37 物思い(※沢西春夜視点)


 春の日向のような微笑みを向けられた。


「私、春夜君が好きだよ」


 彼女はそう口にした。足早に屋上を後にする彼女の背を呆然と見送った。





「好きな人に『好きだよ』って言われた。これってどういう意味だろう?」


 午後の休み時間中、友人に尋ねた。机に上半身を伏せて、昼休みに明に告げられた言葉の真意について考えていた。一つ前の席に横向きに座っていた友人・湧水(わきみず)七瀬が紙パックのリンゴジュースを啜っていたけど、その音が聞こえなくなった。顔は横向きに伏せたまま、ちらと目を向けて奴の表情を窺う。彼はストローから離した口をあんぐりさせこっちを見ていた。


「いや、そのままの意味だろ」


 言い切られて胸が詰まった。


「……んだよ。自慢話か?」


 湧水が笑った。長くてうっとうしい前髪に覆われて、その目元は見えない。湧水が前髪をもっさりさせているのには訳があった。目付きが鋭くて近所の子供に怖がられるらしい。


 オレも見せてもらった事があるけど……確かに。湧水が普通の表情をしていると言っていた際も、こちらに向けられた視線は怒っているように見える。


 その時、試しに「怒った顔してみて」と要求した。


「分かった」


 湧水が了承した後、こっちへ向けられた目力が強まった。眼光に射殺されるかと思った。


「ヤバイな、お前の目」


「そうだろ?」


 湧水は再び前髪で目を隠した。口元で笑っているのが分かる。やや茶色がかった黒髪はクセがあって、身長はオレと同じくらい。少し痩せ気味の体型なのを気にしているようだけど、目付きに比べたらどうって事ないとオレは思う。



 この間、二日連続で用事があって明と帰れなかった。


 一日目は花織の服選びに付き合った。理兄ちゃんに頼まれて断れなかった。当の理兄ちゃんは花織をオレに押し付けて「用事」と称してどこか別の場所へ出掛けて行った。


 二日目は大きな商店街近くにあるファミレスの一角で湧水の惚気のような悩みを聞いていた。湧水には付き合っている彼女がいるらしいのだが、彼女の意向でその事は秘密にしていると言う。だから彼女が誰なのかも教えてもらっていない。


 あまり訳を話さずに「つらい」とか「あああ」とか打ち震えている友人をドリンクバーのメロンソーダを飲みながら眺めていた。要約すると「恋人に好感を持たれていないかもしれない」と彼は言いたいようだった。


「お前はいいよな。彼女とラブラブで。どうせ毎日一緒に帰ってるんだろ?」


 妬みの込められたような言い方に少し笑う。オレも愚痴をこぼしたくなった。


「オレはお前が羨ましいよ」


「は? 何でだ?」


 オレの言動が理解できないと言いたげに聞き返してくる友人から目を逸らした。メロンソーダの泡を見つめる。『本当に付き合ってるから』とは言えず「こっちも色々あるんだよ」と濁した。坂上先輩とは付き合っているフリをしているだけで本当には付き合っていない。これは彼女とオレだけの秘密なので当然、湧水に教える気はない。


「そもそも好感を持ってなかったら付き合ってもいないだろう。話を聞いてたらお前の彼女、付き合った最初の頃からそんな感じだったみたいだし。あまり悲観しなくてもいいんじゃねえの?」


 思った事を言ってみると湧水の表情が少し和らいだように見えた。


「そ、そうかもな。でも俺が言いたいのはそこじゃないんだ」


「何だよ?」


 問うと友人はテーブルに突っ伏して打ち明けた。


「遠くから見かけた彼女が可愛いんだよォ。彼女の夢を応援するって決めたのに。最近全然会えなくてつれェ! 心折れそう。だから毎日でもイチャつけるお前が正直憎い」


「そうか。それはつらいな」


 さらっと流したオレに湧水が顔を上げて睨んでくる。前髪で隠れていたけど、隠れていなかったら怯んだかもしれない。


「他人事だと思って……」


 湧水は呟いて口をへの字にした。



 復讐の為に明と岸谷先輩を付き合うよう仕向けて二人が付き合い出したので一緒に帰らなかった日もあった。


 放課後、第二図書室で気を落ち着けようと本を読んでいた。だが全然集中できなかった。そんな時、第二図書室に坂上先輩と内巻先輩が入って来た。二人はオレの話をしている。


「明ちゃん、どうしちゃったの? 沢西って子とケンカでもしたの?」


 内巻先輩の問いに坂上先輩はオレが以前言い含めていた通りに答えた。


「ううん? してないよ。むしろ沢西君に岸谷君と付き合って下さいって言われて岸谷君の告白を受け入れたの。私は本当は沢西君が好きなんだけどね」


 その後、坂上先輩はやって来た岸谷先輩と帰った。歯噛みする。オレが計画した復讐の一端とは言え悔しい。そんなオレを内巻先輩が冷めた目で見ていた。


「勝手な事してくれちゃって。明ちゃんに何かあったらあんたを許さないから! 明ちゃんはあんたが好きって言ってたのに何で……!」


「あ。それはオレが言って下さいって頼んだから」


「は?」


 内巻先輩が大きな声で聞いてくる。この際なので言っておこうと思った。


「坂上先輩が岸谷先輩の事を今でも好きなのは分かってます。でも坂上先輩はオレのものです。あいつよりオレを選んでくれた。この手を取ってくれた。ファーストキスだってオレにくれた。誰にも譲る気なんてない」


 暫し内巻先輩と睨み合っていた。


「……明ちゃんを傷付けたら、絶対に許さないから」


 そう言い残して内巻先輩は第二図書室を出て行った。自分は坂上先輩を相当傷付けている癖に自覚なしなのか? 勝手な人だな。


 だがオレも内巻先輩の事をとやかく言えない。オレも内巻先輩に協力した。坂上先輩と親しくなれるチャンスに飛び付いてしまった。だけど後悔はない。たとえそれが坂上先輩の恋路を邪魔する事になっても。オレはオレの欲望の為に坂上先輩の心を踏みにじった。


 誰もいない図書室で独り言ちた。


「先輩が本当に復讐すべきなのはオレです」





 物思いに耽っている間に授業が始まっていた。湧水も前を向いている。


 頬杖をついて考えていた。まだ信じられない。一時は手が届かないと思って諦めようとしていた憧れの人が振り向いてくれた。オレの事を好きだと言ってくれた。


 いつもの気怠い授業の風景さえ何だか輝いて見える。


 今日はこの前行けなかった喫茶店に誘ってみよう。

 顔が緩んでしまうのを止められなかった。

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