第10話 熱中する葵

 葵と遊ぶ約束をした次の日。彼女は時間通り空の家に来た。


「こんにちは、せんぱい!」

「おう、こんにちはだ。上がってくれ」

「はい!」


 既に苦手意識のない空にとって、葵の晴れた空のような笑顔は向けられるだけで心が温かくなる。

 とはいえこれは彼女の性格故だし、他の人にも向けるだろうから勘違いはしない。

 恩人だから異性として好意を持たれる、という事などあるはずがないのだから。

 それでも、美少女が自らの家に遊びに来るという状況は僅かだが心が躍る。

 内心を表情に出さずにリビングへ案内し、既に準備していた据え置きのゲーム機の電源を入れた。


「昨日の感じからしてさっぱりだと思うけど、やりたいRPGはあるか?」

「全然分からないので、せんぱいにお任せします!」

「だよな。となれば、これかな」


 葵の返答は予測出来ていたので、空の方で彼女に何をさせるか選んでいたのだ。

 一応、そこまで複雑な操作は必要としないはずだが、何せ空はゲームに慣れている。

 初心者と同じ立場にはなれない。


「難しいと思ったら別のゲームでもいいからな」

「りょーかいです。でも、取り敢えずはやってみますね」

「それと――何でもない」

「え、何で言うのを辞めたんですか。滅茶苦茶気になるんですけど」

「いや、その、無理そうだったらちゃんと言うんだぞ」


 空がお勧めしたゲームは、重い展開もあるものだ。

 今更ながらに失敗したかと後悔し、念の為に釘を刺す。

 空の態度からただごとではないと感じたのか、葵の頬が引き攣った。


「わ、分かりました」


 おっかなびっくりという風に葵がうなずき、ゲームを始める。

 最初に行われるチュートリアルに多少の補足を挟み、それ以降は見る事に徹する。

 これ以上口を挟むのは野暮でしかない。


「おぉ、勇者の旅立ちですね! いかにも冒険って感じです!」

「まずは王様に会いに行くんですね!」

「は、はい? 勇者が悪魔? どういう事ですか?」

「え、牢屋に入れられたんですが……」


 ゲームを始めて数時間が経過しているが、葵は様々な出来事に良いリアクションをしてくれる。

 空が近くに居るからなのかもしれないが、それにしても見ていて飽きない。

 問題は、ゲームに熱中しているからか、ソファの反対に座っている空との距離が少しづつ縮まっている事だろうか。


(まあ、それだけ熱中してるって事だろうな)


 新鮮なリアクションは見ごたえがあるので、ここで話し掛けて集中を乱したくはない。

 それに葵の性格ならば、空との距離が縮まっていても気にしないだろう。

 なにせ、料理の際に隣に並んでも全く気にしなかったのだから。


「おじいちゃんって私が分かるんですか?」

「え、あ、ちょっと! 折角会えたのに!」

「……さっきまで見てたのって、過去だったんですか?」


 喜怒哀楽、ころころと変わる表情とリアクションは、生で実況を見ているように思える。

 感動的な場面で声が震えているので、余程感極まったらしい。

 そんな風に熱中する葵を眺めていると、あっという間に時間が過ぎていった。

 タイミングを見計らって声を掛ける。


「そろそろ晩飯の買い物に行くか」

「もうそんな時間なんですか?」


 全く時間を気にしていなかったようで、テーブルに置かれていた時計へ葵がちらりと視線を送った。

 夕方どころか夜に差し掛かっているのを理解したからか、可愛らしい顔立ちがぴしりと固まる。


「……え? さっきせんぱいの家に来たのに、もうこんな時間なんですか?」

「いやー、ゲームあるあるを体験してくれて嬉しいぞ。でも、流石にお開きだ」


 時間を忘れてしまうのは、それほど夢中になってくれた証拠だ。

 出来る事ならずっとゲームしていて欲しいが、そういう訳にもいかない。

 微笑を落として買い物をうながすと、葵が渋々といった風に立ち上がった。


「むー。これからだったんですが……」

「バイトが休みなんだから、早めに晩飯を食べた方が良いだろうが」


 バイト終わりに晩飯を摂るのはいつも通りではあるが、普通の人からすれば遅すぎる。

 わざわざいつも通りの時間に食べる必要もないだろう。

 不服そうに空を見つめる蒼色の瞳を無視して立ち上がると、諦めたのか彼女も立ち上がった。


「確かにそうですね。それじゃあ行きましょうか」

「ああ」


 すぐに帰ってはくるものの、一応戸締りをして玄関に向かう。

 鍵を閉めてエレベーターに乗り、スーパーへと向かった。

 特に会話もなく無言で歩いているが、ちらちらと葵が空へと視線を向けて来る。


「どうした?」

「こうしてせんぱいと歩けるのって、何かいいなと思いまして」


 ふにゃりと緩んだ笑顔と発せられた言葉に、心臓が僅かだが跳ねた。

 あくまで初めて会った時の事を思い出しているのだろうと思いつつ、ふっと表情を緩める。


「初日以来だからな。いつも買い物に行かせて悪い」

「私がやるべき事なんで、それは言いっこなしですよ。本当は、今回も私だけで買い物に行こうと思ってはいたんです」

「ゲームにあんなに熱中してたのにか?」

「……それは言わないでくださいよ。いじわる」


 本人は怒っているのだろうが、むっと唇を寄せて拗ねる姿は誰が見ても可愛いと言うだろう。

 とはいえ余計な事を言って機嫌を損ねたのは確かなので、素直に頭を下げる。


「悪かった。というか、一人で買い物に行こうとした割には俺に何も言わなかったな」

「一緒に買い物に行くのも悪くないなと思いなおしまして。それに、言ってもせんぱいは納得しなかったでしょうし」

「当たり前だろ」


 葵が買い物に行ってくれるのを当たり前だと思ってはいけない。例え、彼女が空から料理を教わる対価だと思っていても。

 ましてや、バイトが休みの日に空だけ家で待っているなど論外だ。

 迷う事なく断言すれば葵の機嫌がすぐに直り、くすぐったそうに笑った。


「相変わらずせんぱいは優しいですねぇ」


 信頼のこもった目を向けられると、どうにも居心地が悪い。

 葵から視線を外しつつ、乱れた心を落ち着かせていく。


「そんな事ない。大した事は教えてないから、こういう時は俺も動かないといけないと思っただけだ」

「私からすれば、かなり教わってる方なんですが」

「それでも、俺が納得出来ないんだよ」

「ふふ。そういう所が優しいんですよ」

「知らん」


 あくまで空が納得する為に行っている事だと自らに言い聞かせ、葵の歩幅に合わせてゆっくりと歩くのだった。

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