第4話【幸せ】

 ......朝。

 目が覚めると、隣には愛する男性の寝顔。

 口を半開きにし、静かな寝息を立てている彼はまだ夢の中。

 頬に薄っすら伸びたひげに指で触れ、ジョリジョリとこそばゆい感触を愉しむ。

 私の密かな毎朝の楽しみだ。

 一瞬「ううぅ」と呻き、手を止めればまた何事もなかったかのように眠る......。

 昨晩の激しさが嘘みたいな、恋人の私だけが独占できる可愛いらしい寝顔。


 未だに吉田さんと恋人同士になったことが信じられない。

 吉田さんはサラリーマンと家出JKの関係だった以前と比べて、接し方が柔らかくなった。

 元々優しい人ではあったけれど、それは子供と接するような保護者的な態度。

 私はそれに心地良さを感じている部分もあった。

 今は対等の立場で、大人の女性、恋人として接してくれる。

 日々の生活から大事にされている、愛されていることを実感できて、毎日が幸せでたまらない。

 幸せ過ぎて、昨日も結局時間を忘れ愛し合ってしまった......。


 最初は、私に遠慮していたのか、割れ物でも扱うように優しく求めてくれた。

 とても彼らしいと思う反面、もっと私を求めてほしいという欲求もあり、焦れったかった。

 大事に扱われたい気持ちと、欲望の赴くままにめちゃくちゃにしてほしい気持ち。


 これが恋なんだな......。


 恋をする前に、私は顔も名前も覚えていないような相手に、一度きりの大切な初めてを捧げてしまった。

 できれば吉田さん、初恋の相手にもらってほしかった。

 世の中は嫌になるほど上手くできている。

 親友を目の前で失い、終わりの見えない絶望のトンネルの中を独り彷徨っていたところに、最愛の人との出会いがやってきたのだから......。


 吉田さんの寝顔をもう少し眺めていたかったが、時計の針は午前9時過ぎを指している。

 今日は土曜日。

 吉田さんの仕事はお休みで、私も土日はバイトがお休みだ。

 寝てようと思えば何時までだって寝ていられる。

 でも彼がいつ起きてもいいように、彼女らしく朝食の準備だけはしておきたい。

 ベッドからそっと体を起こし、声を抑えて伸びをする――あ、ちょっと筋肉痛かも。

 浴室に向かい、ちょっとぬるめのシャワーを浴びて目を覚ます。


 戻ってきても吉田さんの寝相は変わらず。今週は仕事が忙しかったところに、私との連日の行為だ。余程疲れているのだろう。

 今日の夕飯は何か性の付く食べ物、そうだ鰻なんかいいかも?

 夕飯の献立の前に、まずは朝食の準備だ。

 冷蔵庫から玉子とハムを取り出し、熱したフライパンの上で焼き、黄身がほど良い半熟になるようほんの少しだけ蓋をする。

 その間にサラダを手早く盛りつけ、冷凍してあるご飯を電子レンジで温める。

 私は朝はトースト派だったが、二年前の吉田さんとの生活がきっかけでご飯派に寝返った。

 トーストよりもご飯の方がお腹持ちが良く、貧血にもなりにくくて結果オーライだ。

 目玉焼きと並行して作っていた味噌汁もいい感じに出来上がり、だしと味噌の香りが食欲をそそる。


「......おはよう」


 朝の定番メニューを手慣れた手つきで準備を進めていると、吉田さんがまだ眠そうに起きてきた。


「おはよう、吉田さん。もう少し寝てても良かったのに」

「ああ。美味そうな匂いに釣られてついな」

「昨日もいっぱい運動したもんね。きっとお腹が空いてるんだよ」


 その言葉に吉田さんは「......しょうがねぇだろ。沙優の体が魅力的すぎんだから」と頬を赤くし呟き、視線を逸らした。

 彼のこういう恥ずかしながらも素直に気持ちを伝えてくれるところが、私はたまらなく愛おしい。

 

「えへへ。吉田さんのために日頃から体型維持に努めていますので」

「苦労をかける」

「全然。好きな人にいつまでも好きでいてもらいたいと思うのは当たり前でしょ。そのためなら私は努力を惜しまないし。でもおっぱいは、吉田さんの協力がないともっと大きくならないかな~」


 人差し指を口元に当て、悪戯っぽく吉田さんに微笑む。


「喜んで」

「よろしい。ご飯の前に先にシャワー浴びてきたら。気持ちいいよ」

「そういや昨日は風呂入ってないんだった。そうさせてもらうよ」

 

 浴室に向かうぼさぼさ頭の吉田さんの後ろ姿を見送り、朝食の準備を続ける。

 10分ほどで吉田さんは浴室から戻り、揃って朝食をいただく。

 休日ののんびりした雰囲気が食卓を包み、雑談に華が咲き、食べるのも忘れ夢中になってしまう。

 思い出の続きを、こうして恋人として紡ぐことができた――北海道に戻ってからの二年間、死に物狂いで必死に頑張ってきたかいがった。

 

「......あ」

「どうしたの?」


 ふと吉田さんのスマホにメッセージが入り、画面を覗いた彼の顔が苦笑を浮かべる。


「いや、神田先輩からなんだけどさ。すっかり忘れてた」

「神田さんか......そういえば私、まだ一度も会ったことなかったね」


 吉田さんが先輩呼びする神田さんとは、同じ高校の一学年上の先輩にして、吉田さんが高校時代に付き合っていた女性だ。

 偶然にも私が北海道に戻る直前、仙台から吉田さんの勤務先の部署に転属されたことで運命的な再会を果たした。

 

「その神田先輩が、沙優と一度会って話してみたいんだとさ」

「私と? え、なんで?」


 目玉焼きの残った黄身の部分を頬張る私に、吉田さんが言いづらそうに告げた。


「さぁな。あの人のことだ。きっとロクなことを企んでない気がする」


 以前卒業アルバムに挟まっていた写真を見た雰囲気では、気の強そうなお姉さんタイプだったと記憶している。

 後藤さんとはまた違った包容力のある女性にも見えた。


「もし嫌なら断るけど、どうする?」

「......ううん。嫌じゃないよ。昨日で定期試験も終わったことだし、むしろ私も前から会ってみたいと思ってたから丁度いいかも」


 吉田さんの初めての人。

 その後も彼の心の中に深く刻まれた神田さん――興味がないわけがない。

 神田さんのどんな部分に惹かれ、好きになったのか――現在の恋人として是非知っておきたいと思うのは当然の心理だ。

 あとおっぱいの大きさも気になる。


「じゃあその旨を伝えておくよ。いつが都合いい?」

「えーと、今度の水曜日の夜とかどうかな。その日なら私、午後のバイトもお休みだから」

「了解」


 メッセージを送信して数秒後。

 すぐに神田さんから「OK!」の返事が届く。

 そこでその話は一旦おしまい。

 私と吉田さんは朝食のあとも他愛のない会話を続け、二人っきりの休日を思う存分満喫した。

 買い物デートに外食もして......あと、やっぱりえっちも、ね?

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