第44話【独占欲】

「沙優」

「もうそっちの片づけ終わっ......んぅッ!?」


 キッチンでの洗い物の最中。吉田さんに名前を呼ばれ頭だけを振り向かせると、突然唇を塞がれた。


「......はぁっ。ダメ、まだ食器洗って、んむぅ......んッ」


 むさぼるように私の唇に食らいつき、ひげのチクチクとした痛気持ちいい感触が幾度となく襲う。

 いつになく強引な彼。こんなことは初めてで少々面食らってしまったが、危ないのでそろそろ止めなければ。


「吉田さんストップ! どうしたの? 今の吉田さん、らしくないよ?」

「らしくない、か......だよな。自分でもそう思う」


 強引に濡れた手を私と吉田さんの顔の間に滑り込ませて止めた。

 我に返った吉田さんは乾いた笑みを浮かべ、私から離れた。

 行為に至る手順は特殊なプレイの時を除いて、これまで極めて紳士的な態度を貫いてきたのに。そんな誠実過ぎる彼の突然の暴走の理由が知りたくて。蛇口の水を止め向き直ると、その理由を告げてきた。


「あの小野塚おのづかっていう男友達、もしかして以前話してた、同じクラスで沙優の隣の席だったっていう......」


「よく覚えてるね」

「彼氏の記憶力なめんな。で、どうなんだ」


 逸らしていた視線を戻すと、私の目を見据みすえ問いただしてきた。


「......うん。正解」

「やっぱりな」

「もしかして吉田さん、焼いてる? 私と小野塚君との間に何かあったんじゃないかって思ってたりする?」

「......わりいかよ」


 嫉妬する彼が珍しくて、自分でも意地悪っぽく訊いてしまったことをすぐに後悔した。

 照れると予想していた吉田さんはとても真面目な表情で、気持ちを静かに、でも熱く語り始めた。


「彼、沙優が戻って来る前に少し話したんだが、ちょっと不愛想なところはあるがいい奴みたいだな」

「みたい、じゃなくていい人だよ。どこかの誰かさんと一緒で」

「だからさ。沙優にとっては仲の良い友達の一人だと思っていても、素直に割り切れない自分がいやがって」


 唇を歪ませ、吉田さんは言葉を紡いだ。


「彼の方が若いし、何より顔だって凄いイケメンとまではいかなくても、男の俺から見ても格好かっこいい部類だ。沙優と似合うだろうなって、試しに頭ん中で想像しちまったら......その......悔しいやら、怖いやらで、感情がぐちゃぐちゃになっちまって」


「吉田さん......」

「あー、男の嫉妬なんてみっともねえよなー。こんな臆病で情けない彼氏と笑ってくれよ。その方がスッキリするわ」


「笑わないよ」


 まったく、この人は。真剣な顔で何を悩んでいるかと思えば。


「笑うわけないじゃん。吉田さんは臆病でも情けなくもないし。吉田さんは、絶望の暗闇の中をずっとさまよっていた昔の私に、前を向いて歩く力を与えてくれた、この世界で一番大切な人。笑ったりなんかしたらバチが当たるよ。それに――」


 不意打ちのお返しにと、今度は私が正面から首元に勢いよく抱き着いた。

 

「少しは私の気持ちがわかってくれたみたいで、嬉しい」

「こんな厄介な気持ち、よく二年以上も我慢できたな。俺なんか半日と持たなかったぞ」

「女の子はね、好きな人のためならどんな苦難にも耐えられるようにできてるのです」

「無敵じゃねぇか」

 

 吉田さんのことをいつから明確に″異性″として意識し始めたのか。私自身にもよくわか

らない。気付いたら彼のことをもっと知りたいと願い、彼が想い人と二人っきりの時間を過ごしているのに嫉妬して、恋人でもないのに勝手にいじけていた。

 子供が好きな友達を誰かに取られたような感覚だと認識していた私の想いは、実は恋で。受け入れると、それは胸の奥にある欠けたパズルのピースにしっくりとハマった。

 この人になら、私の全てを捧げたい......生きるために倫理観から目を背け、身体を売ってきた私が辿り着くことは絶対にないと思い込んでいた願望を、吉田さんは与えてくれたんだ。

 

「沙優の彼氏になってからの俺って、格好悪いところばかり見せてる気がするな」

「初対面が泥酔状態でからんできた人が、今さら何言ってるの」


 可笑しくて、吉田さんの胸の中でクスクス笑った。


「格好いい吉田さんも、そうでない吉田さんも、全部ひっくるめて私は好きになったの。吉田さんは?」


「俺は......優しくて綺麗で、スタイルも程よい肉付きで、しかも胸も女性の平均よりも大きい。最近は益々俺好みに調教されてきて――」


「外見の主語が大き過ぎて内面のいいところが全然伝わってこないんですけど。あとエッチは付き合ってからでしょ。私の一番好きなところを教えてよ」


 好きな人に身体を褒められるのは決して悪い気はしないんだけど、女の子は面倒な生き物で。目に目えない、自分のどんな内面に相手が惚れたのかがとても興味がある。その答えは、思いのほかすぐに返ってきた。


「一番......一緒にいて、安心できるところ、だな」

「よくできました」

「んむッ!?」


 そうだ。私は現在進行形で吉田さんに恋をしている。例え恋人から夫婦に記号が切り替わっても、きっと生涯を通して、このひげの似合わないおじさんのことを愛し続けるだろう。

 吉田さんへの想いが我慢できず、はしたないのを覚悟の上で、大胆にも彼の唇に不意打ち第二弾のキスを交わした。らしくないなんて、人のこと言えないかも。今の私はきっと、凄くメスの顔をしていると思う。

 ほんの数分前まで彩花がいた部屋で、私と吉田さんは前戯ぜんぎに及んでいる。お互いの舌同士が激しくたわむれる度に聴こえる、ぴちゃぴちゃと艶めかしい音と、呼吸音しか耳に入ってこない。


「......ハァッ。......ねぇ、今日はお鍋でいっぱい汗かいちゃったし、久しぶりに一緒にお風呂入ろうよ?」


「洗い物、まだ残ってるけどいいのか」

「吉田さんの意地悪。お鍋はもう洗ったし、残りは終わってからするからいいの」

「てことは、明日の朝以降になるな」


 明日は土曜日でバイトも大学の講義も入っていない。吉田さんは分かっていてわざと言っているのだ。


「はい......よろしくお願いします」


 一時期のように嫉妬をこじらせて長期間苦しむことなく、今回はすぐに素直な気持ちを吐露しくれた。辛い時は遠慮せず、私にどんどん甘えてほしい。私も辛い時は、遠慮しないであなたにどんどん甘えるから。

 冬の夜は長く、昔は苦手だった。

 でも大好きな人と同じ空間にいられる今なら、こんな幸せな時間が永遠に続いてほしい。

   


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