威力
俺の隣でアナスタシアはドレスを持ち上げ、玄関ホールで上品に別れのあいさつをした。
「シャディ、ありがとうございました。ご家族にもよろしくお伝えください」
「もちろんよ。誤解が解けてよかったわ。せっかくお誘い頂いたのに、調べもので忙しくて……辞退してごめんなさいね」
シャドウは意味深な視線を俺に向け、口元を動かさずに言葉を紡ぐ。
<ニール、頼まれた調べ物は終わったが、明日言うよ>
<食事が終わったらこちらから連絡する>
<おやおや、そんな時間あるのかい? 喧嘩の後はたっぷり愛し……>
念話を切り上げた反動で側頭部が痛み、片目をつぶって耐えてからシャドウをにらみつけた。アナは疑うような視線をこちらに向けた。
「どうしたの?」
「いいや、何でもない。シャディ、早く帰らんと君の家族が心配するぞ?」
御者を手招きした俺に、シャドウは物言いたげだったが強制的に帰らせ、アナと広間に戻った。
壁面本棚にでたらめに入れた本が、分野、著者名順に整然と棚の前に積み上げられている。さすが文化司書、仕事が早い。だが家族として任せきりもよくないだろう。袖口のカフスを外して袖をまくった。
「先に食べておいで。本の片付けて後で食べる」
「私の仕事よ? それに一緒に食べられないの?」
残念そうなアナスタシアを見て、己の失言に気づく。謝らなくては……だが口を開く前にシャドウの声が脳内に響く。
<ニール君。謝りたいなら、ハグかキスしてやれ>
<のぞき魔め! いい加減にしないとエミリーにいいつけるぞ!>
<わかったよ、そんなに怒鳴るな。頭が痛くなる。先に妖精ノ国に降りてるよ>
シャドウの声が消え、静寂が訪れた。頭が痛いのはこっちの方だ。アイツは余計な一言が多い。
アナが黙っている俺を伺うように近寄ってきた。
「また眉をしかめて……頭痛?」
「いや、そうじゃない。さっきの言葉は取り消す。悪かったよ、一緒に食べよう」
*
だがアナは元気がない。いつもはペロリと食べるのに、フォークが前菜の上をさまよっている。何か話したいのだろう。こういう時、夫婦ならどうするのが正解なのか俺にはまだわからない。
「……あのね、ニール。おばさまの贈り物はより分けて青少年育成センターに寄付したの」
「そうだったのか。……ありがとう、たくさん溜まっていたものな。今度は私がするよ」
妊活サプリや滋養強壮剤は使わんだろうが、大量の新生児用のおむつ、哺乳瓶、母乳パッドは併設した乳児院で使い道がある。だが、胸のうちに複雑な想いが湧き上がる。俺の都合でやりきれない想いを彼女にさせているのだから。
「言いたかったのは、その話か?」
「え? あ、えーっと、本棚の片付けは私の仕事だから任せといて」
……何かはぐらかしてるな。たが、彼女から仕事を奪うつもりはない。
「私の蔵書なのに君だけに片付けを押し付けて悪いと思ったんだ……だが、本当の悩みかい?」
アナはようやく俺を見つめた。本題を話す気になってくれたことが、嬉しくありがたい。
「貴方を知りたくて……秘密にして出かけてごめんなさい」
「いいや、構わないよ。俺も話せていなかったしな」
パートナーは互いを知る権利が保障され、情報開示が求められている。繁栄の義務を遂行するために認めれた権利なのだ。
俺が生徒から標的だったことも知られたかもしれないが仕方ない。
「ユーサは元気だったか? 話が通じにくい妖精だがずいぶん彼には世話になった」
アナは従者のジョンが配膳しかけたスープを手で下げさせた。
本当にどうしたんだ? 俺の過去に同情したのかもしれないが……俺はシャドウと出会えた
「ご両親の話を聞いて……子どもをつくりたくない理由かな、って……」
そうか……彼女は俺の両親を知っても……俺に嫉妬してくれたのか。家柄とか生い立ちとか君は気にしないんだな。
「いや、両親は関係ない。それにできないと言った方が正しい。なんと言うか……化け物だから」
俺は打ち明けることを恐れている。彼女にどんな目で見られるのか、それを受け止める覚悟がまだできていない。
「ニール、化け物だなんて言わないで! それに親とあなたは別よ。ユーサは男性としても完璧だって言ってたわ」
ユーサ……妖精は一言多いのが厄介だ。だがもっと厄介なのはアナの言葉だった。
全身の細胞とホルモンのアンドロゲンが身体中を巡るさまがわかる。失われた俺の中の本能たちは、全身全霊で彼女を欲しろと呼びかける。
だが、欲望のままに発情する動物じゃない。いや今は動物になりそうだ。アナスタシアに近づきたくない。
「できないは、精神的な意味だ。君を汚したくない。君は神聖すぎる」
アナが首をかしげると、髪が魅力的にゆれた。
「私は、普通よ? ニール、ハグしてもいい?」
君の唇は口紅がなくとも赤すぎる。抱きしめてしまえば間違えなく、俺は確実に君を傷つける。
「アナ、今はやめてくれ。食事中だし……」
それ以上は言葉にならない。大量の冷や汗が背中から吹き出る。妖精の国、秘密部屋でやってきた数々の所業。発情の覚醒と発散が、顔をのぞかせ脳裏に再現する……。
アナスタシアの腕が伸び、俺を抱きしめようとした。
椅子から乱暴に立ち上がり、驚く彼女を両手首をつかみ壁に縫い止める。紫色の瞳が驚きで見開いている。獰猛な獣の目が写り込む。彼女の首筋、やわらな膨らみが上下するさまに視線が吸い寄せ、くそっ!
「ジョン!」
怒鳴り声に飛んでやってきたジョンがギョッとした目をした。
「……氷嚢を二つ持ってこい」
「は、はい。ただいま」
息を吐いて手を離すと、アナがへたり込む。離した細い手首は手形がつくほど赤い。最低だ。
「強く握ってすまなかった」
「ニール……怒らせてごめん……」
「いや、君のせいでも私の父や母のせいでもなく、俺の問題だ。ジャドウと会うまで俺は箱庭で化け物と言われていた。今は君が……どうしょうもなく俺を掻き乱す。だがめちゃくちゃにしたくはない」
「欲望を押し込めようとするからじゃないの?」
痛いところを突かれた。アナスタシア、良い子だからわかってくれ。
「いやダメだ……衝動を暴力にしたくはない。すまないが今日は休むよ。処置はジョンに頼んでおく」
氷嚢を持って走ってきたジョンに「アナを頼む」と告げ、寝室へ駆け込むと鍵を乱暴に閉めた。くそっ! こんな風にはしないと決めたはずだ!
ひと月前、王城で出会ったアナスタシアの姿はひときわ目立っていた。まっさらな雪原のような肌に落とされた墨色の長い髪。緩く波打ち、華奢な輪郭を強調するドレスを引き立てた。細い腕とスッと伸びた首筋。顔立ちは柔らかく、付添えの夫人と会話する度に表情を変えて見飽きることがない。
事前に送られた肖像画は少しあごをあげ、澄ました顔だった。オベロン国王の格式を重んじ、微かに冷徹な印象の抱かせた有名な肖像画のオマージュのようで好かなかった。
だが実際はどうだ。冷徹な印象とは程遠く、非常に厄介だ。形式上の結婚を目論んでいたが、打ち砕かれた。誓いのキスは触れずにしなかったのに、これが相性98%の威力か?
それでも作られた俺の血統が君たち人間を犯すのを俺は回避したい。
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