1605

株式会社太陽

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 0が100になるように意識が弾き飛んできた。それはまるで誰かに殴打されたかのようだった。

 僕は立っている。目の前にはレバーがある。さらにすぐ奥に線路があって先に行くと二つに道が分かれている。右の方向(太陽の位置や風景を見る限り池袋、新宿方面)の線路を見ると僕の家族がいた。年齢順に父、母、姉、弟、妹の5人。衝撃という言葉を使う意味がないほど衝撃だった。寝ている。いや、寝ているというより意識が没しているんだ。なんでここにいるんだ。

 次に左の方向(おそらく日暮里、東京方面)の線路を追っていくとまた衝撃の光景があった。人が一人倒れていたのだ。しかもそれは僕の彼女だった。「えっ、」と大きな声で言うと後ろの方から音が聞こえる。列車だ。山手線を走っているあの緑の列車がこちらにやってくるのだ。

 そうかこれは、いわゆるトロッコ問題というやつか。簡単に言えば1人を助けるか5人を助けるかを選ぶ問題。人類の答えの無い問題としてあまりに有名だ。僕は今、現実でその場面に向き合っている。早い、早い、早い。あと10秒足らずで列車がどちらかの線路の方向で人を轢く。

 両方に一生分の声を使うかのように呼びかけた。「列車が来るぞ!」と。でも反応がない。死人を叩き起こそうとするくらい反応がない。どちらかを助けに行くには確定的に時間はない。刻一刻と忌わしい列車の音が大きくなる。

 どうする、どうすれば良いいんだ。

 



 今、列車は右に行くようになっている。要はこのまま運命が一直線に落下すれば僕の家族5人を轢き殺すんだ。

 

 逆にレバーを切り替えてしまえば運命は左方向に曲がり、彼女を轢き殺すんだ。

 

 え、え、え、え。

 僕は選択を迫らされている。運命との迎合が迫らされている。

 もし今僕がレバーを動かさずに手を組んでいれば列車は右に曲がり、僕の家族5人を轢き殺す。だって仮にレバーを引いてごらん。彼女1人が死ぬ。彼女にしてみれば「僕がレバーを引かなければ私は死なずに済んだ」という状況が発生する。

 いわゆる「義務論」だ。「彼女には轢き殺される運命はない」という理性のもと行動している。

 そもそも彼女ば簡単に言えば僕が初めてこの世で愛した人だ。ある歌の歌詞のように言えば彼女という名の生まれて初めての宗教なんだ。

 

 対してもし今僕がレバーを引っ張って列車を左方向に行かせて彼女を轢き殺すと家族5人が助かる。

 1人だけではなく5人を助けることによって失われる命は減り、続く命が多い。要は「最大多数の最大幸福」である。いわゆる「功利主義」かな。5人が助かれば社会全体には労働力も増えるし納税額も増えるしで得は多い。

 もっと言えば僕と家族は当然だけど血の繋がった関係だ。父と母の半分をもらって生を受けている人なんだ。兄弟はその仲間、血を上手に分け合った仲なのだ。

 

 


 僕はレバーを見つめる。

 「でも待ってよ」僕は呟く。どっちを取っても僕は人を殺すことになる。数は違えど大事で大切で好きで愛している人を殺すことになる。

 父はいつも帰りが夜9時くらいだけど面白い話(父が昭和40年代に小学生だった時の話)をたくさんしてくれる。おかげで僕の教養を増やしてくれた。さらに年に三回くらい母に隠れて諭吉さんを二枚くらいくれる。おかげで僕の馬鹿な青春謳歌は保たれている。

 母は肉じゃがに砂糖を余分なほど入れて僕らを糖尿病予備軍にしようとしている人だけど料理が美味い。いつも学校で食べる弁当は本当に自慢なんだ。まあおかげで太りかけているけど。

 姉はうるさい人だ。テレビで好きな歌手が出た時も都市伝説番組を見た時は絶叫し、ピアノは叩くように弾くし、足音はゴジラのようにうるさい。でもその分僕ら家族の士気を上げてくれる。まぁでももうちょい静かにしてや。静岡に流刑にしたいくらいやわ。

 弟はいつも寝転んで何かを読んでいる。教科書の日もあれば、図鑑の日もあれば、レシートの日もあれば、マックのメニュー表の日もある。その分博識で何か聞けばだいたい返答がやってくる。便利な子分。

 妹は本当にかわいいやつで、抱き上げれば疲れた世の中を照らすような存在だった。まるで天照大神の化身のような。僕の性格のの中にいる悪の腫瘍も打ち消してくれるような存在だった。

 僕は寝転がっている家族5人を見てこれまでの日々を巡らす。

 そういえばだけどすいか割り大会、今年もやるのかな。今年こそは僕が綺麗に割って見せたい。

 

 左側の線路に視線を移す。

 対して彼女は簡潔かつ単刀直入に言えば僕を変えてくれた人だ。彼女と出会ってから僕の人生は起承転結の「転」の続きのようで。

 彼女と初めて会話した時に僕の発する言葉に初めて価値が付いた。

 彼女の携帯の電話番号を登録した時に初めて僕のスマホに価値が付いた。

 彼女と初めて手を繋いだ時に初めて僕の手に価値が付いた。

 彼女が僕の頬をぶった時に初めて僕の頬に価値が付いた。

 彼女が僕に「好きなの」と言ってくれた時に初めて僕の存在に価値が付いた。

 そういえば、この夏に2人で田端駅の南口で集合して信濃町駅で降りて須賀神社に行こうって約束してたっけ。あれいつにしよう。

 

 気付けば、涙が足元の砂利へこぼれづつけている。人間ってこんなに大粒の涙をたくさん出す生き物なんだ。

 苛立ちがやってくる。頭の中の一ヶ所に集中するかのように憎悪が積もっていく。あのさ、人の命に功利主義だの義務論だのそんな机上の空論をかけられるわけがないだろ。誰だよこんな言葉作ったやつ。そんなにこんな事に名前つけたかったらせめて功利主義や義務論と書いて愛と呼ぶように世界中の神様にお願いしとけよ。どこ行ったんだよアミニズムは。

 ああ、止まらない。涙は誰かがボタンを押したかのように止まらない。

 この涙にはどれほどの価値があるんだろうか。

 

 さあ、列車は間も無く分岐点に差し掛かる。僕ら7人の運命を無情に掻き荒らす物体がやってくる。

 僕はレバーを両手で握った。そして。

 

 

 

 

 

 「いやあのさ、こんなに時間ないと思うんだ。10秒足らずが2分くらいになってるよ」

 「やっぱりそうかな、でもこう表現しないと上手くいかないんだよ」

 僕はこの小説を彼女に見せている。小説家を志望している僕は最初の作品には彼女を少なくとも出そうと思いこれを著した。

 「あとこんなすぐに状況理解して功利主義とか義務論とか思い付かないよ、普通。それに功利主義と義務論の使い方合ってるの、これ」

 「そこは安心して、物語の主人公はみんなADHDっていう法則があるから」

 ADHDだったらそうなるの?っていう表情を彼女は浮かべる。

 「なんか感情の変化も激しいし。読者が置いてきぼりにされちゃうよこれじゃあ」

 どこかで思ってた不安の的を射られた僕は閉口する。

  「まぁでも良いや、君の作品だから君の書きたいように書けば」

 彼女はそう言って僕に原稿用紙の束を僕に返す。

 「これで賞を獲れることを祈るよ」

 「うん、なんとしても獲りたいよ」と僕は低い声で返す。

 今の僕の脳内にはコンテストを主催している会社の本社で執り行われている表彰式で賞状を貰っている僕がいる。

 なんとしても獲りたい。そんなことを今も思っている。この文字を著している時も。

 

 彼女と明日の午後に田端駅南口で集合して信濃町駅で降りて須賀神社に行くことを約束した。

 そして神田駅の改札付近で別れ、僕は自宅の最寄駅の上野駅で降車した。

 彼女がすでに自宅の最寄駅の東京駅で降りているであろう時に電話で家族ですいか割り大会をやることが決まった。彼女と須賀神社に行く日の夜、すなわち明日の夜だ。

 

 明日も暑くなるだろうな、と高層ビルの後ろの入道雲を見ながら僕は思った。

 

 

 

 

 0が100になるように意識が弾き飛んできた。それはまるで誰かに殴打されたかのようだった。

 僕は立っている。目の前にはレバーがある。さらにすぐ奥に線路があって先に行くと二つに道が分かれている。右の方向(太陽の位置や風景を見る限り池袋、新宿方面)の線路を見ると僕の家族がいた。年齢順に父、母、姉、弟、妹の5人。衝撃という言葉を使う意味がないほど衝撃だった。寝ている。いや、寝ているというより意識が没しているんだ。なんでここにいるんだ。

 次に左の方向(おそらく日暮里、東京方面)の線路を追っていくとまた衝撃の光景があった。人が一人倒れていたのだ。しかもそれは僕の彼女だった。「えっ、」と大きな声で言うと後ろの方から音が聞こえる。列車だ。山手線を走っているあの緑の列車がこちらにやってくるのだ。

 緩めることなくこちらに向かってくる。あと6秒くらいしか無さそうだ。

 

 

 

 

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