第2話 呪いは実在するのか
照りつける夏の日差しから目を伏せたまま階段を昇っていく。
その先にある旧校舎は、より太陽に近い場所だが、そこにはちゃんと日影があり、風もそよぐのでいくぶん涼しい。
すれ違うサッカー部の部員たちは楽しそうに笑いながら階段をかけるように下りながら、夏の日差しがギンギンに照りつける校庭へと向かっていく。
まったくもって僕とは真逆の人たち。頭が悪く、単純で、健康的で、社交的で、女子にモテる人たち。
うらやましくはないはずだ。彼らをねたんだところで、僕には何の見返りもない。むしろ自分の器の小ささをかみしめることで余計にみじめになるだけだ。せめて僕は僕なりの楽しみを見つけよう。
山の斜面の沿って並ぶ僕の通う高校の校舎は、斜面の一番下に校庭、その手前には新校舎があり、山の奥へと昇っていくにつれて校舎の築年数が増えていく。
そして、一番奥にあるのが僕の所属する文芸部のある旧校舎というわけだ。ほとんど山奥の木造建築で、その裏はすぐに手の入っていない山だから、日陰になっていて風通しもよく、エアコンは付いていないがそれなりに涼しい。
旧校舎は現在ほとんど使われていない。廃部寸前の部活が寄せ集められた部活棟になっている。二階には軽音楽部の部室と、黒魔術研究部。一階には競技かるた部と文芸部。競技かるた部は現在ほとんど活動をしていないので、実質一階は文芸部だけのものである。
文芸部員は僕一人、つまりは僕が独占しているというわけだ。
旧校舎の部室に鍵はかかっていないが、盗られて困るようなものもたいしてないから問題ない。
文芸部の部室の戸を開けて中に入ると、「遅かったじゃない」という言葉で僕を出迎えてくれる美少女がいた。
伏見ななせは二階の軽音楽部の部員だ。文芸部の部室においてある湯沸かしポットが目当てでいつもふらりと立ち寄っては勝手に僕の用意しているインスタントのコーヒーを淹れて飲む。
「こんなに暑い中、よくホットのコーヒーなんか飲むよな」
僕は鞄から取り出したペットボトルのアイスコーヒーのキャップをひねり、一口喉に流し込む。生ぬるくてとてもうまいとは言い難い。
「アタシさ、冷え性だから。真夏でほとんどエアコンなんて使わないもん」
言いながら、両手で抱えるように持つマグカップに注がれたホットのコーヒーをふうふうしながら口をつける。
「そりゃあ、ななせと結婚する奴は気の毒だな」
「はあ? なんでよ? こんなかわいいアタシと結婚できて幸せじゃない人なんているわけないじゃない?」
「そうかなあ? 僕はとにかく暑いのが苦手だから、家にいるときはエアコンをガンガンにつける。寒さに凍えながら布団をかぶって寝るのが幸せなんだ」
「そういうの、エコじゃないんだよなあ。知ってる? SDGS」
「知ってる知ってる。醤油をかけて食べるとうまいんだよね」
「はあ? 何言ってんのよ。知らないことを知らないというのは恥ずかしいことじゃないのよ。
聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥だよ? 教えてあげようか? SDGS」
「いや、遠慮しとくよ。どうせ僕は生きるも恥じな役立たずだからね」
「よくわかってるじゃない」
「僕はこうみえて賢いんだ」
「かしこい人はね、アタシと結婚する人は不幸だなんて思わないのよ」
「なんか怒ってる?」
「そりゃあ、怒るわよ。アタシと結婚できるんだから暑いのくらい我慢なさいよ」
「ななせのほうこそ我慢すべきだ。寒いなら、上着を着ればいいだけのこと。暑いときには脱ぐと言っても限度があるからね」
「はあ? 何言ってんのよ。部屋を寒くしておいて布団かぶるとか言っておいてさ、矛盾してない?」
「ああ、そうか。確かにそうだ。だったらさ、部屋をエアコンで寒くして、ふたりで布団の中で温めあえばいいんじゃないか」
「ちょ、ちょっと何言ってんのよ! なんでアタシがアンタとそんなことしなきゃいけないわけ? てか、そもそもあんたと結婚なんてするわけないし、変な想像しないでよ」
「いや、そういう前提で話をし始めたのはななせのほうじゃないか」
「あー、もう、なんでアンタっていつもそうなわけ? アタシがさ――」
ななせが何か言っている中、僕のスマホが着信を受ける。
表示されている名前は上田麻里。二階の黒魔術研究部の唯一部員だ。ななせの言葉を無視しながら着信を受ける。
『もしもし、わたし、麻里です。今、二階の部室にいます』
「どうした?」
『どうしたもこうしたもありません、そこで大きな声で痴話げんかするの、やめても
らっていいですか?』
「いや、別にそういうわけじゃ……」
『二階の部室まで声、丸聞こえですよ。それより二階で軽音部のみんなスタンバってます。伏見さんには早く上がってくるように言ってください』
「あ、ああ、すまない」
――謝るしかない。
たぶん僕はどんな女性と結婚しても、尻に敷かれることになるのだろうなと、それだけは自信がある。
ななせが二階の軽音楽部の部室に行き、少しして演奏が始まった。最近ではこの音にも慣れてきて、演奏の中でも普通に読書ができるようになってきた。つまり、僕の集中力はすごいということだ。
しかし、それでも邪魔はやってくる。彼女は足音ひとつ立てずに静かに忍び寄り、部室のドアを少しだけ開ける。わずかな隙間から潤んだ黒い瞳がじっとこっちを見つめているのがわかる。まるで白磁のような白い肌に血の気の引いた唇は固く結ばれたままだ。ぬれたカラスの羽のようにつややかで長い髪がその表情を半分ほど隠している。
「上田、そんなところで何やってんだ。用があるならこっちに入って来いよ」
「失礼します……」
半分も開けていないドアの隙間から、半身ですり抜けるように文芸部の部室に侵入してくる、黒魔術研究部の唯一部員、上田麻里。右目には黒いレースの眼帯をしているが、別に目をけがしているわけではない。授業中は眼帯なしの黒い双眸で授業を受けている。眼帯をつけるのは放課後の時間だけだ。黒魔術研究部の活動中だけ。
彼女は何も言わずに僕の椅子の向かいに座る。どうやら話があるのだろうからと、読み始めたばかりの『ぼぎわんが来る』に栞を挟んで机に置いた。
彼女は目を伏せて、もぞもぞと視線を泳がせながら口の中でつぶやくように言葉を選び、そして一言。
「つ、つきあってほしんです」
と言った。
「断る」
「あ、あのですね……新見市に育霊神社というところがあってですね。そこがどうやら〝丑の刻参り〟の有名なスポットになっているらしんです」
「聞こえなかったのかな? 断ると言ったつもりなんだけど」
「高野君が断るかどうかなんて聞いていないんです。ただ、わたしが付き合ってほしいって言っているだけですから」
「いや、だからさ、それを断るって言っているんだよ。デートにでも誘ってくれるならまだ考えるけどさ」
「デートですよ」
「デートじゃないよ」
「まあ、そんなことはどうでもいいんです。ちょっとこれを見てください」
上田は鞄の中から、藁で作った人形と、五寸釘、それに禍々しい文字の書かれたお札を取り出した。
しかも、藁人形は僕の知っているものよりも少しポップで、カラフルに彩色されあまり禍々しさは感じない。五寸釘のヘッドもハート型になっていてどこかかわいらしさがある。
「ど、どうしたんだよ。それ」
「ネット通販で買いました。セットで二千四百円です。お得じゃないですか?」
「いや、悪いがそんなものの相場がわからないんで何ともな。それにしても、最近の藁人形はそんなにポップなものなのか?」
「ものにもよります。昔からあるシンプルなものからリアルで精巧に作られたものなど様々ですね」
「そういうものなのか? ところで、そんなもの買ってどうする気だ?」
「これを使ってですね、その有名な神社の呪いが本当に効果があるのかどうか調べたいんですね」
「じゃあ、勝手にいけばいいだろ。僕が付き合う必要はない」
「必要はなくても必要に迫られます。これを見てください。この部室で集めた髪の毛です。もし、ついてきてくれないならこの髪の毛を使って藁人形を試します」
「お、穏やかじゃないなあ。それに、この部室にあった髪の毛が全部僕のものだとは限らないだろ。ななせの髪かもしれない」
「それならむしろ大歓迎です。あのリア充ど真ん中の伏見さんが果たして不幸になるのかどうか? 観察対象が身近だとデータがとりやすくて都合がいいです」
「でもさ、はっきり言ってこの世に呪いなんてものはないよ」
「それを確かめるために行くんじゃないですか。それに、どうせ呪いなんてないとか言っておきながら、もし本当に呪いが存在して伏見さんが不幸になってしまったらなんて考えたら、やっぱりわたしを放っておくわけにはいかないでしょう? そうなった時はもう、高野君のせいですからね」
「……ぐっ」
「わたしの勝ちです。明日の朝十時に、岡山駅の改札で待ち合わせです。いいですね?」
上田は勝ち誇ったように、藁人形と髪の毛の束を僕の目の前で振って見せた。
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