第14話 想像よりも
「……おお」
さすがに私も最後までは言えなかった。彼の体格の良さから予想できたし、じ、事故だし、ニールも私を(視診だけど)見てるし。……でも想像よりすごい……。
「アナ、見過ぎだ。
視線をずらせば、確かに色白のたくましい太ももはうっすらと赤くなっている。
「紐はもらう」と彼は私の手からバスローブの紐をもぎ取るとシャワールームへと行ってしまった。
彼が去った後で、顔が赤くなるのがわかった。嬉しくて思わず両頬を手のひらで押さえた。あれなら繁栄の義務だって容易いはず。でも彼が自制するのはなぜ?
タイミングの問題? なら今こそ、バスルームに行かなくちゃ。ワクワクしつつバスルームの扉を開けると、すでにニールは腰にバスタオルを巻いてしまっていた。彼は腕を組むと私を見下ろす。
「アナ、貴族として慎みを持ったらどうかな?」
「や、やけどは大丈夫かと思っただけよ」
「すぐに冷やしたから、大したことないよ」
「その……辛くはないの?」
彼は怪訝な表情を浮かべた。
「軽いやけどで辛いはずがないだろう? 服を着るどいて。アナもシャワーで頭を冷やすかい?」
「二人で一緒に浴びてみたりしない?」
「アナっ!」
鋭い一声にびくりと肩をすくめて見上げると、ニールはため息をつく。
「もうすぐ食事の時間だ。言っておくが、君がこれから食べるのは私ではなく海の幸だからな」
「うぐっ」
言おうと思ったセリフを先取りされちゃったし。ニールは言葉を詰まらせている私の横を素通りして奥の部屋に行ってしまった。
ニールの強靭な自制の精神を崩すにはまだ道のりは遠いらしい。
夕食はスイートルームの防風林に張り出したテラスで食べた。海産物のバーベキューは立派なロブスターや帆立、それにサザエや見知らぬ魚。磯の香りがライトアップされた林の中をたゆたっていく。
「アナ、どうぞ」
ニールはロブスターの背を両手で容易く割ると白い剥き身を取り出し私の皿に置いてくれる。白くそりたつ甲殻類を眺め私はため息をついた。
「あなたほどじゃないけど、彼もとても立派よね」
ニールはゴホッゴホッと白ワインを咳き込んで、私を非難するように見やった。
「アナスタシアいい加減に……」
「知らない? ロブスターって脱皮する度に新しい臓器に再生させる力があるのよ。私の身体も再生できたら魔術師だって目指せるのにって思っただけ」
「そうか……魔術師になりたいのか……」
「そうよ。魔術具無しでも念話できるし、
「必要だと思ったからだよ。私の育った施設には捨て子が毎日のようにやってきたから」
ニールはナイフを動かしていた手を止めた。
「5歳から15歳までの10年間は王立青少年育成センターで過ごしたんだ。母は私を出生後に亡くなった」
王立青少年育成センターは様々な事情で集団教育を施される孤児院だ。
「あなたのお父様は5歳で亡くなられたの?」
「まぁ……そうだ。施設では毎日のように労働者階級の母親から新生児が産まれるが母体は保護しない。だから運が良ければ街へ戻り、運が悪ければ水槽に沈められる。そういう場所だった」
「えっ? 労働者階級は産めないんじゃ?」
「それは魔術師が魔法印を押した男女の話だ。だが商売のために術式で魔法印を解除する輩もいる。己の快楽とリアリティの追及し生命を顧みない連中が許せなかった。だから産婦人科医になり魔術印を施せる魔術師の資格も手に入れた。必要だからな」
「つまり女性を助けたかったってこと?」
「女性だけじゃない。子種を換金して生計を立てさせられる男達も救いたかった」
パチっと薪が弾ける音が静かな林に響いた。ニールは白ワインを飲み干すとボトルの酒を注いだ。
「あなたは正義感が強い立派な人ね」
「昔はね。魔術印を施して違法行為に堕ちた者を助けようともした。三年間は謹慎処分で屋敷から出られなかったが戻ってみれば、己の欲望のため同じこと繰り返ていたよ。だから面倒は見る事はやめた。や立派でもなんでもない」
早いピッチでニールがワインを飲み干す。せっかく助けても危険な行為を繰り返されたら私だってうんざりすると思う。真面目な彼ならなおさらだろう。
「それでも私はお医者様として列車で急患を助けたり、私の石化を心配したり、十分立派だと思うわ」
ニールが目を細めて腕を伸ばした。私の頰にかかった黒髪をそっと撫でて耳にかけてくれる。
「アナスタシア。生きようとした君こそ立派だよ」
薪の炎に揺らめく優しい青い瞳が私を射止めた。抱きしめたい衝動をロブスターにかじり付いてやり過ごす。こんな優しい人に貴族の義務を振りかざし、男を求めた自分が恥ずかしい……でも。
ニールが顔をしかめた。
「アナスタシア、泣いているのか?」
「違う、煙が目に沁み……」
私はとっさに嘘をついたが、本気でバーベキューコンロから煙が立ち昇っている。
「ニール! マグロ、マグロが燃えてる!」
私の声に反応したニールが慌ててピッチャーに入った氷水を炎の塊になったマグロに注ぐ。
じゅっと音を立て白煙が上がる。マグロは水びだけど、そんなハプニングがありがたかった。
夕食を終えたマグロと一緒に煙に燻されたので温泉に入る事にした。とはいえバスルームは大自然の中、海の音が近くから聞こえる岩場にあった。ニールがランプを岩肌に置いた。
「アナ、足元に気をつけて」
ランプの灯りが彼の鍛えられた身体の陰影を妖艶に照らす。私がモジモジしているとニールが一歩近づいた。
「怖かったら手をもつかい?」
ニールのハーフパンツが視界に入る。ランプに照らされエマが用意してくれたワンピースの水着に髪をまとめた私が映っていた。隣には水着姿のニールが私を見下ろしている。澄んだ湯船の底は思ったより深そうだ。
心臓の音がやたら大きく響いていた。
「……やっぱり、やめとく。部屋でシャワーを浴び………きゃっ!」
私を抱き上げたニールの顔が近くなる。ランプに照らされた流し目が妖艶で美しい。
「怖いのか?」
「ごめんね、泳げないわけじゃないのだけど……」
「なら、しっかり抱きついていて。一緒に入ろう」
むりーーーーっ!
声が出ずに思わず彼の首に抱きつく。彼はゆっくりと岩場を降りて、一度私の足先が湯に触れるところで止まってくれる。見た目より水温は高い。水槽じゃないんだ。ニールがゆっくりと深い場所へ運び肩がつかる頃には彼に抱きつく腕を緩められた。
「ありがとう。入ってみたら思ったより怖くはないわ。大きな水槽じゃないってわかったから」
「水槽? もしかして遺体処理用のか?」
「うん、手術を嫌がったら沈んでいくのを見せられたの『あんな風に溶けてしまうわよ』って」
彼は苦虫をかんだように顔を歪めた。
「すまない。『水槽』がトラウマなら上がろう」
「大丈夫。何度か見たからそう感じたのよ」
「そんなに生死の淵を彷徨ったのか?……」
「違うわ、手術を受け入れる……」
とっさに口をつぐむ。これではまた彼を困らせてしまう。そっとニールを伺うと「辛かったな」と呟いて私を抱いたままお湯から上がり、洗い場の椅子に座らせた。髪を解かれシャンプーをされる。
「お詫びにアナの髪を洗おう」
「は、恥ずかしいし、自分でするわ!」
「何を今さら。洗剤を付けるから目を閉じて」
大きな手のひらが私の頭を撫でていく。抵抗を試みたけど頭皮のマッサージが気持ち良くなってしまいには委ねた。大きな両手のひらが私の頭を包み、頭皮が指で丹念に撫でられた。
「施設の頃、友人の髪も洗っていたんだ」
「そうなの。上手だね。気持ちいいわ」
「文句が多い奴だったから鍛えられたんだよ」
彼は笑い、その繊細な手つきに優しさを感じた。流し終えて目を開くと、ニールは深刻な眼差しでを向けた。
「アナスタシア、頼みを聞いてもらえないか?」
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