第8話:異変
あの日、エレノアと長い夜を過ごしてから僕たちの関係はさらに深まった。
エレノアが不安そうな顔をすることもなくなり、平和な毎日を過ごすことができていた。
だけど知らないうちに事態が進行していることに僕が気がついたのはかなり後になってからだった。
それはエレノアからソフィアの話を聞いたことが始まりだった。
「ソフィアの様子がおかしい?」
「えぇ。ソフィアが最近はストレスを溜めているようなの」
僕はエレノアから話を聞いて、珍しいこともあるなと思っていた。
それほどにソフィアは穏やかな性格で、人を責めることも怒ることもない。
だからこそ『聖女』と崇められているのだが、最近はそうではないのだという。
「様子を見てきた方が良さそうだね」
「うん。お願い。ユウトにだったら話せることがあると思うの」
心配そうにするエレノアを見て僕はその日教会に行くことにした。
◆
教会に着くと僕はすぐにソフィアの部屋に通された。
「ユウト⋯⋯来てくれたのね⋯⋯」
ソフィアの顔を見ると少し頬がこけていて、目には薄い隈ができている。
気だるそうな様子が不思議な艶になり、ものすごい色気となっている。
見惚れそうになったけれど僕は本来の目的を思い出してソフィアに話しかけた。
「元気なさそうだけれど大丈夫?」
「うん。最近あんまり眠れなくて⋯⋯」
ソフィアの調子が悪いというのは珍しい。
ストレスが溜まっているのも睡眠不足が原因かもしれない。
僕はちょこっと様子を見るつもりでソフィアのことを【鑑定】した。
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名 前:ソフィア・レオノーラ
称 号:聖女
状 態:不眠症、カレー依存症発作
・カレー依存症(中度 763)
スキル:神聖魔法(Lv.10)、毒耐性(Lv.6)、祈祷(Lv.6)、精神耐性(Lv.4)
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情報が入って来た時、僕は頭が真っ白になった。
カレー依存症の発作⋯⋯?
初めて見る状態だ。
「⋯⋯ユウト⋯⋯どうかした?」
停止状態だった僕の顔をソフィアが覗き込んでくる。
僕は咄嗟に笑顔を作って応えた。
「あ、いや、ソフィアが体調不良になったのが心配でちょっと考え込んじゃっただけだよ」
「そう? 心配してくれて嬉しいけれど、私は大丈夫だよ?」
ソフィアの儚げな表情に胸が痛む。
僕はどうしても気になったのでソフィアの食事事情を聞くことにした。
「ご飯は食べられている⋯⋯?」
「うん。ほぼ毎食カレーを食べているのだけど、前ほど入っていかないの⋯⋯」
ソフィアはあまり食欲がないようだ。
教会のカレーは水分も多く脂も多くないので比較的食べやすかったはずだけれど、以前と違う点があるとしたら⋯⋯。
「カレーの味って変わったかな?」
「味が変わったようには思わないんだけれど、最近はカレーを食べた時の幸せな感覚が薄れてきたように思うの⋯⋯」
いま流通しているカレーは中毒成分を除いた特別製だ。
だから気分が変に上がったりすることはない。
「食べなれてきたんじゃないのかな⋯⋯」
「ずっと感じていた神の存在を感じることができなくなってしまったの⋯⋯。私は聖女失格だわ⋯⋯」
「そんなことはないさ。魔法はこれまでと変わらず使えるんだろう?」
「えぇ⋯⋯魔法の力は変わらないわ。でもその力を失うのも時間の問題なのかもしれない⋯⋯。私はきっと神の加護を得られなくなってどんどん衰えていくのだわ⋯⋯」
ソフィアは自分の腕に爪を立てながら奥歯を噛み締めている。
余程悔しいのだろうが、カレーの成分のせいで強く神の存在を感じていた可能性もある。
「⋯⋯ソフィア。前にも言ったけれどカレーには中毒性があるんだ。ソフィアのその症状はカレーの影響かもしれないよ」
「⋯⋯カレーは神の食べ物よ! ユウトを通してこの世界に届けられた完璧な食べ物なの! 欠陥があるのは私の方に決まっているわ!!!」
ソフィアは突然声を荒げ、目に涙を溜め始めた。
やはりカレー依存症のことを話しても聞く耳を持ってくれないようだ。
むしろ余計な刺激を与えることになってしまう。
僕は説得の方向性を変えることにした。
「ソフィアに欠陥なんてないさ。元気になったらまた食事を美味しく感じるはずだから休むのが良いかもしれないね」
「うん⋯⋯」
「教会の仕事も大変だと思うけれど、休むことも考えてみてよ」
ソフィアの調子が良くなさそうだったので僕は早めに部屋を去ろうとした。
だけど、そんな僕の様子を見てソフィアは突然取り乱し始めた。
「待って⋯⋯行かないで! 神様の存在を感じられなくなった私は必要ないの? 神様だけではなくて、ユウトも私を見捨てちゃうの?」
ソフィアが僕の腕を強く引っ張る。普通の人だったら怪我をしているほど力が強かった。
ソフィアが何か勘違いをしているように思ったので、僕は冷静に彼女の話を聞いた。
すると、聖女の力を失ったら僕が見捨てるのではないかという不安をソフィアは強く抱えているようだった。
僕が神の遣いであることが理由のようだけれど、深くは理解できなかった。
「ソフィア、僕が君を見捨てるなんてことはないから安心してよ。むしろ僕が見放されるんじゃないかって不安に思うくらいだよ」
「本当? どっかに行っちゃったりしない?」
「あぁ、本当だよ」
「本当に本当?」
「うん。本当だよ」
ソフィアは僕より一個年下だけれど、今日はもっと幼く見える。
いつもの彼女と雰囲気がかなり違うけれど、これも発作のせいなのだろうか。
小さい子を宥めるように僕は彼女の頭を撫でた。
するとソフィアの機嫌は次第に落ち着いていった。
「ふわぁ⋯⋯」
「眠くなってきたのか?」
ソフィアは大きなあくびをした。
落ち着いた途端眠気が出てきたのだろう。
「眠ったらどう?」
「⋯⋯寝たらユウトは帰っちゃうよね?」
そう言われて僕は考えた。
時間には余裕があるけれど、寝ているソフィアの部屋に僕がいる意味はない。
むしろ変な気持ちになりそうなので避けたいところだ。
ソフィアは僕が帰ろうと考えていることに気がついてまた慌て出した。
「ねぇユウト⋯⋯。帰る時間になるまでで良いから横にいてほしいの。ユウトがいなくなったらまた眠れなくなっちゃいそう」
「きっと大丈夫だよ⋯⋯」
「だめ?」
なんとか説得しようとしたけれど、ソフィアは上目遣いで懇願してきた。
そんなに僕は簡単じゃないぞと断ろうと思った時、ソフィアの手が震えていることに気がついた。顔もみるみるうちに蒼白になっていく。
「だめ⋯⋯?」
ソフィアの震える声を聞いて僕は自分がとんでもなく悪いことをしているような気になった。だからつい「分かったよ」と返事をしてしまった。
それからソフィアは不安そうな様子でベッドに入ったけれど、顔色は変わらなかった。彼女は僕がそばにいることを仕切りに確認し、落ち着かない様子だ。
ソフィアの手が震え続けているのを見て、僕は無意識にその手を握っていた。
手が冷たくなっていたので僕は両手を使って温めた。
「⋯⋯ユウトが感じられて嬉しいわ」
そう言った後、すぐに寝息が聞こえてきた。
僕はゆっくりと息を吐いて、肩の力を抜いた。
◆
ソフィアが寝ている間に僕は彼女の身体を念入りに【鑑定】し、情報を得た。
その結果、ソフィアはカレーを食べたときの幸福感が突然得られなくなったことで強いストレスを感じているのだと分かった。
回復魔法のおかげで身体への影響はないようだけれど、精神症状は僕が考えているよりも大きいようだった。
僕はカレーの供給量を下げることで中毒を徐々に緩和していこうと考えていた。しかし【分解】スキルによって中毒成分を除去できると分かってからは全てのスパイスに処理を行い、中毒成分を一掃してしまった。
中毒成分だけを除いたスパイスを供給すれば問題は終わるだろうという僕の考えは間違っていたのかもしれない。その結果、ソフィアを大きく傷つけることになってしまった。
「うぅ⋯⋯」
みぞおちに熱く焼けるような刺激が発生してきた。
経験したことのない不快感に涙が出そうになるけれど、深い呼吸を続けることでなんとか落ち着くことができた。
「⋯⋯自分を責めるのは問題の大きさを確認してからだ」
僕は幸せそうな顔で眠っているソフィアを見ながら覚悟を決めた。
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