第22話 我楽多市

十二月に入るとまだ紅葉が残っている所もあるが、温暖な鎌倉もさすがに冷え込んで来た。

店の座卓も炬燵に替えておいた。

その後の瘴気の方は各自の見回りで一二度箇所づつ見付け、簡単に祓えた程度で大事に至った件は無い。

蒲原先生が鎌倉を去られたのは寂しいが、大佛君と透音さんは三日と空けず茶画詩庵に顔を見せてくれる。

透音さんはお務め帰りにちょっと顔を見せるだけだが、無事な顔を見られるだけでもこちらは安心出来る。

久米君と芥川君も一度泊まりがけで来て、また年明けには句会をやろうと言っていた。

造園の方は私も驚く程の速さで進んでいて、植達さんが言うには庭木を植えるには冬場が最適なので、生垣と花木類は年内にも済ませたいそうだ。

更には私も楽園建立の費用捻出の為にもちょっとした店舗の拡充を考えていた。

田端さんの所へ来ていた大工に聞くと、彼の口添えもありその程度なら正月明けの三四日ほどでやってくれる事になった。

田端さん実は地元では江戸時代からの大立者だったらしい。


そして私が内心かなり期待していた、年末恒例の我楽多市の日が来た。

今年は市場跡に十数軒の業者に加え素人の露店も多く出ていた。

震災でどこからも我楽多の山が出た上に、客の方でも皆生活必需品が不足しているので例年の倍の賑わいだそうだ。

私が入り口から見ているとすぐ大佛君もやって来た。

「朝比奈さん、また良い物がありそうですね。」

「ああ、実は私も期待して来たんだよ。」

勿論以前の古道具屋で見つけたような、神気の籠った何かを探すのだ。

前回でコツは掴めている。

物では無く気配を探るのだ。

そして大佛君がすぐに、と言うより白妙がすぐにそれを見付けた。

端々が焼け焦げ水を被った所は盛大な滲みになっている古文書の束だ。

もう読めない所も多いが束の中の方は比較的無事だ。

下手に触ると破けてしまいそうな古紙をそぉーっと捲っていくと陰陽とか式神とかの文字が見える。

「白妙、お手柄だぞ!」

「これは大佛君の役に立ちそうだね。君古文書は読める?」

「任せて下さい。こう言う物は得意なんです。」

値段を聞くと二円のところを一円五十銭にまけると言う。

まあこう言うものは売るにも買うにも、いい加減な値付けしか無い。

大佛君がさっさと金を払い、古文書の束を大事そうに風呂敷に包んだ。

「では解読があるんでお先に失礼!」

といそいそと帰って行った。


一人残された私はのんびりと続きの露店を見て回る。

ちょっと直せば使えそうな、元はかなり上等な机椅子や本棚食器棚。

渋く年季の入った鍋釜包丁に厨道具。

21世紀ではフリーマーケットで昭和レトロ物など買う事もあった私には宝の山に見える。

この市の全部が大正浪漫かそれ以前の物なのだ。

こうなると神器探しは二の次となり、先ずは店で使う吉野塗の菓子皿二十枚のうち三枚欠けを箱ごと。

色絵伊万里のティーポットとカップ&ソーサーのセット、うち一つ欠け一つ罅の十客組。

和菓子作りに使う大笊や捏鉢。

茶懐石用の塗膳六客などなど、気が付けばもうとても持ち切れない。

市の傍らでやっていた露店の握り飯屋の隅にそれらの荷物を置き、握り飯を食べながら一休みした。

そこからも活発に売り買いが進む市の様子が見て取れる。

その中で何度も私の目が行ってしまうのが、英国製の上部がアーチ型になった食器棚にテーブルと椅子四脚のセットだ。

先程近くで見たが、細かな傷が多い為か格安だった。


和洋折衷様式!

庵の和室にあの英国家具を置いた様子が目に浮かぶ。

大正時代に流行ったこの生活様式は和風を上手く残しながらも、戦後昭和に普及する洋風の家電製品にも適合する。

その後の高度成長期に大量に出現するアメリカだかヨーロッパだかわからないような、様式美も何も無くした似非洋風住宅に比べれば、大正の和洋折衷様式は高度に洗練されていた。

決めた!

私はその店の主人に歩み寄り、

「八幡宮脇の我が家まで運んでくれるなら、この一組を買いたいんだがどうかね?」

「ああ良いとも。丁度帰り道だ。」

「では悪いがついでにこの荷物も頼めないかな?」

「帰りは荷も軽いから、それも荷車に積んでいってあげよう。」

「有難う。では夕方市が終わる頃にまた来る。」

私は主人に手付け金を渡し大荷物を預け、陶磁器類だけは風呂敷に包み両手に下げて一旦帰ろうとした。


市の出口に近い店で品が売れて空いた場所へ、今新たに置かれた物が目に付いた。

神気だ!

それも輝くばかりの神気だ!

それは以前に透音さんが被っていたのと同じような花冠だった。

銀製らしくやや黒っぽく錆びて、地震で落下でもしたのか少し歪に歪んでいる。

一応店主に聞いてみる。

「これは何に使った物かな?」

「うーん、髪飾だと思うけれど詳しくは知らないな。」

「で、お幾ら?」

出したばかりでまだ値札も付いていなかった。

「えーと、幾らにしようか。一応銀だから……六円。」

「…………」

「俺、装身具は専門外で良くわからないんだよ。じゃあちょっと歪んでるから五円!」

「うん、買った!」

私は冠を懐に入れ重荷にも関わらず足取り軽く庵に帰った。

今日は大漁だった。

こういった何が出て来るかわからない市は大好きだ。


あの時の透音さんはこれに生花を付けて舞っていたと思う。

花が付いていないと線彫り模様だけの案外地味な造りだが、模様自体にはかなり古格がある。

歪みは地が薄いので簡単に直せた。

花冠に間違いないとは思うが今度来たら透音さんに聞いてみよう。

一応玉ノ井の浄水で綺麗に洗い、笊に乗せて玉依姫の前で乾かしておこう。

そのうち夕方が近付き私は再び市へ出掛けた。


もうじき日の暮れる市ではどこも店仕舞いを急いでいた。

今日は皆そこそこ儲かった様子で片付けの表情も明るい。

私が荷を頼んである店に行くと、

「ああ待っていたよ、さあ行こうか。」

と彼も機嫌がよろしい。

二人でやっている店らしく家具類の大荷物だった荷車が二台あり、そのうち一台は空なのでここも良い商いだったらしい。


段葛の道を八幡宮まで行き、少し脇の路地を入った我が庵へ案内する。

正月明けに改装予定の居間まで、重い家具を二人して運んでくれた。

私が残金を渡し礼を言うと、

「これは由比浜の華族様の別荘から出た物だが、傷物じゃあ上流の家は買ってくれないし、普通の家には舶来物は売り難くてね。」

どこかで似たようなぼやきを聞いた気が………。

「まあ傷は多いが全て小さな傷だから、この位なら自分で修復出来るよ。元は結構良い物じゃないか。」

「そう、オーク材の英国ビクトリア朝様式だ。無傷ならこの十倍でも売れるんだが、今はどこも震災の傷物で溢れてて倉庫の邪魔にしかならない。」

値段は食器棚が八円、テーブルセットが十円だ。

当時の輸入品は洋書と同じく入手難で、しかも21世紀の日本より遥かに割高だった。

この価格で手に入ったのは幸運だ。

これで念願の和洋折衷の部屋が出来る。

良い家具は百年でも二百年でも子々孫々まで使えるのだ。

「もし良かったらこれよりもう少し傷んでいるが、これと同じテーブルセットがもう一組あるんだが要らないかな?そっちは八円で良いよ。」

「ほう………」

この居間には少し手を加え、店用の客間にするつもりだったのだ。

八畳間だからこのテーブルセット二組あれば丁度ぴったりだろう。

「よし、買った!そちらの都合良い時で良いから運んでくれ。」

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