第49話【自覚】
ウチらがふざけ合ってる間にチョコは形を成し、無事に手作りバレンタインチョコは完成。
ラッピングも終わり、あとは吉田さんが帰ってくるのを待つばかり......だったんだけど、こんな時に限って残業で少し遅くなるらしい。
「いや~、先週に続いて今週も夕飯をご馳走になっちゃって悪いね」
「ううん。私のわがままに付き合ってもらったんだから、このくらいはさせてよ」
時刻は夜8時を過ぎ、もうじき30分を回ろうというところ。
慣れない作業に気力と体力を使った影響か、よそ様の家で腹の虫が恥ずかしげもなく鳴ってしまったので、主の帰りを待たずにご
リビングで待っている間にもキッチンからいい匂いが漂ってきて、気分はお預けをされている犬の気分だった。
「和食に洋食に中華。そのうえ甘い物まで作れて。沙優ちゃんお店とか開けるんじゃない」
「おだてても追加のデザートは出てこないよ」
「いやいや。ホント冗談抜きで。こんな美味しいご飯出してくれる定食屋さんが近くにあったら、ウチ毎日でも通っちゃうし」
貰ったばかりの沙優ちゃん手作りのチョコトリュフを摘まみながら、胃袋の中へと先に消えて行った今晩の夕食たちのことを思い出す。
ほんのり
口の中をさっぱりとさせてくれる付け合わせのサラダの上にはおそらく塩のみ? の下味が付いたからあげがちょこんと乗り、噛めばシンプルな肉の旨味が溢れ出してくる。
吉田さんの胃袋を掴んだ味噌汁も付いて、作業費含めて税込み2000円くらい払ってもいいかも。
「私なんてまだまだだよ。あさみの家のお手伝いさんのご飯の方が絶対に美味しいと思うけどな〜」
「美味しいには美味しいんだけどさ......沙優ちゃんの作るご飯と比べると味気ないというか、何か大事な物が欠けてるような気がするんだよね」
ウチにとっておふくろの味に当てはまるのはお手伝いさんの味だ。
見た目もお高いお店で出てきてもそん色ない綺麗な盛り付けで、味も整っている。
でもまた食べたいと思わせる記憶に残る味は、申し訳ないけど過去にただの一個もなかった。
別にお手伝いさんたちのことが嫌いなわけじゃないし、あの気難しい
ただわがままを一つ言わせてもらえれば、家で自分の家族に食べさせてあげているような、飾らない自然体の味が欲しい。
「多分、一人で食べるご飯だからも関係してるんじゃないかな」
「一人で?」
「私も昔吉田さんに拾われて、ある程度一緒に生活するようになってから言われたんだけど、どんなご飯も誰かと一緒に食べると不思議と美味しく感じられるんだよね」
確かにウチの家は両親が二人とも帰宅時間が不規則で、揃ってご飯を共にするのは精々朝くらい。下手をすればその唯一の
吉田さんや沙優ちゃんの作るご飯が美味しいと感じられるのは、単純に気の合う人たちと食べるから、という状況効果も関係してるのかも。
「その誰かが『好きな人』だと尚更美味いと」
「だね」
「現在進行形の方が語っちゃってるよ。ご馳走さまです。吉田さんじゃなくてごめんね」
「親友と食べるご飯も美味しいに決まってるでしょ。ホワイトデーのお返しにまた夕飯ご馳走してあげるから
クスクス笑う沙優ちゃんから次回の夕飯の誘いを早速頂いた。
さて、こちらはどんなお返しをお見舞いしてやろうか。
なんて悪だくみを企てていると部屋のチャイムが鳴り、沙優ちゃんが玄関まで迎えに行くとようやくこの部屋の主の帰還だ。
「おかえり☆」
「おう、ただいま。遅くなっちまって悪いな。もう夕飯は食べたのか」
「帰ってくるのが遅いから沙優ちゃんと先にいただいたよ〜」
「仕方ねぇだろ。世間はバレンタインでも仕事の納期は待っちゃくれないんだから」
靴を脱ぎ、流れで沙優ちゃんに脱いだコートと上着を渡し、吉田さんは着替えが用意されている脱衣所へ向かう。
「今日はバレンタインだから麻婆豆腐にしてみました」
「なんでバレンタインだから麻婆豆腐?」
「このまえ吉田さんに連れてってもらったバーでさ、辛い物食べたあとにお口直しにチョコが出てきたでしょ」
「あ、なるほどな」
吉田さんは戻って来るなり、キッチンで麻婆豆腐を温め直している沙優ちゃんの隣に。
二人の身長って沙優ちゃんが頭一つ分吉田さんより低くて、何気に理想的とされる恋人同士の身長差なんだよね。
イチャつく後ろ姿は旦那が定年を迎えても嫌がらず仲睦まじい熟年夫婦感を醸し出してるけど。
「良かったね吉田さん。今年は若くて綺麗な女の子二人に手作りチョコ貰えて」
「この一番上の段に入ってる赤と青いの包みのヤツか。まさかあさみまで作ってくれるとはな。こりゃ明日辺り東京は大雪を覚悟しといたほうがよさそうだな」
「酷っ! チョコを粉々にするのに手に包丁のあざまで作って頑張ったウチの努力を返せ」
「わりぃわりぃ。沙優のチョコと一緒にあとで美味しくいだたくよ」
冷蔵庫から缶ビールを取り出した吉田さんは早速一杯始める。
味見した感じだと初めてにしは上出来だったと沙優ちゃんも太鼓判を押しているので、ウチの実力に驚き、後日再び詫びるがいいさ。フフ。......にしても。
「豆腐とネギ多すぎないか」
「豆腐はこの前スーパーで安売りしてる時に買ったのが賞味期限近かったもので。ついでにネギも大めに入れてみました。吉田さんこういうの好きでしょ」
「よく分かってるな」
ナチュラルに沙優ちゃんの腰に手を添えるとか。エッロ。
吉田さん、この場にウチがいること忘れてない?
「主婦を舐めないでください。旦那さんの健康管理のために食事の好みを把握するのは主婦として当然の務めですので。あとすりおろしのにんにくも沢山入れておいたから」
「準備万端だな」
「今晩はあんまりハメを外しすぎないでよね」
「沙優こそ。大学は春休みでもバイトは普通にあるんだろ。こないだみたいにまた腰痛めんなよ」
あのすいません。
そういう会話はウチがいないところでやってもらって宜しいしょうか。
ていうか沙優ちゃんも沙優ちゃんだよ。
今日はバレンタインで、世の恋人たちはクリスマスや大晦日並みの燃える夜を過ごすにしても、親しき中にもTPOあり。
親友のメスの顔を間近で見せられるウチの気持ちも考えろっつーの。
..........あれ? ウチ、なんでこんなイラついてんの?
いつもならまたバカップルがイチャついてるよといい意味で呆れるのに、今に限っては明らかに様子がおかしい。
それに、イライラにしては胸の奥が締め付けられるように苦しくて、でも病気の類ではないことはなんとなく直感として理解できた。
この感覚.........ああ、そういうことか。
物語を想像する者として非常に既視感があった。
「せっかくの聖なるバレンタインの夜に長居するのもアレだから、ウチはそろそろお
「え、あさみいいの? 吉田さんにチョコの感想聞かなくても」
「面と向かって感想言われるのも怖いし。代わりに沙優ちゃん聞いといてよ」
エアコンで温まっている室内の空気が不純物を多く含んだ感じみたいに重く、息苦しい。
一分一秒でも早くこの部屋から出て行きたくて、できる限り平静を装って立ち上がり帰り支度を始める。
「そりゃ今日はバレンタインだもんな。俺以外の男にもちゃんとチョコ渡してやれよ」
「......うん。吉田さんもいい歳なんだから、沙優ちゃんとハッスルしすぎて腰いわせないでよね」
「うるせえ。余計なお世話だ。さっさと帰れ」
憎まれ口を叩くウチを笑って見送ろうとする吉田さんの口の周りには、小さなひげの点々がぽつぽつと。
人によっては不潔とも受けとれてしまう生理的現象も、ウチは吉田さんを象徴する
ただし今は除く。
「はいはい帰りますよーだ。沙優ちゃんまたね」
「うん。また。今日はありがとね」
「夜道には気をつけろよ」
玄関のドアを閉め、二人の姿が見えなくなれば少しは動悸も収まる......と思っていた私の考えは至極浅はかだった。
背を向け、音を立てないよう静かにドアに寄りかかり、そのままウチはしゃがみ込みながら大きく吐き出した。
胸中とは真逆の、笑っちゃうほど純白で綺麗なため息を......。
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