炎海─うたげ─

諏訪森翔

 今日も一日適度に疲れた。そう思いながらあなたは明日を迎えるため布団に入って眠りについた。

 だが、あなたはいつの間にか膝まで水に浸かっている状態で立っていることに気が付いた。上を見ると真っ暗で月も星も無かった。だが、光源が海の上にあったことでなんとか自分の姿が見える。

 光源は水の上にある焚き火のような掠れたオレンジの炎であり、それらはパチパチと爆ぜていた。不思議と炎は触れても熱くはなく、寧ろ冷え込んでいた。

 絶えず揺らいでいる波の感覚を受け止める腿と流れを水中で感じながらなんとなく、あなたは動かなくてはと思い、自分の思う方向へと進んでいく。

 しばらくパチパチと爆ぜる音を立てる水をかき分け進んでいくと、腰を下ろして腹の部分まで炎の海に浸かった老人と出会った。

 老人はあなたを見ても何も言わずにただ見つめていた。

 あなたは何となく老人の隣に同じく腰を下ろすと、老人は「もう少し色々なことをしてみたかったとも思う」と小さくこぼした。

 その一言を発すると老人はまた黙り、あなたはもう何もないだろうと思い、立ち上がって老人の前を通り過ぎていった。


 老人を通り過ぎると先ほどまで焚き火のような枯れた炎の海はオレンジ色でごうごうと激しく燃え盛る海へと変わった。だが相変わらず見た目とは裏腹に熱いとは思わず、人肌の温もりのような生暖かい温度だった。

 しかしオレンジの炎の海は熱くないにも関わらず蜃気楼でも発生しているのか視界がぐらぐらと揺らめき、あなたの目の前に白髪の混じった一人の中年の人物を映し出していた。

 あなたはその人物へと近づこうとするが悉くが蜃気楼であり、触れることができない。今から遥か遠くにいるのだけは明白だった。

 そして蜃気楼漂う海をかき分けながら恐る恐る近づいて本物と出会った時、それはあなたにこう言った。

「これから自由なはずなんだが、身体は寧ろ不自由に近づいていく一方だ」

 半ば苦笑混じりにそう言うと中年の人物はあなたの肩をぽんと叩きながらあなたが歩いてきた道を遡るように通り過ぎて行った。


 中年の人物が視界から外れた瞬間、目の前の炎が突如として青に変わり、さらに勢いよく燃え盛り始め、あなたを包み込む。

 これまでと変わらず焼けはしないものの、炎に包みこまれたあなたは不思議と心の奥底から何かに対する意欲と熱意が芽生え始めていた。

 こっちに誰かがいると根拠のない自信を携えているあなたは炎の中を先程までの探るようなひっそりとした歩みではなくしっかりとした強い力で一心不乱に進んで行く。その最中にあなたは何かを思うわけでもなく、ただ目の前の出来事に対する好奇心でいっぱいだった。

 しばらく進んでいると、目の前に水中から水しぶきを上げながら何かが勢いよく飛び出してきた。

 それは若い人物で、全身を濡らしながらも自信に満ちた笑顔であなたを見ていた。

「これからが楽しみで仕方ない。ああ、何が待っているんだろう!」

 そう言いながら若い人物は再び水中へと勢い良く潜っていった。

 あなたは若干青い炎で遮られた視界越しでも悠々と泳いで離れて行く姿を視認することができ、その背中が完全に見えなくなった頃、視界が真っ白になった。

 突然何も見えなくなったあなたはパニックになったが、向こうから逆光によって生まれたシルエットがバシャバシャと先程よりも小さな水しぶきを立てながらこちらへ近付いてくるのを見つけた。

 それはゆっくりと時間をかけてあなたの元へたどり着き、その真の姿を目に捉えることができた。

 正体は小さな子供だった。小学生ほどの子供は胸のあたりまで水に浸かりながらあなたの顔を見つめていた。

 そしてしばらくして子供は満面の笑顔でこう言った。

「目に映る何もかもが素晴らしくて、楽しい! あなたは?」

 そう言って子供はこれまでの人たちと同じくあなたが歩いてきた道を遡るように通り過ぎて行った。

 子供があなたから離れれば離れる程に視界は真っ白から段々と最初のような景色を取り戻し、やがて水があなたにぶつかる音だけが聞こえる完全な暗闇になった。あなたが振り返るとはるか向こうに白い小さな点があり、それがあの子供なのだろうと思った。

 前を向き直し、ひとり真っ暗な海に取り残されたあなたはただ、なんとなく歩み始める。

 しかし先程まで苦じゃなかった抵抗はいつの間にか現実よりも酷い抵抗を持っており、一歩一歩を進める度に下半身が悲鳴を上げた。ぱしゃん、ぱしゃんと冷たい水が当たるのを感じながらもあなたは歩き続けていると、その水が当たる場所が腿から腹のあたりに変わっていることに気が付いた。

 肩の上のあたりで動かしていた腕を恐る恐る、下へと下ろしていくと、胸の部分で海から跳ねた水が当たった。

 水深が深くなっていることにあなたは気が付いたが危機感を感じるわけでもなくひたすらに水の中へと歩いて行った。

 やがて海があなたを完全に包み込んだ時、あなたはさっき会った子供が自分だったことに気が付いた。それを皮切りにこれまで会ってきた三人を本能で察知した瞬間、海の中がまばゆい光で溢れた。


 気が付くとあなたは布団の中で目を覚ましていた。傍らの時計を見るといつもより少し早い時間だった。

 珍しく目を覚まさせる必要がないほどに明瞭とした意識の中、なんとなく凄い夢を見たような気のしているあなたは顔を洗うべく洗面台へと歩いて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

炎海─うたげ─ 諏訪森翔 @Suwamori1192

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ