第25話:友人
「陛下、大変です!」
ある日、僕が執務室で仕事を片付けている時、カレー関係の販売を任せているマティアスが入ってきた。彼が商会長だ。
「マティアスさん、僕はまだ陛下じゃないって言ったよね」
先走って僕のことを陛下と呼ぶ人が増えてきていた。中には現国王がいるところでもそう呼ぶ人がいるので困っている。
「そ、そういえばそうでしたね。ですがそんなことを言っている場合ではありません。スパイス生産拠点が襲撃を受けました!」
「⋯⋯何だって? 被害者が出たのか?」
僕は思わず椅子から立ち上がった。
「は、はい。死者はいませんが傷を負った者が五人ほどいます。全て軽傷ですが⋯⋯全員が倒れ伏しているのを私が発見しました」
「そうか! それなら良かった。後で僕が治療に行くよ」
幸いにも重症の者がいないようだったのでいつのまにか入っていた力を抜いた。
「あ、あの⋯⋯それで被害なのですが⋯⋯。明日出荷する分のカレースパイスが盗まれてしまいました。申し訳ありません」
ついでにスパイスが盗まれてしまったようだ。明日出荷するために浅い場所に置いてあったから盗られやすかったのだろう。
しかし、あれだけの魔道具で固めた拠点に入り込まれたというのはかなり意外だ。どうやって侵入したのだろうか。
僕が考え事をしているとマティアスがガタガタと震え出した。顔は青白く、脂汗が額に浮かび上がっている。
「⋯⋯ユ、ユウト様。神の素材であるスパイスを守ることが出来ずに申し訳ありませんでした。襲撃から身を挺することもできずに軽傷で済ませてしまうなんてあってはなりません!」
「えっ?」
ものすごい剣幕で話始めたマティアスに呆気に取られていると、彼は突然懐からナイフを取り出した。
「⋯⋯責任を取ります」
マティアスはナイフを力強く握り、自分に向け始めた。目は完全に据わっている。
「待て、マティアス!」
僕はたまらずマティアスに近づき、ナイフを取り上げた。そしてマティアスを【鑑定】する。
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名 前:マティアス・ライヒ
称 号:ユウト狂信者、ライヒ商会会長
状 態:恐慌、カレー依存症発作
・カレー依存症(重度 7,235)
スキル:商売(Lv.8)、交渉(Lv.6)、鑑定(Lv.3)、剣術(Lv.2)、火魔法(Lv.2)
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「何だこれ⋯⋯」
マティアスのカレー依存症はつい先日まで3,000程度だったという記憶がある。だが、突然7,000を超えるほどまでに症状が悪化している。
何かおかしなことが起きていると直感した。マティアスの称号がおかしくなっていることは見て見ぬ振りをした。
ただ襲撃を受けただけというわけではなく、何か異質な攻撃を受けているのではないかという考えが浮かんでくる。
もう少し深く【鑑定】しようと考えていると、マティアスは涙を流しながら床にへたり込んでいた。
「私に償いをさせて下さい⋯⋯。神の意に背いてしまった私はその責任を取らねばならないのです」
いつも冷静で気丈だったマティアスの涙を見て、胸が強く締め付けられた。
「マティアスさん、少し話をしましょう。僕は貴方に自分を傷つけてほしくないし、償いをする必要なんて微塵もないと思っているんだけど⋯⋯」
出来るだけ落ち着いた声で語りかけた。
するとマティアスは文字通り救済された信徒のように僕を見上げた。
「私は神託を受けた身です。神に任された役割を全うできなかった私は責任を取らねばなりません」
「⋯⋯神託を受けたってどういうこと?」
「神の遣いであるユウト様にスパイスの生産と販売を任されました。これが神託でないとすれば何でしょうか」
頭が痛くなってきた。
確かに販売を任せはしたけれど話が大きくなっている。
本当は「神の遣いじゃない」とか「神の意志って何だよ」とか言いたいけれどこうなってしまった人にその議論を持ち込むのは良い結果にならない。
「マティアスさん、それは違うよ。神はまず人の命や健康を優先しろという考えなんだ。他にも家族との関係や精神の安定などもある。それらのことを優先した後にスパイスの生産があるんだから他をなげうってスパイスのことを優先してしまうのは本末転倒だよ」
「⋯⋯⋯⋯」
そう言うとマティアスは一旦止まり、再度震え出した。そして目をカッと見開き、僕に迫ってくる。
「なんと慈悲深い! 何と慈悲深いのでしょう!」
ギョロリとした目のマティアスを見た時、背中に怖気が走った。
マティアスはこんな人物じゃない。
狂信的な部分はあったかもしれないが、それでも冷静で頼りになる商人だった。
騒ぎ立てるマティアスを宥めながら僕は今回の件を深く調査しようと決めた。
◆
同じ日、僕は怪我をした兵士のところに向かった。
マティアスから情報を引き出すことができなかっただけかもしれないが、今回の事件は分かっていないことが多い。
敵はどれくらいだったのか。
精鋭達の怪我の理由は何か。
あれだけの魔道具があって何故侵入できたのか。
それを調べなければならない。
魔道具に関しては僕だけでは限界があるのでペトロニーアに先行して調査を行ってもらっている。
今回怪我をした五人がいる部屋に入ると全員が青白い顔して直立していた。
マティアスと似た状態で、放っておいたら切腹でもしそうな雰囲気だったので、「神が何を重視するか」の話をしたらみんな咽び泣き始めた。
勝手に怖がって勝手に慈悲を感じているのを見て僕は何とも言えない気持ちになった。マッチポンプを見ているようだ。
それから僕は回復魔法で怪我を治しながら各人の身体を深く【鑑定】した。その際、当時の状況についても話を聞いた。
その結果、分かったことがある。
まず彼らの血中には二種類の薬物が存在しているようだった。詳細は分からないが、一つは麻酔効果のある薬物、もう一つはカレー依存症の進行を早める効果のある薬物だ。
怪我は全身にあったけれど、彼らを戦闘不能にしたのはおそらく首に対する打撃で、「気がついたら意識を失っていた」と彼らも言っている。
何らかの方法で薬物が散布され、意識が朦朧としていたところで攻撃を受けた可能性が高い。
敵の数は分からないが、この方法なら魔道具さえ作動させなければ少数での犯行が可能になるだろう。
マティアスのカレー依存症の症状が進行したのもこの薬物が原因の可能性が高い。敵は拠点にいる者を無差別に攻撃したのだろう。
「⋯⋯! ペトロニーア!」
僕は何も知らないペトロニーアに拠点での調査を依頼したことを思い出して、部屋を飛び出した。
◆
「ペトロニーア!」
急いでスパイスの保管所に行くと、ペトロニーアがそこにいた。
彼女はポカンとした顔でこちらを見ている。
僕はすかさずペトロニーアを【鑑定】した。
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名 前:ペトロニーア・グリムスワード
称 号:ピネン王国魔法団長、大陸一の魔道具師
状 態:健康、妊娠
・カレー依存症(重度 2,801)
スキル:魔道具作成(Lv.10)、全属性魔法(Lv.9)、錬金術(Lv.8)、魔法陣作製(Lv.7)、暗黒儀式(Lv.2)
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大丈夫だ。ペトロニーアには害がなかった。
僕はほっと胸を撫で下ろした。
「⋯⋯ユウト、どうしたの? そんなに急いで」
ペトロニーアは胡乱げな目を僕に向けている。
確かに突然飛び込んできて、勝手に落ち着いていたらそんな気持ちになるだろう。
「いや、ちょっと思い過ごしをしただけなんだけど——」
ペトロニーアに返答していた時、保管所の端の方から馬鹿でかい声が聞こえてきた。
「ユウト陛下、万歳!!!」
横を見るとマティアスが地面に座り、頭を擦り付けながら山積みになっているスパイスを拝んでいる。その仕草は
「ユウト陛下、万歳!!!」
僕は呆れてペトロニーアを見た。
ペトロニーアはマティアスを見て少し微笑んだあとで、「マティアスさんは敬虔だよね」とだけ呟いた。
そして改めてマティアスの様子を見た時、僕は何か大事なものを失ってしまったような気持ちになった。
元々の彼を知っている僕にはいまのマティアスはやはり別人に見える。
彼は僕が異世界に来たばかりのときに商売のことを教えてくれた人だ。
ちょっとお茶目だけれど頼り甲斐があって、彼の手腕と僕の製品で小さな商会を大きくしてきた。
だけどいま大声で僕を礼賛するような言葉を発するマティアスにはその頃の面影はない。
マティアスに身体的な問題はない。だけど彼は見るからに正気を失っており、かつての彼はもう取り戻せないような気がする。
ペトロニーアが無事だったのは不幸中の幸いであるけれど、マティアスは別人になってしまった。
今日僕は友人を一人失ったのだ。
これはきっと襲撃者が散布した薬剤のせいだろう。
「⋯⋯絶対に許さない」
僕は奥歯を強く噛み締めた。
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