あとがき

 実は、『ミカエルの翼』は事実なのです。私は確かに見ました。しかし、その後いろいろと再現を試みましたが、私にはできませんでした。つまり、証拠は何一つありません。そのため、信じていただけるかどうかは、読者様のご判断に委ねるしかありません。後はご興味のある方に託したいと思います。見たときの状況については可能なかぎり小説に反映させたつもりです。より多くの方に私の見たあの「翼」をご覧になっていただけたらと思います。


 尚、記憶の限りにおいて、『翼 』はけっこう精巧に描かれていたように思います。そのため、おそらくレオナルドは、きちんと確認しながらあの『翼 』を描いたのではないかと思います。でも、どうやって? 私たちの場合のように、埃のたまったガラス板でも使っていたのでしょうか? 額縁に埃がたまるのを待って何度が再現しようとしましたが、私たちにはできませんでした。


 『翼 』が構造色の原理を使っているとしたら、光の干渉が起きていたと考えられます。光の干渉にはいくつかタイプがあり、私たちが見たのは、もしかしたら「薄膜による干渉」か「微細な溝・突起などによる干渉」だったかもしれません。つまり、たまたまそういう条件が重なっていたために見えただけったのかもしれません。一方、レオナルドはきっと再現性の高い方法で光の干渉を発生させていたと思います。


 実は一つだけ気になっていることがあります。それは『サルバトール・ムンディ』です。サルバトール・ムンディの左手にある水晶玉は普通の水晶玉ではありません。もし通常の水晶玉なら、映し出されたものは光の屈折により反転して見えるはずです。ところがこの水晶玉に見えるものは、まるでクリアなガラス板を通してみているようです。光学についてかなりの研究をしていたレオナルドがこのようなミスを犯すはずはありません。


 つまり、これはなんらかのメッセージではないかと思うのです。また、『サルバトール・ムンディ』の右手をみると、親指、人差し指、中指の3本が立っています。もしかしたらこれは、“薄いガラス板のような透明なものを複数枚(例えば3枚)重ねてみてみよ”というメッセージではないかと思うのです。即ち、レオナルドは、「多層膜による干渉」を生じさせて絵をみることを伝えているのではないでしょうか? もちろん、これはあくまでも単なる私の推論にすぎませんが・・・。


 最近、私はある絵画に出会いました。それは、『ヘントの祭壇画』と呼ばれる多翼祭壇画です。この作品は、ファン・エイク兄弟(フーベルト・ファン・エイク、及びヤン・ファン・エイク)によって描かれたものであり、1432年に完成したと言われている。以下の記述はウイキペディア『ヘントの祭壇画』より一部を引用したものです。


 [『ヘントの祭壇画』は、板に油彩で描かれた初期フランドル派絵画を代表する作品の一つで、ベルギー王国の都市ヘントにあるシント・バーフ大聖堂(聖バーフ大聖堂)が所蔵している。それは、12枚のパネルで構成されており、そのうち両端の8枚のパネル(翼)が畳まれたときに内装を覆い隠すように設計されている。これら8枚のパネルは表面(内装)及び裏面(外装)の両面に絵画が描かれており、翼を開いたときと畳んだときとで全く異なった外観となる。

 内装上段にはイエス・キリストを中心としてその左側に聖母マリアと右側に洗礼者ヨハネが描かれている。マリアの左隣のパネルには歌う天使たちが、さらにその左隣のパネルにはアダムが描かれている。洗礼者ヨハネの右隣のパネルには楽器を奏でる天使たちが、さらにその右隣のパネルにはイヴが描かれている。

 内装下段には連続した一つの情景が5枚のパネルに渡って描かれている。中央のパネルには「ヨハネによる福音書」に記述がある神の子羊の礼拝が描かれている。緑に覆われた牧草地の中央に祭壇に捧げられた生贄の子羊が配され、前景には生命の泉を表す噴水と、噴水基台から流れ出す小川が描かれており、その川底には宝石がきらめいている。

 神の子羊の周囲には、神の子羊を崇拝するために集った天使、聖人、預言者、聖職者や、聖霊の化身であるハトなどが描かれている。

 祭壇の上に乗せられた子羊の顔は鑑賞者に正対しており、その周りを14名の天使が円形に囲んでいる。子羊の胸には傷があり、この傷口からあふれた血が金の杯に流れ込んでいるが、子羊は聖書の記述どおりに苦悶の様子を見せていない。

 子羊の周りを囲む14名の天使は鮮やかな色彩に満ちた翼を持ち、棘の冠といったキリストの受難の象徴物を持つ天使や、香炉を振っている天使もいる。

 子羊が乗せられた祭壇の前飾りの上部には、「ヨハネによる福音書」からの「見よ、世の罪を取り除く神の小羊(ECCE AGNUS DEI QUI TOLLIT PECCATA MUNDI)」が記されている。

 前飾りにある二枚の垂れ飾りには「イエスは道である(IHESUS VIA)」「真理であり、命である(VERITAS VITA)」と記されている。]


 レオナルド(1452年~1519年)が生きていた時代、『ヘントの祭壇画』はおそらく、イタリアでもかなり有名な絵画であったと思われます。レオナルドもこの絵の存在を知っていたとは思いますが、彼が実際に見ていたかどうかは私には分かりません。


 でも、私は彼もきっと見ていたに違いないと思っています。この絵を見ていないなどということは、芸術家としてのレオナルドの運命が決して許しはしない。そんな風に思わせるほど、この『ヘントの祭壇画』は素晴らしい。少なくともその緻密な構成は、レオナルドさえ凌ぐものかもしれません。


 そして、レオナルドがこの『ヘントの祭壇画』を見ていたであろうとする理由はもう一つあります。それはやはり、彼が描いた『モナ・リザ』です。例えば、以下のように、『ヘントの祭壇画』に描かれている構成要素の主だったものが、『モナ・リザ』に反映されているように思います。

 (1)中央にイエス・キリストが配置され、その右側に聖母マリアが配置されている構成

 (2)『ヘントの祭壇画』の垂れ飾りにある「イエスは道である(IHESUS VIA)」との記載は、『モナリザ』に描かれた“曲がりくねった道”(これは、『サルバトール・ムンディ(Salvator Mundi)』のイニシャルの『S』を表す)に相当するものと思われます。

 (3)作品中では、「聖水もしくは聖血の入った瓶」として記載しましたが、このオブジェクトは、「生命の泉を表す噴水」かもしれません。レオナルドは、『ヘントの祭壇画』に描かれた「生命の泉を表す噴水」と「天使が振っている香炉」とを組み合わせて、レオナルドオリジナルの「生命の泉を表す噴水」を描いたのかもしれません。

 (4)作品中では、「聖杯」として記載しましたが、このオブジェクトは、『ヘントの祭壇画』に描かれた「金の杯」かもしれません。

 (5)「天使のもつ鮮やかな色彩に満ちた翼」と「生贄の子羊」は、作品中に記載した「ミカエルの翼」に描かれています。


 おそらくレオナルドは、リザ・デル・ジョコンド及びジャン・ジャコモ・カプロッティのそれぞれをモデルとして聖母マリア及びイエス・キリストを描き、さらに、聖母マリア及びイエス・キリストをモデルとして、人間の本質である「愛」を描いた。即ち、人間の愛を具現化させた最高傑作、それが『モナ・リザ』なのではないでしょうか。


 そして、レオナルドにこれほどまでの作品を描かせるに至った動機、少なくともその一部が、『ヘントの祭壇画』にあったと私は考えています。『ヘントの祭壇画』を見たレオナルドは相当の衝撃を受けたのでは? そしてそれは、嫉妬にも似た激しい感情を伴うものですらあったのではないかと想像するのです。私には、レオナルドが『モナ・リザ』を通じて、『ヘントの祭壇画』に対して多大な敬意と賞賛を表しているように感じます。そうでなければ、『ヘントの祭壇画』の要素を、これほどまでに『モナ・リザ』に盛り込んだりはしないと思います。つまり、『ヘントの祭壇画』という傑作の存在が、レオナルドの画家としての才能をはるか高みへ導いたのだと、そんな風に思うのです。


                                Mizuki lui

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