第64話【いつもの光景】
「なるほどねぇ。二人がまた一緒に住むまでにそんなことがあったんだ」
俺たちの話しを一通り聞き終わったあさみは、腕組しながらうんうんとわざとらしく何度も首を縦に振った。
「それで吉田さんが沙優ちゃんのお兄さんを説得して
「当然一颯さんも最初はびっくりしていたが、理由を話したら結構あっさりと了承してくれて助かったよ」
「ふふ。兄さんは私のお願いなら大抵のことは聞いてくれるからね」
今にして思えば防犯なんて建前で、本当は俺と沙優を同棲させて早いところ既成事実を作らせてしまおうと企んでいたのではとさえ
「あとまたこの部屋で一緒に住むってなった時に一番の問題になったのは、やっぱり荷物だな。リュック一つだった家出JKの頃と違って、勉強道具やらなんやら、とにかく昔よりスペースを空けないといけなくて」
「確かに。この部屋見るからに完全に一人暮らし専用って感じだしね」
あさみがざっと部屋を見渡し、また首を縦に何度も振る。
シングルマザー等が小さい子供と住むには問題ないだろうが、大人二人で住むには少々手狭なのだ。
「沙優ちゃんは自分の部屋とか欲しくなかったの」
「私は全然。勉強なら吉田さんがいない間にこことか大学のカフェスペースですませられるし。たまに一人になりたいなぁ~っていう時は脱衣所に行くかな」
「あと化粧する時もだろ。訊いてくれよあさみ。沙優のやつ、俺に化粧してる姿見られたくないんだってよ」
「そりゃそうでしょう。吉田さんなに言ってんの。好きな人に変身過程を見られたいと思う女性がどこにいると思ってんのさ」
気にする必要はないとあさみから同意を得ようと試みたが、逆に冷たくあしらわれてしまった。
「いや、もうそこそこ一緒に住んで長いのにいまさら隠すも何も」
「それでも嫌なものは嫌なの」
「吉田さんってもしかしてアレ? 魔法少女の変身途中のシーンに興奮するタイプ? うわ紳士の皮を被った変態がここにいる~」
「う、うるせえ。人を勝手にオタク変態扱いするんじゃねぇ」
大きな声を出そうにも正座で足が痺れて思うように出せない。
時間にして一時間程度しか正座していないはずなのに、体感としてもう三ヶ月近く正座しているような感覚なのは一体何故だ。
「で、沙優ちゃん。本当のところは吉田さんって変態なの?」
「余計なこと言わなくていいからな沙優」
「......少なくとも夜方面はそういう気は十分にあるかな」
「だってさ。彼女から言質いただきました。吉田さんをここに変態認定しま~す」
人が逆らえないのをいいことにこのJD二人組は調子に乗りやがって......あさみへの刑は後日考えるとして、沙優、お前は今晩お仕置き確定だ。覚悟しておけ。
「男は誰でも変態な一面をの一つや二つは持ってるものなんだよ」
「まだ正座やめていいって言ってないよ」
「いい加減勘弁してくれ。俺が残りのゴールデンウィーク、全部家で過ごすことになったら嫌だろ」
「まったくもう、しょうがないなぁ~」
ついに我慢できず、俺は長い正座から足を崩しあぐらをかいた。
大きなため息を漏らしながら後ろに手を回し床で身体を支える。
「そうだね沙優ちゃん。誰かさんのせいですっかり話逸れちゃったから、そろそろ話し戻そうか」
「お前のせいだろうが」
「ん? なんか言った?」
指で銃の形を作ったあさみが満面の笑みで俺の足を突こうと試み、それを沙優がクスクスと笑みを浮かべながら止めに入った。
「はいはい。二人ともその辺にしておきなね」
「は~い。部屋もそうだけど、大学とバイト先からもちょっと遠くなっちゃったんだよね」
「遠いって言っても一時間くらいかな。本とか読んでれば全然あっという間だし」
個人的には通勤時間で30分を超えると遠いと感じてしまう人間なので沙優の
「ただ朝の満員電車には未だに慣れないかな。だから大学が1限目からある時は吉田さんに途中の駅まで守ってもらってるの」
「そういえば前にそんなこと言ってたね」
「本当は大学のある駅までついてやってやりたいんだがな。いかんせん仕事が」
「ううん。それだけでも凄く助かってるよ」
さながら野菜の詰め放題の野菜の気分を味わえるような東京の満員電車。そこへ愛する人間を平気で放り込める精神は持ち合わせていない。
「分かる。ウチも毎回どうしても乗らなきゃいけない時は前日の夜から
「ありゃ人の乗る乗り物じゃねぇ」
「言えてる」
ようやく沙優の笑顔が俺に向けられた。今日一日はずっと期限が悪いのを覚悟していたが、この様子なら今晩無事にさっきのお仕置きが実行できそうだ。
「洗濯物そろそろ乾いたかな」
「真夏じゃあるまいし、さすがにまだちょっと早いんじゃないか」
座布団の上に座っていた沙優が立ち上がり、ベランダの窓を開けて外に出る。
とても4月の末とは思えないようなムンと熱を含んだ空気が室内に入り込み、思わず顔を歪めた。
「助かった」
「え、なにが」
「あさみが来てくれなかったら沙優のやつ、あんなにすぐ機嫌直してくれなかったと思う」
ベランダの沙優に聴こえないよう、声のボリュームを抑えてあさみに礼を伝えた。
素知らぬ顔で柿の種の小袋を開け、そのまま
「昔の話しをしてくれって言い出したのも、沙優の気がそっちに行くのを狙って言い出してくれたんだろ」
「なんのことやら。ウチはただ、二人にずっと仲良くしてもらいたいだけだよ」
「素直じゃねえな。まぁ、こいつは俺の独り言とでも受け取ってくれ。サンキューな」
なんだかんだ沙優と恋人同士になった今でもこうしてあさみには助けられている気がする。それだけでもこのアパートに、この町に残ったかいがあるというものだ。
いつまでもあさみに甘えてはいけないのは俺だって重々承知している。でも近所にいる間は、もう少し世話になってもかまわないよな。ギブアンドテイク。こちらは代わりに避難場所を提供しているのだから。
「......こんなつまらないことで沙優ちゃんとの関係が終わったりでもしたら、それこそウチの気持ちは――」
「ん、何だって?」
「い~や、な~んでも。んなことよりお腹空かない? もうとっくに12時過ぎてるんだけど」
「そうだな」
緊張からの解放と語り疲れで俺の腹もすっかり丁度いい具合に空いていた。
今から作っていたら結構な遅い時間になってしまう。というか今日の昼と夜は外食で済ませようとしていたうえに、冷蔵庫の中は週末により心許ない。だとすると答えは一択だ。
「よし、久しぶりに出前でも取るか。沙優、何か
「やったね沙優ちゃん! 吉田さんがお詫びにお昼にお寿司とってくれるって! それもいいとこやつ!」
「はぁッ!? お前ふざけんな!?」
「え! 本当に!」
ベランダから寿司という単語に反応した沙優が満面の笑みでひょっこり顔を出した。
これはもう引き返せないパターンじゃねぇか。
「......ああ。俺のせいでせっかくのゴールデンウィーク初日を台無しにしちまったからな。そのお詫びだ。好きなもん頼んでいいぞ」
「気持ちは嬉しいけど、あんまり無理しちゃダメだからね」
「無理してねぇよ。今の俺にとって金っていうのは、好きな相手を喜ばせるために使うもんだ。だから思いっきり使わせろ」
結婚してカミさんに財布を預けるようになった場合、こんなカッコつけたマネは早々できなくなってしまう。今のうちにカッコつけられるだけカッコつけておくか。俺は半分開き直りながら大見得を切った。
「吉田さんがそこまでいうなら......甘えちゃおうかな」
「おう。そうしてくれ」
「んじゃ、私も遠慮なくご厚意に甘えるとしますかね」
「あさみはかっぱ巻きとかんぴょう巻きオンリーな」
素早い手つきでスマホで宅配サイトの検索を始めたあさみの指が止まり、眉をしかめながらこちらへと顔を振り向かせた。
「は? この騒動の一番の功労賞である私にそんなこと言っていいわけ?」
「そうだよ吉田さん。だったら私もあさみと同じものにする」
「ん~☆ やっぱり持つべきものは沙優ちゃんだよ~☆」
「友、な」
この二人の友情の前では、沙優の恋人である俺であっても入り込むのは非常に難しい。
恋人に特別な友人がいることは喜ばしいことではあるんだが、少々焼いてしまう自分も否定できない。
「分かった。分かったから。もう二人とも好きなもん頼め」
「「やった!」」と二人は声を上げて喜び、仲良さそうにどこで注文しようかとスマホの画
面をスクロールさせながら思案しはじめた。
ゴールデンウィーク初日からなんとも慌ただしく、そして痛い出費である。
――ちなみに洗濯物は乾燥後、コロコロと洗濯を何度か繰り返した結果、なんとか元通りの綺麗な上体に戻すことができたとさ。
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