第8話【遊戯】

 沙優が食べたかったというステーキの屋台で肉串を食べ終えたあと、次に何を胃袋に入れようかと再び散策を開始する。

 屋台というのは食への誘惑の宝庫。

 定番の焼きそばのソースが焼ける香ばしい匂いを筆頭に、目の前で見事な手捌てさばきで一個一個ひっくり返されるタコ焼き、蒸し暑さを視覚から吹き飛ばしてくれそうなかき氷......等々。見てるだけでも充分楽しめる。


 誘惑と言えば――沙優もだ。

 たった浴衣を着て歩いているだけの所作なのに、妙に見惚れてしまう。

 同年代の女性の中でも特に綺麗なのは言うまでもない俺の彼女は、道行く男性だけでなく女性からも視線を浴び、俺までなんだか緊張して絡めた指に力が入る。

 慣れてきたつもりだったが、女性というのは服装や化粧のちょっとした変化により、見たことのないドキっとした新鮮さを表すのだから。魔性の生き物とはよく言う。

 昔は化粧らしい化粧はあまりしていなかった沙優。

 北海道に戻ってからの二年間で、学校の勉学だけでなく、自分自身をいかに魅力的に魅せるかの勉学も学んでいたことが窺える。

 それも全て俺がきっかけになったと思うと嬉しさで胸が熱い。


「あ」

「どうした?」


 わたあめで肉串の油にまみれた口内を潤していた沙優の足が止まった。

 沙優が指さした先は射的の屋台。


「あれ覚えてる?」

「あれってどれだよ」

「ほら、あの棚の真ん中の左側のやつ」


 言われた場所を目で追っていくと、そこには長方形の小さな箱に入った棒状のお菓子。

 忘れるわけがない。

 それは沙優と恋人になる前、サラリーマンと家出女子高生だった関係の頃、俺たちが好きでよく食べていたものだ。


「期間限定のフレーバーだったはずなのに。復活したんだね」

「だな。懐かしいな」


 定番のサラダトマト味は今でもコンビニなんかでたまに見かけるが、俺たちの思い出が詰まった黒こしょう味は期間限定商品だったらしく。

 沙優が北海道に戻って少し経ったあとに店頭から見なくなってしまった。


「これも何かの縁みたいだし、ちょっとやってみようかな」 

「そのためにわざわざ射的までしなくても。近所のスーパーにでも行けば買えるだろ」

「わかってないなー吉田さんは。こういうのは簡単に手に入ったらつまらないからいいんじゃん」


 俺に食べかけのわたあめを手渡し、肘置き台の横にいる店主に一回分の金額を払う。

 弾は全部で6発。

 立ったまま木製の銃を棚に向かって構え、コルクの弾を発射する。

 所作の綺麗な沙優でも、さすがに射的となると勝手が違うようで。腰に力が乗っておらず、幾分へっぴり腰な姿勢に。

 子供でも打てる仕様とはいえ、意外にも撃った時の反動が思ったより大きい。軽くよろめいた体を支えてやった。

 一回目は狙った景品とは真逆の何もない空間へ飛び、続いて台に肘を置いて放った二回目は、景品の足元付近に惜しくも命中。

 その後も一度もかすりもしない状態が続いていき、


「はは......また外しちゃった」


 あっという間に手元に残ったのはコルクの弾一発のみ。

 乾いた声音こわねに誤魔化すような笑顔を浮かべ、沙優は俺に「どうしよう」の意思が乗った視線を送る。


 ――まったく、見てらんねぇな。

 口出しするつもりはなかったんだが、最後くらいはまぁいいだろ。


「試しに騙されたと思って、利き手じゃない方で撃ってみたらどうだ?」

「えっ、それだと反動が」

「すみません、体を抑えてやるくらいの協力はしてもよろしいでしょうか?」


 困惑する沙優を横目に強面こわもての店主に確認を取ると、苦い顔を浮かべながらも頷いて許可を出してくれた。 


「彼氏の言うことが信用できないって言うのか」

「ちがっ、そういうわけじゃ」

「だったら黙って俺に任せろ。大丈夫だ、悪い様にはしねぇから」


 数秒の沈黙ののち、沙優は「うん」と言葉を漏らし、射的の銃を利き手じゃない方に持ち直した。 

 台に肘を置き構える沙優の後ろを覆い被さるように、両脇を支えてやる。

 汗が浮かぶ妖艶なうなじを前に余計なことを考えてしまいそうになりながらも、俺は沙優と呼吸を合わせ、景品に向けてゆっくり銃口を定める。

 引き金を引き、放たれたコルクの弾は狙っていた景品の真ん中に命中。

 その勢いで後ろにコテンと倒れ地面に落下した。


「やったよ吉田さん! 取れたよ!」

「だから言ったろ。俺に任せておけって」


 子供みたいに大喜びし、抱き着く沙優。

 ぬいぐるみなんかの大物だったら一発で取るのは難しかったかもしれないが、小物で助かった。

 店主から景品を受け取った沙優は、大事そうにお菓子を胸に抱え、喜びを噛み締めている。


「帰ったら一緒に食べようね」

「チョコバナナのこと、忘れてないか?」

「それはほら、別腹ってことで。甘い物としょっぱいものだし」


 同棲するようになった俺たちは、以前より食べる量が増えた自覚はあった。

 そりゃあ、毎晩二人で何試合もプロレスごっこしてれば腹も減るわけで......。

 このあとの展開次第にもよるが、今日は特に燃えそうな予感がして、考えただけで鼓動は高鳴りむくむくと下の頭ももたげてくる。


 それから何件か屋台をハシゴしたあと、お腹も大分膨れたこともあり、今日のメインでもある花火を観に近くの河川敷まで向かった。

 人混みの中で行うのはこっ恥ずかしい。

 そう思った俺はできるだけ人込みの中を避けようと、あまり人の集中していない場所で足を落ち着かせた。


「......綺麗だね」

「......ああ」


 沙優の方が綺麗だ。

 なんてありきたりで陳腐なセリフを吐きそうになるのをこらえ、どのタイミングで話を切り出そうか迷う。

 とても夜空に打ちあがる花火を眺めていられる気分ではない。

 

「うわー凄いね! 花火がキャラクターの形に打ちあがってるよ! ああいうのって、どんな技術で作られてるんだろう?」


 沙優の声にはっとし空を見上げる。

 遠目でなんとなくあの世界的人気ゲームのあのキャラクターなんだろうな、と認識できるくらいの解像度は保っていた。


「パソコンの専用ソフトに表現したい花火の模様を打ち込めば、あとは自動で設計図を作ってくれるらしいって、昔何かの媒体で見た気がする」

「さすがはIT企業勤めのサラリーマン様」

「職業柄、そういう情報は常に幅広くチェックするようにしてるんでね」


 優しい眼差しでクスリと笑う沙優。 


「にしても、二年前はここまで手の込んだ花火は打ち上がってなかっただろ」

「私たちの再会&恋人記念のサプライズだったりして」

「んなわけあるか」

「だよね」


 周囲が打ちあがる様々な花火に歓喜する中、俺と沙優のいる場所だけは別の世界にいるような錯覚に陥ってくる。

 早く言わなければ花火が終わってしまう――。

 気持ちは焦るばかり。

 隣で見上げる沙優の美しく整った横顔に吸い込まれそうになり、言葉が出てこない――。

 ここまでの緊張は後藤さんの時でもなかった。

 人生を左右する行動の重さに脈打ち、鼓動は高鳴り、あおる。


「あさみとは一緒に来なかったんだね」


 このタイミングであさみ?

 俺が緊張で押しつぶされそうになっていると、沙優が花火に視線を向けたまま口を開いた。


「あいつとは基本家以外で会うことはなかったからな」

「じゃあさ、後藤さんと一緒に来れば――」

「したくなかったんだ」

「え?」


 沙優の顔が俺の方へ振り向く。


「......沙優との思い出を、上書きしたくなかったんだ」


 この場所は、沙優との思い出が家の次に強すぎる。

 今でこそ毎日感じられる手の温もりを、初めて感じた場所。

 おっさん一人で行くのも論外だが、仮に誰かと行くにしても、沙優の足跡を追ってしまいそうで意識的に避けていた。

 

「......そっか」


 花火の打ち上がる音でかき消されそうなほど小さな声で呟く。

 顔を真っ赤に染め、もじもじと視線を彷徨わせる仕草に男の感性がくすぐられ、たまらなく愛おしい。

 

「私たち、これからは恋人同士だから毎年来れるね」

「ああ。そうだな」

「質問ついでにもう一個だけいい?」

「なんだ?」


 体ごと俺の方に向き直った沙優は、上目遣いでこう言った。


「吉田さんは二年前のあの時――本当に私に帰ってほしいと思ってたの?」



          ◇

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