百万年を生きるねこ
東かおる
ねこが知ること。
「ふくちゃん、ふくちゃん」
深くて柔らかい声が私を呼んでいる。
「ふくちゃん、ふくちゃん」
私はここですよ、と一つ鳴いてからその薄い体に擦り寄った。
飼い主はもう随分と目が悪くなっていて、
すぐには私を見つけられないのだ。
擦り寄った私に気がついた飼い主は、その
細い指で私をそっと撫でた。
「ふくちゃん」
何度も名前を呼ばれるから、その度に私は答えてあげたのだ。
やがて飼い主は周りを囲む家族たちの名前を一人一人呼んだ。その、深くて柔らかい声に優しさを滲ませて、噛み締めるように呼んでいた。
「ふくちゃん」
さいごに呼ばれた私の名前はもう殆ど掠れていて、猫の耳を持っていて良かったなぁと思いながら私は大きな声でにゃおんと鳴いた。
その後、私は飼い主の家族たちの元へと引っ越した。みんな良い人たちで、優しくしてくれたけれど、特に飼い主の孫は私をよく呼んだ。
ふくちゃん、ご飯ですよ。ふくちゃん、寒くない。ふくちゃん、ふくちゃん。
ある日、孫はやけに静かに私を呼んだ。
どうやら飼い主に最期のお別れをしたらしい。
「おばあちゃんね、寝てるみたいだった。」
ぽつぽつと零されるのは、飼い主のこと。
とっても優しかったこと。でも時々すごく厳しかったこと。大好きで、憧れだったこと。
「おばあちゃんが私の名前を呼んでくれた時、私はいつも元気が出たの」
そういって、孫はぎゅっと膝を抱えた。
「私、おばあちゃんみたいになりたかった」
私は少しだけ間を置いてから、小さくにゃんと返事をした。
ねこは、ちゃんと知っているのだ。
飼い主の声に滲む優しさを知っている。
あのしわしわの手の温もりを知っている。
名前に祈りが込められること、それが1番優しい祈りだということを知っている。
その祈りを込めて呼ばれる名前が幸せな響きを持つことを、よく知っている。
「ふくちゃん」
私を呼ぶ声はもう掠れてもいないし、
撫でる手は若く張りがある。
ねこはきちんと理解していた。
もう飼い主はいないのだ。
私を呼ぶのは孫であって、飼い主ではない。
それでも、と猫はにゃおんと鳴いた。
それでもねこは知っている。
その声が呼ぶ名前に、優しい祈りがあること。猫を撫でるその若い手に、しわしわの手とよく似た温もりがあること。
孫が飼い主と既に十分似ていることを、
ねこはちゃんと知っているのだ。
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