第2話 まずは世間話、そして晩ご飯の約束

「「……」」


 マンションのエントランスを出て、空と葵はゆっくりと近くのスーパーへ向かっている。

 とはいえ空達の間には会話などなく、静寂に包まれているのだが。


(何か、意外だな……)


 この手の陽の者はあれこれと話題を口にし、喋り続けると思っていた。

 しかし葵はずっと口を閉ざしたままで、偶にちらちらと空に視線を送るだけだ。

 空としては静かな方が好きなので嬉しくはあるが、視線はどうしても気になってしまう。


「俺の顔になにか付いてるか?」

「い、いえ、そんな事ありません!」


 空の質問に、葵が華奢な肩を跳ねさせた。

 どうやら空の顔がおかしい訳ではないようなので、これ以上は詮索しない。

 葵から視線を外して黙々と歩いていると「あの……」と空の顔色をうかがうような声が耳に届いた。


「どうした?」

「せんぱいって、結構前からあのマンションに住んでるんですか?」

「高校入学したタイミングで住み始めたから、もうすぐ一年になるな」

「そうなんですか。……一人暮らしって、大変ですか?」


 形の良い眉が下がっているのは、踏み込んで良かったのか悩んでいるからだろう。

 葵のような人は空の事情などお構いなしに踏み込むと思っていたので、かなり意外だ。

 とはいえまだ会って数分しか経っていないし、外見と初対面の印象だけで他人を全て分かった気になるのは傲慢ごうまんだろう。

 葵への苦手意識が僅かだが消えるのを自覚しつつ、小さな笑みを零す。


「大変でもあるし、気楽でもあるな」

「ほうほう。具体的には? 経験者の本音をお聞かせください」

「飯は用意しないといけないけど、その分自分の好みの物だけを食べられる」

「それは最高ですねぇ」


 嫌いな物が無い人は確かに居るだろうが、好きな物が無い人はほぼ存在しないはずだ。

 葵のへらっと気の抜けた笑顔からも、空の意見に同意しているのが分かる。


「それと、親が居ないからあれこれ言われなくて良い」


 一般的な親へのわずらわしさは、門限や部屋の片付け、勉強の催促くらいだろうか。

 勿論、何も言われなくなる分だけ自分に責任がのしかかるが、それが一人暮らしというものだ。

 あまり重い話にするつもりはないと苦笑を浮かべて告げれば、葵の整った顔が僅かに曇る。


「…………確かに、そうですね」


 先程まで見せていた笑顔とは違う、痛みを押し殺したような表情。

 理由の詳細は分からずとも、原因は容易に想像が付いた。


(ま、そりゃあ訳アリだよな)


 空達のマンションは1LDKであり、家族で過ごすにはあまり適さない。

 少なくとも、高校生の娘が居る家族では明らかに手狭だろう。

 だからこそ葵は一人で引っ越しをしたのだと空は判断したし、彼女も空が一人暮らししていると確信したからこそ先程のような発言をしたはずだ。

 同時に、それはお互いの家庭に問題があるという証明にもなる。

 男であれ女であれ、普通の高校生は一人暮らしなどするはずがないのだから。


「良かったな。夜更かししたり、夜遊びし放題だぞ」


 目の前に見えている地雷を踏み抜きはしない。

 それは、出会って数分で行う事ではないから。

 代わりに肩を竦めておどけると、美しい蒼色の瞳が見開かれ、それから柔らかく細められる。


「ふふっ、そうですね。遊び放題です」


 どうやら多少元気が戻ったようで、葵の雰囲気が明るくなった。

 隣で騒がれると鬱陶うっとうしいとは思うが、かといって落ち込まれるのも気まずい。

 これで良かったのだと内心でホッと溜息をつくと、ちょうど目的地が見えてきた。

 中に入ると、葵が頬を緩ませながら空へと視線を向ける。


「それで、せんぱいはお昼ご飯に何を食べるんですか?」

「え、そこが気になるのか?」

「はい!」


 隣に住んでいるとはいえ、食事の内容が気になるのはおかしい。

 疑問はあるがわざわざ隠す必要もなく、僅かに首を傾げつつ口を開く。


「さっきも言ったけど昼飯は適当な惣菜――というより弁当でいいかな。晩飯は回りながら考える」

「晩ご飯も一緒に買うんですね」

「二回もスーパーに来るのは面倒だからな」

「ほうほう。ちなみに晩ご飯も弁当なんですか?」

「いや、自炊」


 ゆっくりと店内を歩きながら告げれば、葵の瞳が驚きにか見開かれた。


「せんぱい、自炊するんですね」

「作る物次第で弁当よりも安上がりになるからな。男が飯を作るのは意外か?」

「そんな事は。凄いなって思っただけです」


 自炊はもう一年近く行っている事なので、特別感はない。

 だからこそ、葵に尊敬の眼差しで見つめられると気まずくなってしまう。

 葵から僅かに視線を逸らし、ふと頭に浮かんだ疑問を口にする。


「そういう朝比奈は自炊するつもりなのか?」

「はい。まあ、出来るとは思いますよ」

「その言い方はした事ないんだな」

「ですね。……そういう女性は、嫌ですか?」


 長い睫毛まつげを伏せ、僅かに沈んだ声を漏らした葵。

 踏み込み過ぎたと後悔しつつ、眉を下げるだけに留めて首を振った。


「別に。女性でも料理しない人は居るだろうしな。変な事を聞いて悪かった」

「せんぱいが謝る必要なんかありません! むしろどんどん質問してください!」

「いや、特に質問なんて無いけど」


 何故か元気になった葵が「さあ来い!」とばかりに瞳を輝かせる。

 しかし出会ったばかりの、しかも女性への質問など出来る訳がない。

 どこに特大の地雷が潜んでいるか分からないのだから。

 さらりと流して視線を食材に移せば、視界の端で葵が項垂れているのが見えた。


「うぅ……。そういう人だっての忘れてた……」

「何か言ったか?」

「いえ、何も! というか、夜は自炊するんですよね?」

「そうだけど」


 あまりにも小さい声だったのでよく聞こえなかったのだが、葵の態度からして聞かせるつもりはなかったのだろう。

 気を取り直した彼女は、決意に満ちた表情をしていた。


「なら、私にご馳走させてください!」

「は? 何で?」

「スーパーに案内してくれたお礼です!」

「えぇ……」


 スーパーに案内するだけでお隣さんから手料理が振舞われるなど、聞いた事がない。

 しかも、多少苦手なタイプであっても紛う事なき美少女からだ。

 嬉しい気持ちはあるものの、あまりの急展開に頬を引きらせてしまう。

 そんな空を見て、葵がむっと表情を固くした。


「今まで自炊した事がない人の料理は不安で食べられませんか?」

「まさか。誰だって最初は初心者なんだし、それで選り好みはしないって」


 料理など手順通りに作ればいいだけだ。

 勿論、慣れた人の方が美味しい物は作れるだろうが、それは仕方がない事だろう。 

 空とて初めて自炊した時は失敗こそしなかったが、普通の料理が出来たのだから。

 不快にさせるつもりはなかったと首を振れば、葵が腰に手を当て僅かに胸を張る。


「ならいいでしょう?」

「…………分かった。それじゃあ今日の晩飯はお願いするよ」


 初の料理でも食べられると言った手前、ここで強く否定は出来ない。

 それに、こんな機会は今日限りなのだ。

 葵の提案の裏に潜む彼女の真意を探るよりか、たった一度の機会を受け入れてしまう方が後腐れがなくて良い。

 小さく溜息をつきながら応えると、葵は花が咲くような笑顔を見せた。


「ありがとうございます!」

「むしろお礼を言うのは俺の方だ。ありがとな」

「いえいえ! それでは早速せんぱいの晩ご飯を選びましょう!」

「なら野菜炒めにしようかな」


 野菜炒めは定番中の定番だろう。葵とて失敗しないはずだ。

 そう判断して口にすれば、小さな唇が不機嫌そうに尖る。


「もしかして、私の為に遠慮してませんか?」

「まさか。手軽に食べれる良い料理だぞ」

「……ならいいですけど」


 内心を綺麗に当てられたものの、表情に出さずに流すと葵は引き下がってくれた。

 その後は野菜炒めの材料を選び終え、昼飯用の弁当のコーナーに辿り着く。

 ちらりと周囲を見れば、葵へと視線が集められていた。


(ま、そりゃあそうだよな)


 金髪というだけでどうしても目立ってしまうが、葵の顔立ちは日本人そのものだ。

 だからこそ人間離れした美貌びぼうで畏怖を感じる事なく、柔らかく馴染みやすい雰囲気を醸し出している。

 それでも、空のように苦手意識を抱く人は居るのだが。

 そんな葵と一緒に歩くと少しだけ居心地悪くなるものの、それを彼女に言うのは筋違いだろう。

 ひっそりと溜息をつきながら弁当を選んでいると、隣の葵も顎に手を当てて考え込んでいた。

 周囲の視線を気にするような素振りすらないのは、慣れているからに違いない。


「これにします。せんぱいは決めましたか?」

「ああ。これでいいや」

「でしたら後はお会計ですね!」

「あ、おい!」


 葵がご機嫌な笑顔を浮かべ、空が手に持っていた弁当を奪い取って自分のかごに入れる。

 野菜炒めの材料費は選ぶ際に彼女が払うと言って聞かなかったので、空の籠には結局何も入っていない。

 流石に弁当の代金くらい出さなければと声を張ると、葵が悪戯っぽい笑顔を浮かべて空を見つめる。


「せんぱいが買うのはお弁当だけですし、これなら一緒に払った方がいいですよね?」

「……まあ、確かにな」

「でしょう? さあさあ、行きますよ」


 何だか葵に言いくるめられた気がするものの、言っている事に間違いはなかった。

 釈然しゃくぜんとしない思いを抱きつつも葵と共に会計を済ませる。


「ありがとうございましたー」


 レジの店員に微笑ましいものを見るような目をされたが、反応する訳にもいかず無視した。

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