4.ここから出たい
011
「──よし、じゃあ行こっか」
善は急げ──もとい猶予がない──ということで。
深淵層攻略を宣言した三十分後には準備運動を終え、メイは自身の体の調子を確かめていた。
(落下のダメージとエネルギー不足はまあ、まだ許容範囲内として……)
兎にも角にも、片腕を失ってしまったのが大きい。それでも決心したのだからと、メイは歩を進める。隣を這うマリはも゛にょも゛にょいつも通りで、後ろを付いてくる浮遊カメラ越しの視聴者たちの方がまだ、幾分か緊張しているようにも思えた。数秒の内にメイの足先が大穴の直下を越え、それと同時、数日ぶりにあの強烈な害意が突き当たりの曲がり角から向けられる。
「っ……!」
〈マジで行くんか〉
〈うぉぉぉテンション上がってきた!〉
〈即死はつまんないからやめてね。あと死ぬときはできるだけカメラに映るように死んでね〉
〈しかしこの浮遊カメラくんは動きとか捉えられるんかね〉
〈深淵層でも配信できる謎スペックを信じろ〉
好き勝手言うコメント欄も、今は背後にあって確認できない。というかそんなものに気を取られていてはすぐに殺されてしまう。様子を窺っているのか、或いは厳密にはここも安全地帯の内なのか、通路を直進するあいだは、モンスターの気配がメイに迫ってくることはなかった。ただ曲がり角の向こうから、ギラギラとした殺意を向けてくるのみ。
「……っ」
あと数歩で角を曲がれる、という位置まで来たメイは、小さく右拳を握りしめる。歩みを止めることはなく、そのまま──決心と闘志が鈍らない内に──ゆるりと体を前にのめらせ。
「──おらぁっ!!!」
曲がったすぐ先で待ち構えていた最初の一体、赤黒い体毛の人狼めいたモンスターの顔面を殴り飛ばした。
◆ ◆ ◆
(──やばっ)
探索開始から数時間後。幾度目かのモンスターとの戦闘。
通路を覆い塞ぐ程の巨大な黒蛇の頭蓋を踏み砕いた直後、そのとぐろの向こうに潜んでいた小さな蝙蝠のような影が自身に迫ってくるのを、メイは視界の端に捉えていた。右手はまだ蛇の尾に絡みつかれており、隻腕の彼女では迎撃もままならない。鋭利な牙がその鼻っ面に食い付く──寸前に、横から伸びてきたマリの触手が蝙蝠をはたき落としてみせた。
動作としては、ぺちっくらいの雰囲気。しかし食らった蝙蝠は凄まじ勢いで地面に叩きつけられ、グチャアッ!!という嫌な音と共に、原型を留めない程の肉塊と化す。蛇を完全に絶命させ尾を引き千切ったメイがさらなる追撃の有無を警戒している中、背後では一部始終を見ていた視聴者たちが大盛り上がりしていた。
〈マリやべぇぇぇぇ!!!!〉
〈さっきからこの触手めっちゃ強ない??〉
〈反応速度とパワーがヤバい〉
〈カメラが捉えきれてねぇ〉
〈触手がぶんってブレて、次の瞬間モンスターが壁とか地面に叩きつけられてる感じ〉
〈本当にカメラにビビってたやつと同一触手かこいつ?〉
〈これはマリさんですわ〉
〈正直ザコい愛玩モンスターかと思ってました〉
〈煽りまくってたダンハブ民息してるぅ〜wwww?(窒息死)〉
〈そもそもこの黒さで弱いわけが無かったんだよなぁ……〉
〈盛大な手のひら返しはダンハブ民の特権〉
〈【朗報】テンペスト号さん、ガチで強かった〉
「……ふぅ」
他のモンスターの気配は感じられず、ひとまずの難は逃れたと息を吐くメイ。コメントやカメラの様子を見ている余裕はなく、ただ、隣で得意げにうにょうにょしているマリを一瞥するのみ。
「ありがとマリ、助かった」
完全にマリを舐め切っていた視聴者たちとは違い、メイは一応、彼女がある程度以上の強さを持ったモンスターである可能性を考えてはいた。色もそうだが、そも
(強いけど、戦い慣れてる感じじゃない……やっぱ不思議……)
メイの目からは、マリはいま手探りで戦い方を身に着けている真っ最中のように見えた。メイの戦闘を観察しながら、その黒い体に秘めた強大な力を初めて能動的に振るっているような、そんな段階に。
(そういう意味では、不安があるとも、伸びしろがあるとも言える)
まだ底は知れないが、少なくともマリ自身がその辺を闊歩するモンスターに負けるとは考え辛い。むしろ……というかやはりというか、問題は自分の方にある。
「……やっぱ片腕無いのキツイなぁ」
ここまでに遭遇したモンスターたちは勿論強敵ではあったが、一体一体が勝てないほど強いというわけでもない。初日に敵意を浴びて慄いたのは、やはりメイ自身の心身の状態に拠るところも大きかったとも考えられた。
しかしそれはそれとして、身一つでの近接戦闘に特化したメイにとって、片腕を失ったことによる手数の激減や重心のブレは、戦闘中におよそあらゆる動作に大きな悪影響を与えており。要所要所で隙を晒してしまうメイがまだ怪我の一つも負っていないのは、ひとえにマリのフォローのお陰であるといえた。そんな自分を情けなく思うのは、メイにとっては当然のことだが……しかしその戦いぶりを初めて見る視聴者たちは、まるで真逆の感想をメイに抱き盛り上がっていた。
〈イヤごめん、あんたも大概イカレてると思うわ〉
〈なんで隻腕&今の体調でボア種の深淵級をシバけるんですかね……〉
〈アレ下層級個体ですらA級二人以上で戦うのが推奨されてるんすけど……〉
〈出てくるモンスター全部、マリさんほどじゃないけど体色ヤバいんだけどな〉
〈今のところ不意打ちとか数押し以外で危ない場面が無い〉
〈んでその辺はマリさんの触手べちぃっで対応できるし〉
〈正直メイちゃんのこともちょっと舐めてたわ〉
〈やっぱ片腕無くしてもS級はS級なんやなって〉
〈ダンハブ民も掌返しのし過ぎてそろそろ腕無くなりそう〉
〈クソ不謹慎で草〉
〈なにわろとんねん〉
〈ところで、実際深淵層って一人と一匹で攻略できるもんなんですか……?〉
〈なんかワンチャンある気はしてきた〉
〈分からん……パンピーの我々には何も分からん……〉
「まあこればっかりは、実戦で感覚を掴むしか無いかなぁ……マリ、これはどっち?」
カメラに背を向け、自分たちへの称賛にも気が付かないまま、二人は黒光りするボア種の死骸を飛び越えて通路を進んでいく。T字の分岐点に立ってメイが問えば、マリが触手でうにょーんと左を指した。
「ありがと」
ここまでにも数多くあった分岐点の正解を、マリは全てためらいもなく教えてくれていた。メイが脳内で描いている地図は、内側へ内側へと渦を描くように形作られつつある。このままいけば最終的にはこの階層の中心部に行き当たる可能性が高く、また、そこが深部のボス部屋に相当するであろうことも想像に難くない。
やはりマリは非常に聡明で、かつ自分と目的を同じくしている。その理由までは分からずとも、今のメイにはそのことがとにかく頼もしく思えた。
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