09


〈ぶっちゃけその量あればそこそこ耐えられるんじゃね?〉

〈健康体ならな〉

〈この人が二日前に片腕切り落としたばっかなのお忘れで?〉

〈皮膚再生剤ってめっちゃ体力消耗するんすよ……〉

〈そこはS級のなんかすごい感じのアレで〉

〈実際、フィジカル特化ってんなら多少の無茶は効くだろ〉

〈毒食らって四桁メートル垂直落下した直後に腕切断してちょっと寝てから配信してる時点で多少どころじゃない無茶だと思うんですがそれは〉


「まあ実際、安静にしてるべきではあるー」


 本来であれば集中治療室にでも担ぎ込まれているような状況。平静に見えて幾度となく救助を求め続けているのも、少量の水と食料でどこまで体が持つのか本人にも分からないから。睡眠に時間を割いているのもマリと戯れているのも、必要以上に心身に負荷をかけないため。

 ペットボトルを触手で転がし始めたマリを眺めているメイの脳裏に、その中身が尽きる前に助けが来ない可能性が過らないわけではない。


「…………こぼさないでよー。それわたしの生命線なんだから」


 固く閉じられたキャップの縁をなぞっていたマリが、その言葉に一度動きを止める。窺うように幾本かの触手をメイへ向けたのち静かにボトルを立てて置く様子は、まるでイタズラを嗜められた子供のようだった。


〈言葉理解できてるっぽいの何なんだろうな〉

〈一応、モンスターは生息域が深くなるほど強く賢くなるとは言うが……〉

〈にしたって人間と接触したのも昨日の今日だぞ〉

〈理解できてることよりも理解するスピードが早すぎることがヤバい〉

〈テイムで言うこと聞かせてるのとも違うというか、マジで対話できてる感あるんだよな〉


「多分もっと驚くべきことなんだろうけど、今は単純に話し相手がそばにいる安心感の方が大きい」


〈まあだろうな〉

〈おいおい話し相手なら俺たちも居るだろ!〉

〈そうだそうだ!〉

〈水くせぇじゃねえかメイちゃんよォ!!〉

〈おぢさんと四六時中おしゃべりしようねぇ……♡〉


「あんたらは性格悪いからイヤ」


〈それはそう〉

〈ぐうの音も出ない〉

〈リアルでは関わりたくないよね、ダンハブ民〉

〈倫理観終わってるしな〉


「あと内心“倫理観終わってる俺たちカッケー”とか思ってそう」


〈やめろ〉

〈いやbwつに〉

〈なんだろう、図星突くのやめてもらっていいですか?〉

〈事実陳列罪〉

〈S級ダイバーでも言って良いことと悪いことがあるんやぞ〉

〈そんなんだから刺されたんとちゃいますのーーーーっ???〉

 

「めっちゃ効いてんじゃん」


 こういった気の置けないやり取りができるという意味では勿論、ダンハブ民たちもありがたい存在ではあるのだが。やはりこの手で触れられるという点で、マリがそばにいるのは大きい。なんて思いながら今、触れようと手を伸ばしてみたら避けられてしまったメイであった。


〈今は気分じゃなかったみたいですね……〉

〈エッチするタイミングが図りづらい彼女かな?〉

〈構おうとすると逃げていくタイプのネコ〉


「難しいねぇ、マリは」


 付かず離れずの距離を保ちながらメイへ意識を向けたり、半透明なコメント欄を触手でつついてみたり。結局のところ、そんなマリの様子を眺めながら体力回復に務めるのが、今自分にできる最善手なのかもしれない。そう気を落ち着けるメイに転機が訪れたのは、翌日昼過ぎのことだった。

 残念ながら“悪い意味で”ではあったが。




 ◆ ◆ ◆




 メイが深淵層に落ちてから四日目。『パイオニア』は遂に彼女の救助作戦を実行に移した。抜けたメイの穴を埋めるように二名のA級探索者ダイバーをパーティーに加えて再び深層深部まで潜り、リポップしていた灰燼龍と交戦。そして──


「──ムジナが、死んだ?」


 死傷者を出し、撤退。

 配信のコメント欄からメイの目に飛び込んできたのは、クランのリーダーである軽井ムジナの訃報であった。


〈“我々『パイオニア』は多田良メイの身を案じていたが、救助を急ぐあまり結果的に万全とは言えない体勢で深層深部へ挑むこととなってしまった。頭目・軽井ムジナの死亡及び他数名の負傷により、我々主導での救助作戦は一時凍結を余儀なくされた”だとさ〉

〈典型的な二次被害〉

〈まるでメイが救助を急がせたせいで犠牲が出ましたとでも言いたげだな〉

〈実際こいつのせいでムジナが死んだようなもんだな〉

〈それを言うならこんな状況を引き起こしたサフラが全部悪いだろ〉

〈サフラがやったって証拠あるんですかぁ〜?〉

〈左腕は毒で全部溶けたんでしたっけ〜??〉

〈やってないんだったらサフラはもっと堂々と顔出してりゃ良いんじゃないすかね〉

〈そもそも救助を求めること自体に罪は無いだろ〉

〈S級なんだから自力でなんとかしたら?〉

〈他クランとか海外勢の援助断ってるギルドが悪いのでは?〉

〈S級の救助もたついて、やっと動いたと思ったら国内トップクランのボス(A級探索者ダイバー)が死にましたとか世界の笑いものだろこれ〉

〈もうなんもかんもきな臭いぞこの案件〉


 いつも以上に多く、そしてささくれ立っている視聴者たちは、メイを非難する者と擁護する者とで半々ほどに割れている。洪水のように流れる対極な言葉たちの中から、メイは意識的に、感情ではなく情報を拾い上げようと目を忙しなく動かす。国内最強のクランが失敗したことにより、『ダイバーズギルド』は“これ以上の二次被害を出さない為にもより一層慎重に事を進める必要がある”との方針を表明。それは事実上、地上からのメイの救助が完全に停滞することを示していた。


「…………」


 ぐるぐると、メイの頭の中が揺れ動いていく。考えるべきことは多く、今この場で言うべきこともきっとあって、しかしただ“ムジナが死んだ”という事実が、思考をかき乱す。


(わたしのせい……?いや、そもそもの元凶はサフラだ。それは間違いない。だけど……)


 そう簡単に割り切れる話でもない。確かにここ数年ほどは、自分を見るムジナの目にうんざりしてはいた。それが原因でクランを抜けようとも思っていた。しかし、自分を助けようとして死んだと言われて何も思わないほど、仲間意識が失せていたわけでもない。


(どうする……どうする……わたしはいま何を思って、何を考えて、何を言うべき……?)


 全くと言っていいほど思考が纏まらない。ショックはある。知人が死んだことと、助けが来ないかもしれないということ、双方の。優先すべきことが分からない。カメラの前で胡座をかいたまま、既にコメントなど追っていない瞳が、それでも微細に揺れ動く。最早それは、ただ声に出して叫んでいないというだけのパニック状態で。

 常ならぬメイのその様子に、隣に佇むマリがもぞりと身動ぎした。

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