テイルズ・オブ・エピローグ

あまねく転生の終着点

 有明は草原で目を覚ます。青空にはきれいな太陽があった。

 むくりと上体を起こして辺りを見るが人の気配はない。ここがどこかなんて分かるはずもなかった。

 ダンジョン崩壊に巻き込まれたとすれば、あり得るのは死後の世界だろうか。


 状況が分からない有明は例の手を使うことにした。右手を前に伸ばすと、薬指には金色の指輪「黎明」が見える。

 

「おっけー、れーめ」


 あれからどうなったの、ここはどこ、有明はそう念じた。

 脳内に返事がある。


 ――魔王サタケは自滅。だが汝はダンジョン崩壊に巻き込まれ、時空の歪みに陥り体を失った。ここは肉体を失ったものが辿り着く異界「三途の川」である。


 ――案ずるなかれ。ここにこそ帰路が存在する。臨死の者が戻るように、汝も戻り日本で再生を果たすであろう。今はただ進め。


「了解」


 不死身って案外いい加減なんだね。有明はくすりと笑った。


 実際の「三途の川」は絵巻物のような奇怪な世界ではなかった。

 春のような太陽があって、いい匂いのする草花が青々としている。

 穏やかで静かで、汚されておらず、幽霊や鬼なんて見当たらない。

 聖地のように思えた。


 遠くから微かな水音が聞こえる。ここに方角があるかは不明にせよ、太陽を基準にすれば音の出どころは東だ。

 とにかく行ってみようと有明は立ち上がり、東に向かった。


 有明は長いこと歩き続けたが、喉は渇かず、腹は減らず、疲れも無い。太陽は沈まず、水音は少しづつ大きくなっているのだが、川に近づけた気配はなかった。

 有明は苦笑した。確かに異界っぽいね。


 細い道が見えた。有明は道に従う。

 道の幅は徐々に広くなっていくが、人っ子ひとり現れない。有明は修行僧のように無心に歩いた。


 さらに長いこと歩くと、遠く東に大河が見えてくる。絵巻物にあるのとは違い、実物は「海」ほどに大きく、向こう側ひがんは見えなかった。


 川べりで長杖を持つ少女がへたり込んでいた。どこかで見た気がする。有明は近づいていく。

 その子は高校の制服を着ており、ボブカットで小柄な少女で、真っ青な顔の深見彩だった。

 顔色が悪い理由は分からなかったが、放っておけず有明は声を掛ける。


「……深見、彩?」


 深見はゆっくりと顔を上げ、怯えるような、恐怖しかない顔を有明に向けた。


「だれですか」


 そう問われたとき、有明は迷った。

 今の有明は「神の子」を自称しても差し支えないが、初対面の挨拶としてはよろしくない。

 サタケ対策本部を名乗るのはどうかと考えたが、有明はそれもやめることにした。対策本部が出来る前に深見は死亡している。意味が通じないと判断した。


 結局、有明は元の職場の名乗りを使うことにした。過去生の自分を語るような違和感があった。


「警視庁迷宮部、安全対策課の有明朝日」 


 深見は気付いたような面持ちとなって長杖を放り出し、有明の足にしがみついた。指輪「黎明」の送り先は警察だったからだ。


「教えてください! サタケはどうなったんですか? 殺せたんですか? わたし、行かなきゃいけないってわかっているのに……死に戻りができなくて、ずっとここに居ました。怖いんです、無理なんです、わたしのせいなのに、ごめんなさい……」

 

 足にしがみつく深見は震えていた。心が折れてしまったかのように見える。そんな深見を見て、有明は「昔の私ってこんな感じだったのかなあ」としみじみする。

 有明は腰を下ろして深見を抱きしめる。お母さんのように慰めるつもりだった。


「サタケは自滅した。もう大丈夫。『黎明』にはだいぶ助けられたよ。ビデオレターも見た。ありがとう」


 聞いた深見は涙をこぼし、言葉にならない嗚咽を漏らしながら有明を抱き返した。

 有明は労わるように背中を撫でる。


 ひとしきり泣いて落ち着いたらしき深見は、有明から体を離して地べたに正座し、深々と土下座をした。 


「申し訳ありません。大変ご迷惑をお掛けしました。サタケの件、実は全部わたしのせいなんです。親の離婚でむしゃくしゃしてて、世界滅んじゃえって思ったんです。そうしたらこんなことになったんです。どうお詫びしたらいいか……もう一回死ねば許してもらえますか、わたし、喜んで死にますから……」


 土下座のまま、深見はつらつら自虐を言い始める。「生きてる価値ない」、「神様も絶対あきれてる」、「数え切れないほど仲間を死なせた」「なんでわたしは独りで黙って死ねない」「仲間に合わせる顔がない」……などなど。


 配信や短文投稿サイトイー・エックスのポストを見た者ならば、深見を「明るそうな子」と判断するかもしれない。だが、実物はメンタルに問題を抱えている人のように見える。

 死に戻りのせいで心に傷を負ったのかも。有明は薄っすらと察した。


 深見の言葉は止まらない。自分の言葉で落ち込む負のループを完成させた。

 おしゃべりをやめさせたほうがいいと有明と判断する。


「――それで」


「とにかく!」


 有明が一喝する。

 土下座のままの深見は体を震わせて言葉を止め、恐る恐る怯え顔を上げた。


「全部あなたのせいってわけじゃないよ。私も辛いときは変なことを願ったことがあるから。世界滅んでしまえとか。サタケも変なお願いをしたのかもしれない。他の人だって、辛いときは自暴自棄になるよ。あなたのせいじゃない。複合的要因だよ」


「でも」


「『そう・なん・です・か』。復唱だよ」


 有明は力業に打って出る。警官風の口調で市民ふかみに命令した。


「そう、なんですか」


「そう。何なら『黎明』に確認してもいいよ」


 そう言いながら有明は右手を前に出し、指輪が見えるようにした。深見は小さく首を横に振って必要ないことを示す。


 深見は再び頭を下げ、年頃の少女が見せるかわいらしい笑顔を見せた。


「有明さん、申し訳……じゃなくて、ありがとうございます」

 

「どういたしまして」


 笑顔がうれしくて、有明の顔もほころんだ。




 ――それから、二人はしばらく境遇を語りあう。


 深見は死に戻りが始まった経緯、繰り返される高校生活、仲間たちの話をした。特に仲間を道連れにしてしまったのが苦痛だと吐露する。


「それでも、みんなと一緒にいると安心できるから、甘えちゃったんです……」


 深見の声が震え始める。

 過去に囚われつつある様子を察し、もういいからと有明は慌てて止めに入った。


 有明は多数の転生経験、サタケ戦、神の子になってしまった経緯を話し、


「転生なんてもう飽きた。やっと世界を救えたし、これで私の物語はお仕舞いだよ」


 と締めくくった。




 話が尽きたあたりで、深見は立ち上がり長杖を拾った。


「もう行かなきゃいけないみたいです。サタケがいなければいいんですが」


「大丈夫だよ。ライフがゼロになったし、モンスターみたいに灰になったのも確認済み。サタケはもういない」


「……ですね。重ね重ね、ありがとうございます」


 深見は深々とお辞儀をした。


「今まで大変だったでしょ? 今度はめいっぱい遊ぶといいよ」


「そうします……すみません、最後にお願いしていいですか。わたしの仲間に出会ったら、道連れにしてごめんなさいと伝えてほしいんです。もう二度と仲間に会えないと思いますので。自分で謝りたかったんですが、呼び声をこれ以上無視できなさそうなので」


「わかった。あなたの動画を見ているから、仲間の顔立ちは分かるよ。ところで呼び声って何かな」


「川です。渡れって声がするんです。ずっと無視してたんですが、そろそろ難しそうなので。迷惑ばっかりでごめんなさい」


「最後は『ありがとうございました』。気にしてないから。謝る理由なんて無い。絶対に大丈夫。だから笑って」


 有明はめいっぱいの笑顔を示した。

 深見は寂しげに、小さく笑って返す。 


「そう、ですね……ありがとうございました。それでは」


 深見は進み、川に足を踏み入れる。ダンジョン転移門を潜ったときのように彼女の姿が消えた。絵巻物とは異なり「三途の川」には渡し舟が無いようだ。


 ためしに有明もちょんとつま先を川に付けてみたが、何も起こらない。

 有明が「黎明」に尋ねたところ、時が来れば自然と「行く」時がわかるらしい。

 川を渡れば輪廻の輪に達し、どこかへ転生する。有明の場合は輪廻を利用して元の世界に戻ることになる。そんな話だった。

 つまり、時が来るまで待つしかない。




 有明がのんびり待っていると、西から高校生らしき三人がやってくる。深見の仲間たちだ。

 有明は立ち上がり、三人を呼び寄せて、サタケの自滅や深見の謝罪を伝えた。

 話を聞いた眼鏡っ娘の住吉結衣は深々とため息をつき、お嬢様風少女の天神涼音は思案顔となる。スポーツマンにも見える空清健司は話など聞いていない様子で、頬を染めて有明の顔をじっと見ていた。


「あやっぺ、またメンヘラ炸裂してる。やっぱりあたしが居ないとだめかあ」


 やっぱり深見ってそういう子なんだ……有明はそんな思いを禁じえなかった。


「放っておけませんね。あら、ケンジさん?」


 天神の呼びかけに空清からの返事はない。彼は半ばとろけたようで、じっと有明の顔を見ている。

 天神は眉間にしわを寄せ、嫉妬した子がやるように空清の太ももをつねった。


「いっだぁ!」


「ケンジさん、あとでお話があります」


「またやったの? 飽きないねケンジ」


 三人の掛け合いに、有明は心がくすぐったくなる。

 深見にはこんな仲間が必要かもしれない。一人にするのはまずそうだし。


「みんな、また深見の仲間になるつもりなのかな」


「もちろん」

「当然です」

「当たり前」

 

 即答があった。

 有明は頷いて返し、何事かを呟く。右手の指輪が微かに光を帯びた。


「川の向こうに深見の姿が見えたら飛び込んで。それでまた一緒になれるはずだよ。あなたたちはきっと今回のことを覚えてる。頑張ってね」


 三人はお辞儀をして有明に礼を言い、それから川を睨む。


 すぐに住吉が駆け出して川に飛び込み、転移門を潜ったかのように姿を消した。

 空清と天神は手をつなぎ、同時に川へジャンプして姿を消す。

 これでよし……。有明の中に不思議な満足感が生まれた。


 これにより、深見彩の願いは完全に成就された。


 しばらくして、誰かに呼ばれたかのように有明は川向こうへ目を向ける。遥か彼方に、廃墟のビル群が見えた。豊洲地区のようだ。


「これが……呼ばれるってことかな」


 有明は川に近づいて目を閉じ、一歩踏み出す。転移門を潜ったときのように彼女の姿が消えた。

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