第17話【ランチ】
東京に引っ越して来てからの私の密かな楽しみの一つ、カフェ巡り。
今日みたいに初めて足を運んだ地域に来ると、目的地に向かいながらも目は自然と探してしまい、つい待ち合わせの時間に遅れそうになる。
二限終わり。あさみの大学がある最寄駅から10分ほど歩いた場所。緑に溢れるテラスカフェの通路側の席に、大手を振って招くあさみがいた。
二限だけで今日の講義が終わり、バイトも遅い時間からの私は、二限から四限まで時間の空いているあさみと合流。久しぶりに外でランチでもしようという流れになった。
「ごめんね、うちの大学の近くにまで呼び出しちゃって」
「ううん。気にしないで。私も一度この辺散策してみたかったんだ」
駆け寄ると私が来るまでの間、あさみはノート型PCで執筆をしていたらしく、手早く保存して電源を落とす。画面を閉じるとそこには六ヶ月前、再会の記念にと肩をくっつけ、揃ってピースサインで写る私たちのプリクラが貼られていた。
「凄いねここ。都内にこんな森みたいなカフェがあるなんて」
「でしょ? 高そうに見えるけど、値段も結構リーズナブルだから、うちの大学の生徒からも人気あるんだよね」
周囲を見ればあさみの言う通り、私たちと同じいかにも講義の合間にやってきたと
学生と金欠の親和性は高い。
大学の近くにこんな素敵で利用しやすいオープンテラスのカフェがあれば、毎日は無理でも通いたくもなるというもの。
「あさみはもうお昼食べちゃった?」
「まさか。沙優ちゃんが来るまで待ってたに決まってるっしょ」
イスの背もたれに上着と鞄を掛け座るタイミングで、女性のウェイターさんが水とメニューを持ってやって来る。
来月あたりは日中でもオープンテラスは寒いだろうから、いまが一番快適に過ごせる貴重な期間だ。
どれを食べようか迷っているとあさみが
「ちなみにここの日替わりランチ、どれもマジで超オススメだから」と囁く。確かにランチに力を入れているのが種類の豊富さから伝わる。
魚料理にカレー、サラダまで日替わり提供するお店はあまり聞いたことがない。
私は日替わりのカレーに同じく日替わりのサラダ、あと食後にカフェラテを注文。
あさみは日替わりのパスタと食後に小さなパフェを注文し、待っている間、いつものようにお互いの近況報告を交わす。
「夏休みが終わっちゃったけど、吉田さんとはいい思い出作れた?」
「まぁ、ね」
「これは訊くまでもなかったか」
あさみのニヤニヤとした視線が、私の左手の薬指にはめられた指輪に向けられる。
吉田さんから夏祭りの日に貰った、私が吉田さんのものであることをアピールするための証。
夏休み明けに大学に付けて行ったら、友達も今のあさみみたいな表情で色々訊いてきたっけ。
「あさみの方こそ、充実した夏休みは過ごせたの?」
「ボチボチって感じ。新作も八割がた出来上がって、近いうちに吉田さんに読んでもらおうかと思ってるんだけど」
「オッケー。そう伝えておくね」
あさみは私と吉田さんが同棲を始めてから、昔よりも夜にやってくる回数が減ったように思える。気を遣ってくれるのはありがたいんだけど、昔みたいに気兼ねなく来てくれなくなったことがちょっと寂しい。
そんなごく日常的な近況報告を交していると、それぞれ注文していた昼食が運ばれてきた。
私の前に並べられカレーは、真ん中に盛られたドーム状のご飯を中心に左は甘いホワイトカレー、右がスパイス強めのハーフ&ハーフ。サラダは一口サイズのトマトとキュウリに、レタス・水菜のあっさりさっぱり系。
あさみが注文した魚料理はというと、
いつもよりちょっと贅沢な昼食を味わいながら話が盛り上がっていくと、話題はお互いの大学の学祭に。
「あさみのところはもう来週なんだよね」
「そっ。私は別にサークルにも実行委員会にも入ってないから、全く忙しくないんだけどね。当日はまた去年みたいに文学フリマで気になった作品を買い漁って終わりかな。良かったら吉田さんと一緒に来なよ。案内するよ」
「いいの? ......でもなぁ」
承諾しかけて、吉田さんのことを考える。
「どったの?」
「実は吉田さん、今度リーダーの昇進がかかった仕事を任されちゃって」
「え、凄いじゃん吉田さん! でも、それがどうかしたの?」
あさみが小首を傾げて訊き返す。
「普段は吉田さん、家で仕事することはまずないんだけど......さすがに今回はそうはいかないかもって」
「ああ......そっか」
私が言いづらそうに告げると苦い表情で頷き、頭を上げる。
「ん? 沙優ちゃんとこの学祭も再来週だったよね? てことは――」
「一応、その日は何が何でも空けるとは言ってくれてるよ」
「だよね。そこは吉田さん、安定の沙優ちゃんファーストで安心したよ」
ほっとしたあさみは、食後のチョコレートサンデーを食べる手を再び動かす。
私もあさみと同じくサークルにも入っていないし、実行委員会は一年生は入れないので当日も全くの自由だ。吉田さんと一緒に回れるかどうか――こればかりは神様に祈って待つことしか私にできることはない。
「一緒に回れるといいね、学祭」
「うん」
「それはそうとさっきからずっと気になってたんだけどさ......沙優ちゃんの右の手首、どうしたの?」
言われて視線をコーヒーカップを持つ自分の右の手首に落とすと、カレーの辛さで思わずまくってしまった袖から昨晩の拘束具の跡が見えてしまっていることに気付いた。
「これはその......そう! 腕時計を右にしたら肌が
「へぇ......腕時計の割には、サイズが随分と大きくない?」
「バンドが大きい腕時計だったんだよ」
コースターの上にコーヒーカップを戻し、誤魔化し笑いを浮かべながらワイシャツの袖を元に戻す。
苦し紛れの嘘をつき、カレーによる汗とはまた違った種類の汗が吹き出し焦る。
「こんなリストバンドみたいに大きなバンドの時計あるんだね」
「そうなの。昨日大学の友達に借りて講義受けてたら跡残っちゃって。ハハ......」
癒しの空間に似合わない渇いた笑いで上手く乗り切ろうとしたが、推理小説にも
「吉田さん、そういう趣味があったんだ......ちょっとショックかも」
「違うのあさみ! これは吉田さんの興味が招いたことではあるけど、私もやってみて悪い気はしなかったというか――」
「はいはい
「だから違うんだって!」
残念そうにため息をつくあさみの誤解を解こうとしたが、どうやら吉田さんだけでなく私も変態認定をされてしまったようだった。
――この後、小説の参考にするとかで終始あさみに感想を訊かれたことは、口が裂けても吉田さんには言えない。
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