第4章【北海道からの来訪者編】
第34話【仕事納め】
イブの夜からクリスマス当日朝方にかけて降った雪は、積もった割にはあっさりと消えて無くなった。
もはやその名残は、道端の隅っこ、微かに残った黒ずんだ雪の塊くらい。
通勤・帰宅時の路面凍結に悩まされずに済むが、ほんのり寂しさも無くはない。
だがそんなセンチな感情も、目の前に迫った大型連休の前では吹き飛んでしまう。
「吉田はもちろん、今年は家でのんびりだよね」
仕事納めの本日。珍しく橋本・三島・神田先輩の四人で昼食を共にすることになり、各々の年末年始の過ごし方について食堂で歓談していた。
そんなことができるのも年内の仕事をほぼ終え、あとは雑務処理をしながら無事に今日が終わるのを待つばかりとなった今だからこそ。
「ああ。初詣くらいはいくつもりだが。橋本はお互いの実家に顔を出しに行く感じか」
「まぁそんなところだね。三島ちゃんも実家かい?」
「いえ。今年はちょっと実家に帰らずこっちで過ごそうかと」
「神田先輩は......帰らないですよね」
訊くまでもない神田先輩は、眉を寄せ露骨に嫌な表情を浮かべる。
「だって親が「早く結婚して孫の顔見せろ」ってうるさいし。私はあんたらの子孫繁栄の目的のために生まれた道具じゃないっつうの」
「神田さんって、両親とは仲があまり良くないんですか?」
「うーん......普通じゃない? 気が向いた時には一応帰ってるよ」
高校時代、一度だけ神田先輩のお袋さんと会ったことがあるが、娘に似て大変綺麗で年齢を感じさせない、モデルのようなスタイルの持ち主で。あと驚いたことに、特徴的な下唇付近のホクロの位置までほぼ一緒だった。多分、今の神田先輩が記憶のお袋さんに一番面影が近い。
「その気が向いた時って、前回はいつ頃で」
「さあ?」
「さあ? って、おい」
「あ、でもまだ仙台にいた時なのは何となく覚えてる。牛タンお土産に持っててたし。私が食べたけど」
ということは、少なくとも二年以上は帰っていないことになる。
「お節介かもしれませんが、帰れるならたまには帰った方がいいですよ。いつまでも会えるとは限らないわけですから」
「私だってわかっちゃいるんだけどね。親父はともかくとして、あの母親がそう簡単にくたばるタマとも思えなくてさ」
橋本がせっかくオブラートに包んだ言い方をしたのに、全く無視して答えたなこの人。
「あと実家が近すぎるのがいけないんだよ。吉田だって、そんなに実家帰ってないだろ」
「俺は定期的に帰ってますよ。一緒にしないでください」
「ホントかねえ」
俺が好きになってきた女性は、どうしてこう感が鋭い人間が多いのだろうか。
神田先輩の疑う通り、ここ数年実家に帰っていない。
前回帰ったのは、確か入社して間もない頃の年だったと記憶している。誰よりも人のことを言えないのは、実は俺なのだ。
「橋本、こいつやるからお前の焼き鮭少しよこせ」
「話し逸らしやがった」
「ダメですよ。沙優ちゃんが吉田さんのためにと愛情込めて作ったおかずを橋本さんにをあげちゃ」
「あ、そっち? だよね」
ラーメンの麺を冷まそうと息を吹きつける三島の言うことは至極ごもっとも。言ってから後悔した。
「残念だけど、女性陣からの反対にあってはあげられないね」
「既婚者が何を気にする」
「わかってないね吉田は。周囲の女性の目に敏感じゃなければ、ちょっとした奥さんの微妙な変化に気付けないものなんだよ」
「ということは私らの存在は、橋本さんが夫婦円満に生活するためには欠かせないってことになるわね」
本日の日替わり定食のサバ味噌定食を食す神田先輩は、いやらしい表情で橋本に視線を送る。
「そうとも言いますね」
「ハッキリ言うじゃない。橋本さんのそういう優しそうで実は意外と容赦ないところ、私は嫌いじゃないかな」
「ありがとうございます。でも残念ながら僕には、一生を掛けて幸せにすると誓った愛する女性が――」
「はいはいご馳走さま。食べ終わったっていう意味じゃなくてね......で、私たち何の話し
してたんだっけ?」
神田先輩のボケに、三人揃って肩透かしをお見舞いされる。
「年末年始の過ごし方です。もう、しっかりしてくださいよ神田さん」
「三島ちゃん、まだ昨日の酒が残ってるから。あんまり大きな声出さないで」
「また昨日も飲みに行ったんですか。ほどほどにしないと体壊しますよ?」
三島もそりゃあ呆れるわな。
二人とも独り身同士、仕事で組んだのがきっかけで一時期はよく一緒に飲みに行っていたらしいが、最近はあまりそういった話は耳にしない。
もしかして、どっちかに彼氏でもできたのだろうか? いや、変な邪推はよそう。
「休みに入る前からこの調子で。年明けに来たら「いま飲み過ぎで入院してまーす」とかやめてくださいね」
「心配ご無用。私より吉田の方を心配したほうがいいと思うんだけどなー」
意味深な神田先輩の視線がこちらに向けられ、何かとてつもなく嫌な予感がしてきた。
「俺は神田先輩ほど酒飲みませんよ。沙優に怒られますし」
「そう。その沙優ちゃんよ。あんたよく今年持ったわね。私はてっきり今年中に吉田が沙優ちゃんを孕ませるものだと」
「!!!??? ゲホッ! ゲホッ!」
TPOをわきまえない神田先輩の言葉が、ラーメンを啜っていた三島をむせらせた。
「三島ちゃん大丈夫!?」
「あんた会社の食堂でも何さらっととんでもないこと言ってんだ!?」
「吉田うるさい。そんなに騒ぐと周りの人たちに迷惑でしょうが」
何事かと、周囲の社員たちの目がこちらに突き刺さる。
俺は立ち上がって各方向に頭を下げ、なんとか場を落ち着かせたのを確認してから腰を下ろした。
「大学生のうちは沙優に妊娠なんか絶対させません」
「でも相変わらず、毎日してることはしてんだ。えっろ」
「わかってるクセに......」
俺の下半身事情を知っている相手だけに、むやみに言い返すと大火傷を負いかねず、自然と言葉が
高校の後輩と先輩。リーダーと他チームのメンバーという風に立場が逆転しても、そこはそう簡単に変わってはくれない。
「まあまあ。神田先輩もその辺にしておいてください。でないと、直属の上司にクレーム入れることになりますけど」
「あら、ここで高松さんの名前出すのは反則じゃない?」
「ん? 俺がどうかしたか?」
いつもなら外に昼食を済ませに行く高松リーダーだが、この日に限っては食堂へとやって来た。
ほんの少し前に起きた騒ぎを知らないようで、呑気に鼻歌交じりに俺たちの席の元へ。
「......高松リーダー。あとで重要なお話しがありますので、少々お時間よろしいでしょうか?」
「お、おう......え、なになに? 俺、吉田の機嫌が悪くなるようなこと、何かしちゃった?」
「いえ。”高松さんは”何もしてないと思いますよ。多分......」
三島の自信の無い言葉尻が、高松リーダーの不安を無駄に煽った。
原因を作った人間は、さも関係ありませんよという顔で止まっていた箸を動かす。
その後、宣言通り俺は高松リーダーを喫煙所まで連行し、部下の教育について休憩時間が終わるまで話し合った。
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