第2話【もう一つの行方】
その日、社内に衝撃が走った。
プロジェクトのため、一時的に仙台支部へ異動になっていた後藤さんの、正式な異動の知らせが届いた。
「吉田が責任を感じることじゃないだろ?」
社内食堂の壁側の席で、橋本は特に周囲を気にする様子もなく、俺を励ました。
「でもな.......」
「本人が仙台に残りたいって言うなら、それはもう本人の意思だよ」
いかにもさっぱりした橋本らしい態度で、昼食の塩さば定食に箸をつける。
「沙優ちゃんを選ぶってことは、こういう事態が起こることは充分予想できたはずだ。違うかい?」
「そりゃあ、そうなんだけど」
「まだ後藤さんに未練があったり」
「茶化すな。怒るぞ」
鋭く睨んでやれば橋本は嘆息して小鉢の豆腐の角を箸で崩し、口に入れる。
俺は沙優に告白した次の日、未練が残らないよう、仙台まで後藤さんに直接気持ちを伝えに行った。
二三発ひっぱたかれる覚悟で顔を強張らせる俺に、後藤さんは、
「.........そう。吉田君が選んだんだもの。受け入れるわ」
後藤さんがいなければ、俺は沙優への気持ちを誤魔化したまま、この人と付き合っていただろう。
社会に出てからの一番の恩人であり、長年片思いをしていた女性。
誰よりもあの人は、俺を近くでよく見ていたのかもしれない。
そんな後藤さんの居場所を奪ってしまったみたいで、罪悪感を感じずにいられなかった。
「同じ会社にいる以上、またそのうち会えるさ。今は振った相手のことより、選んだ相手の幸せを第一に考えてあげることだよ」
「......橋本」
「何だい?」
「ありがとな」
橋本の言う通りだ。
俺は沙優と残りの人生をともに歩んで行くと誓ったんだ。
親友との別れや母親との
二年前よりも成長した姿で、俺に想いを伝えるために。
最初は大人びた雰囲気に戸惑ったが、根は二年前と何ら変わらない。
沙優がずっと笑顔でいられるよう最善を尽くすのが、今の俺の目的であり希望だ。
大きく息を吐き出し、気持ちを切り替えて昼食の冷やし中華に箸をつけようとした時、スマホに沙優から画像が届く。
口角の上がる俺に橋本が「沙優ちゃんかい?」と訊いてきたので、黙ってスマホを見えるように向けてやる。
「あの二人、今日も一緒にいるんだ。ホント仲良いね」
「丁度お互い夏休み中だからな。
『昼食なう』と下にメッセージが添えられた画像には、家で残り物のカレーを食べながらピースサインをするあさみと、自撮りで手を伸ばす沙優の姿が。
昔みたいに沙優と頻繁に会えるようになったあさみは、昼間から家にやってくる機会が増えた。その代わり、夜は早く撤収する。何に気を遣ってんだかバレバレだ。
「俺も混ざりたいって顔してるけど、吉田、このあと会議が控えてるのを忘れないでね」
「バカ野郎。誰がんなガキみたいな理由で早退するか」
「顔については否定しないんだな」
橋本の指摘に「まぁな」と小さく呟く。
眼鏡の奥に笑みを浮かべ、橋本は塩さばをご飯の上に乗せ、一緒に口の中に放り込む。
『こっちもいま昼食中』と短く文章を打ち込み送信。
仕事のある平日は、こんな風にどうでもいいやり取りをスマホでするのがちょっとした楽しみだ。
「僕らも写真撮って送ろうよ」
「男二人でくっついて写真を撮る趣味は俺に無い」
「冷たいねぇ。僕と吉田の仲じゃないか」
「誤解を招く言い方はやめろ」
沙優たちだって、おっさん二人が無愛想にメシ食ってる画像貰っても困るだろ。
三島や神田先輩もいればいいが。外にでも食べに行っているのか、食堂を見渡す限り姿は見当たらない。
一時期三島はよく俺と橋本に混じって昼食を取っていたが、ここ最近は神田先輩と行動をよく共にしている。
「沙優ちゃんと恋人として過ごす初めての夏だ。当然何処かに行こうと予定はしているんだろう?」
「毎日沙優と話し合って選んでるよ」
女子大生になり、母親の束縛から解放された沙優なら、俺の力を借りなくても自由に何処へでも行ける。そうじゃないんだ。
俺が沙優に直接いろんな世界を見せてやりたい。
愛する人が一体どんな反応を見せてくれるのか。俺はそれを隣の特等席でただ眺めていたい――恋人として。
「......吉田、いま幸せかい?」
「!? ゴホッ!! ...ゴホッ!!」
正面から俺を見据える橋本に驚き、呑み込もうとした麺が変なところに入ってしまいむせる。近くにあったコップを手に取り、なんとか喉を整える。
「幸せをかみしめてる真っ最中だよ。変なこと訊くな」
「僕も友人がようやく幸せを手に入れてくれて安心したよ」
橋本も後藤さんや三島同様、沙優の件では多くの人に助けられた。
一人では動けない、情けない俺の背中を何度も押してくれた、頼りになる同僚。
この借りはいつか絶対何らかの形で返したいと、あの時からずっと思っている。
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