第6話:訓練

 エレノアの話を聞いて、僕は自分がこの国の王になる可能性があることを知った。


 正直僕は王になる器ではないと思う。思いつきで行動するところがあるし、政治のことなんて何にも分かっていない。

 王国一の才女と謳われたエレノアが助けてくれればなんとかなるものなのだろうか⋯⋯。


 考えを巡らせながら、僕は薬研やげんでスパイスを挽くことにした。

 ホールスパイスを丁寧に挽いて均一な粉状にしていくと何故か心が落ち着くのだ。もちろん使うのは有害成分を除いたやつだ。


 僕はアイテムボックスから薬研を取り出し、いつもの配分でスパイスを入れた。そしてゆっくりとスパイスを挽いていく。


 あまりのことに衝撃を受けたけれど、そもそもはエレノアがソフィア達に僕と関係を持つことを許可したのが問題だったはずだ。


 自分が王になることに比べたら小さいことのように思ってしまったけれど、そんな訳はない。自分のこれからの生き方を決める大事なことだ。


 複数の人と関係を持つのは浮気だという観念は僕の中に強く根付いている。

 エレノアが許したからといってその気持ちが簡単に消えることはなさそうだ。それは僕が万が一王になったとしても変わらないだろう。


 挽いているスパイスから良い香りがしてきた。このフレッシュで真っ直ぐな香りは薬研を使っている時にしか味わえない。


 さっぱりした気持ちで僕は考えを整理した。


 エレノアは僕を支えるのに自分だけは足りないと不安がっていた。それは僕の未熟さを彼女が補おうとしてくれているから起きる気持ちのような気がする。


 だから僕がすべきなのは複数の女性に支えてもらうことではなくて、自分の足でしっかり立つことだ。


「その様子が伝わればエレノアも安心するはずだよ」


 僕は王になる件を棚上げして、一途にエレノアを想うことを決心した。





 挽き立てのスパイスで作ったカレーを一人で楽しんだあと、僕は訓練場に行くことにした。エレノアやソフィア、そしてペトロニーアと会うのが何だか気まずいような気がしてしまったからだ。


 騎士団の訓練場に近づいて行くと何やら騒がしくなっていることに気がついた。


 声を聞くに喧嘩が起きているようだ。

 血の気の多い連中だから諍いが起きることはあるけれど、これだけの騒ぎになるのは珍しい。


 何故なら騎士団には彼女がいるからだ。


「何をしている!」


 そう思っていると迫力いっぱいの声が聞こえてきた。大声というわけではなかったけれど、声の通りが良いので内容がはっきり聞こえてくる。


「何やら騒がしいと思って来てみれば、喧嘩か? えある王国騎士団の団員が訓練中に何をしている」


 彼女はルシアンヌ・ド・リシャール。この国の騎士団長だ。


 喧嘩をしていた十数人の団員達は顔を真っ青にしている。あれだけ騒いだらルシアンヌなら気づくに決まっているのに分からなかったのだろうか。


 ルシアンヌは『ゴゴゴゴ』とでも音がしそうな様子で団員達を見つめていて、遠く離れた僕にもプレッシャーが伝わってくる。


 僕はスッと気配を消し、アイテムボックスから剣を取り出した。そして音を殺しながら走って訓練場に近づいていく。


「何者だ!」


 不穏な気配に気づいたルシアンヌは僕の方を向くと同時にナイフを投げて来た。

 なかなかの速度だけれど、防御は容易い。

 僕は魔法を発動して風の鎧を身にまとい、ナイフを弾き飛ばした。

 するとその様子を見ていたルシアンヌはいつのまにか抜いていた剣を鞘に納め始めた。


「なんだユウトか」


 切れ長の目が先ほどよりは穏やかになっている。口角も上がっているかもしれない。


「やぁ。久しぶりだね、ルシアンヌ。今日はご機嫌ナナメなの?」


「そんなことはない。団員達の不始末を注意しにきただけだが⋯⋯もしかしてユウトも見ていたのか?」


「まぁそうだね。珍しく賑やかだったからなんの催しかなとは思ったよ」


「それであんな真似をしたのか。みっともないところを見せてしまい申し訳ない」


 ルシアンヌは綺麗な所作で頭を下げた。

 彼女は背が高くすらっとしているので、謝っているところすらも絵になってしまう。


「僕は身内みたいな者だから気にしないでよ」


「そうはいかないさ」


 ルシアンヌは苦笑いを浮かべながら周りの団員を見た。

 彼らは僕が接近してきたことに気が付かなかっただろうから、今頃肝を冷やしているに違いない。


 そんな団員たちの様子を見てルシアンヌは言った。


「喧嘩をするなとは言わない。共に国に命を捧げた仲間同士であっても好き嫌いとはままならないものだからな。だが時と場所を選べ。君たちはこの国の代表でもある。訓練中に喧嘩の声を周囲に広げ、刺客に襲われたとなれば騎士団の評判は地に落ちるだろう」


 団員達は反射的に胸に拳をつけ、聞く姿勢になっていた。

 ルシアンヌは諭すでも怒るでもないような口調で淡々と続けた。


「有事の際にはユウトよりも隠密に長けた者が襲撃に来てもおかしくはないだろう。それがどういうことか君たちには考えていてほしい」


 そのあと団員達はルシアンヌの号令を聞いて訓練に戻った。

 彼らの中には中堅の騎士達もいたので、僕は意外に思った。


「てっきり新人達がいさかいをしているのかと思ったけれど、割りとベテランもいたね」


「あぁ⋯⋯そうなんだ。最近小さな小競り合いが絶えなくてな⋯⋯」


 ルシアンヌも苦労しているようだった。

 話を聞いてあげたいところだけど、騎士団のことをあんまり詮索すると面倒ごとに巻き込まれることが多いので僕は思いっきり話を逸らすことにした。


「今日は久しぶりに剣を振ろうと思うから奥の訓練場を借りても良いかな?」


 僕がそう言うとルシアンナはニッコリと笑って剣を抜いた。

 今にも斬りかかってきそうな気配がしたので僕も思わず剣を握って構えた。


「⋯⋯やはり良い反応だな。最近は私が全力を出せる相手がいなくて困っていたんだ。運動不足だったら相手になるがどうだろう?」


「それって僕が断ったらどうなるの?」


 ルシアンナは特別な刻印が入った長剣に破裂しそうなほどの魔力を込めて笑っている。戦いたくて仕方がないという顔だ。

 いつ攻撃されても良いように僕も剣に魔力を込めて防御の態勢を取った。


「素直に剣をしまって泣きながら執務に戻るさ」


「君はそういうタイプじゃないだろう。それにそんな状態になった剣を鞘に入れたら爆発するよ?」


「ユウトが断るなら爆発させたっていいさ」


「⋯⋯ぷっ。まるで脅迫じゃないか」


「⋯⋯ふふ。たまには脅迫もよいだろ?」


 吹き出しながら目を合わせた瞬間、ルシアンヌが斬りかかってきた。

 剣を炎が覆っている。


「いつみても流麗だな」


 僕は大きく一歩下がってルシアンヌの剣を避けた。そして次撃に備えて身体の周りにバリアを張る。


 僕が防御にまわったのを見てルシアンヌはさらに剣に魔力を込め、今度は氷の剣を放ってきた。

 バリアで防御できそうに見えるけれど、ルシアンヌは安易な攻撃はしてこない。用心しておいた方が良いだろう。


 僕は一歩下がりながら無属性の魔力を固め、ルシアンヌの剣に当てた。

 すると魔力はみるみるうちに凍り、すぐにパリンと音を立てて割れてしまった。


「新技だ。なかなかだろう?」


「避けて正解だったよ」


 ルシアンヌの楽しそうな声が聞こえる。

 バリアで受けていたら同じように割れてしまったのだろう。

 やっぱり油断ならないな。


 ルシアンヌは今度は風の魔法を発動し、身の周りの空気を激しく循環させ始めた。

 これは『風の舞』というルシアンヌの有名な技だ。

 対処の難しい厄介な技なので僕は大きく距離を取らざるを得なかった。


「ここだ!」


 攻め続けるルシアンヌは離れていく僕に向かって剣を振り下ろした。

 かなり距離が空いているので剣身が触れることはないけれど、代わりに剣から光る刃が飛び出してきた。


「まずい!」


 僕は声を張り上げて咄嗟に魔法を発動した。

 胸の辺りから真っ黒な霧が噴出して、ルシアンヌが放った光刃を飲み込む。


「⋯⋯久しぶりに闇魔法を使ったよ。今のは危なかったなぁ」


「⋯⋯簡単に受けておいてよく言うものだ。今のは渾身の一撃だったのだがな」


 ルシアンヌは戦闘狂の顔をしている。

 技を受けられて嬉しそうなのだから手に負えない。


「今日は剣の練習をしにきたんだけどなぁ。君と戦うといつも魔法ばっかりだよ」


「いいじゃないか。私と対等に戦える魔法使いなんて数えるほどしかいないからな」


 ルシアンヌと話しながら僕は足から闇魔法の霧をゆっくりと広げていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る