目が覚めたら冷徹国王の皇后だった件について。

二葉治

第1話 さよなら、私

「君もう明日から仕事来なくていいから。鈍臭いしまともに営業もできないし、君を雇ってる人件費がもったいない。明日から代わりの人が入ってくる予定だから、今日付けでやめていいから。あ、退職届もいらないからね。もう上にも話してあるから」

「はぁ…そうですか…」


影山倫音かげやまりんね(24)、突然ですが会社をクビになりました。

仕事だってきちんとやっていたつもりだったし、どこにでもいるような普通のOLだった。課長が言う通り、多少鈍臭い部分もあったかもしれないが。

毎朝誰よりも早く出勤して仕事をして、それでも私のペースじゃ追いつかないほどの仕事が毎日のように舞い込んできた。昼休みを返上し、終電がなくなるまで仕事をして、次の日また誰よりも早く出勤して仕事をする。

そんな生活を続けていても給料は上がらないし、永遠に下っ端。後輩が入ってきても舐められてばっかりで、いつの間にか追い抜かれていく。

遅かれ早かれこうなるとは思っていた。それが今日だっただけ。


「お疲れさまでした…」


誰にも聞こえないように、だけど今までの自分を労いたくて小さく呟く。

明日から就活しなきゃとか、少しだけ休憩したいとか色々な思いが自分の中で渦巻く。ごちゃごちゃ考えても答えが出ないことは知っているが、考えずにはいられない。


会社の外に出てふと空を見上げると、そこには満点の星空。都会の喧騒には似合わない光景に、思わず息を呑む。

このままあの空に吸い込まれていけたらいいのになんて考えながら、一歩ずつ歩みを進める。

ぼんやりと歩いていると、私のスマホが震えた。


「はぁ…拓弥たくやか…」


拓弥というのは私の彼氏で、2年ほど前から付き合っている。付き合い始めた当初はすごく優しくて理想の彼氏だったが、月日を重ねるうちに彼と一緒にいるのがしんどくなってきていた。

きっと、拓弥には他に好きな人がいる。それでもこうして別れられずに一緒にいるのは、きっと私の弱さが原因───。


【もしもし? お前出んの遅せぇよ】

「ごめんね、今仕事終わって。どうしたの?」

【俺さ、他の人と付き合うことにしたから。だからお前とはこれで最後っつーか。てか、そもそもお前のことそんな好きじゃなかったしな。おっぱいがでけぇから付き合ってただけだし】

「そう。じゃあ、終わりにしましょ」

【なんだよお前、その───】


拓也がまだ何か喋っていた気がするが、私は電話を切った。これ以上何かを話していても時間の無駄な気がするし、私にとってなんのメリットもなさそうだし。

失業に失恋、何も同じ日に重なることないのに。悪いことばかりが続き、更に気分が下がる。

こんな日こそパーッと買い物でもしたいが、給料日前で手持ちも少ない。それでもちょっとだけ贅沢がしたくて、私はお気に入りのパスタ屋さんに足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ。あら、倫音ちゃんどうしたの、そんなに暗い顔して」

「失業した挙句、彼氏とも別れたんですよ。何か買い物でもしようかと思ったんですけど、そんな余裕もなくて」

「あらそうだったのね…。こちらにいらっしゃい、とびきり美味しいパスタを作ってあげる」


マスターに案内されるがまま、私はいつものお気に入りの席に座る。

嫌なことがあった時、1人で何かを考えたい時、 マスターに話を聞いて欲しい時、私は決まってこの店に来るのだ。そして、時間が許す限り沢山の話をして店を後にする。

自分自身をリセットするためであり、気持ちを切り替えてまた頑張れるようにここに来ている。


「お待たせ。今日のおすすめはトマトとチーズのガーリックパスタよ。熱いうちに召し上がれ」

「はい…いただきます」


食欲をそそられるような匂いと共に運ばれてきたパスタに、ごくりと唾を飲み込む。相当お腹が減っていたのだろう、私は熱々のパスタを手早く巻いて口に入れた。

口に入れた瞬間、トマトの程よい酸味とそれを緩和してくれるチーズの優しい味、そしてガツンと効いたガーリックの味が口いっぱいに広がる。

そこからは夢中でパスタを食べ、気がついたらお皿が空になっていた。


「あら、随分お腹が減っていたのね」

「お恥ずかしい限りです…」

「全然いいのよ。それに、今日あった出来事も聞かせて欲しいし」

「実は────」


マスターにそう言われ、私はぽつりぽつりと今日の出来事を話していった。ひとつひとつの出来事を思い出しながら、順を追うようにして。


「倫音ちゃん、辛かったね。よく頑張ったわ」

「うっ…うぅっ…」

「今はいっぱい泣いていいのよ。そんな人たちに負けることなんか何もないわ」

「はいっ…ありがとうございます…」


マスターの声が優しくて、私は次から次へと涙を流した。誰でもいいから、今の自分のことを誰かに受け入れて欲しかった。

これでもかというくらい涙を流し、マスターが淹れてくれたコーヒーを飲みながら気持ちを落ち着かせていると、来店のベルが店内に響く。


「あー、マジあの女と別れてスッキリした。メンヘラっつーか、ずっと俺にベッタリなの。最初の頃は可愛いと思ったけどさ、だんだんうざくなってきて」

「えー、あの顔でメンヘラはやばすぎるって。拗らせすぎでしょ」

「お前もそう思うだろ?」

「だってメンヘラとか超キモいし。そういうキモイことするから振られるって分かんないのかな」


この声は拓弥と私の親友である夏歌なつかじゃないか。

今日同じ店をセレクトしているのは偶然だなんて思えないし、何が原因があって来ているのか。

それとも、本当に偶然同じタイミングで来店したのか。

店内には他のお客さんもいるというのにあんなに大声で人の悪口を話し、恥ずかしくはないのだろうか。私がいることにも気づいていないみたいだから、何とも思わずに言っているのだろうが。


「あれ、倫音じゃん!」

「うわ、別れたその日にばったり会うとかマジ最悪なんだけど。お前店変えろよ」

「私も気分悪いから、あんたどっか行きなさいよ。拓弥とのデート台無しにする気?」


一体なんなんだ、こいつらは。

私の方が後から来たのなから、まぁ百歩譲って店を変えてやらなくもない。しかし、先にこの店にいたのは私だし、こいつらにこんなことを言われなきゃいけない理由も分からない。


「ごめんなさいね、もうまもなく閉店の時間なの。倫音ちゃんで今日のお客さんは最後なの。また次の機会にいらしてもらえないかしら?」

「なんだよそれ。せっかく客が来てんのに、閉店とか言ってんじゃねぇぞ」

「この女以外にお客さんいないんだし、少しでも売上に貢献してあげようと思ってんだから別にいいじゃない」

「うるせぇな。お前らみたいなのに料理提供して金もらうくらいなら、店潰れたっていいわ」

「ちょっ、マスター抑えて抑えて」

「さっきから黙って聞いてれば倫音ちゃんの悪口ばっか言いやがって、恥ずかしくねぇのかよ。本人目の前にして2人でペラペラと」


やばい、マスターガチギレしてるんですけど。こんなにキレてるところ見るの3回目か4回目だけど、相変わらず超怖い。

そんなマスターに物怖じせず、いつまでも馬鹿なことを言い続けている二人の方がある意味怖いかもだけど。


「ほら、帰った帰った! 二度とうちの店に来んじゃねぇぞ!」

「なんなのあいつ、マジでムカつく」

「こんな店、こっちから願い下げだっつーの!」

「倫音ちゃん、塩撒きましょ!」

「マスターがあんなにキレるなんて、珍しいですね。ちょっとびっくりしました」

「そりゃあ、キレるよ! 倫音ちゃんだって、胸くそ悪かったでしょ?」

「それはそうですけど…」


私だって、あの2人にふざけんなくらい言ってやりたかったよ。でも、そんなことを言える勇気なんて、私にはなかったんだ。

自分の身を自分で守ることもできない私に、本当に腹が立つ。もっとしっかりしなきゃと思うのに、なかなか難しい。


「マスター、今日はご馳走様でした」

「またいつでもいらっしゃい。美味しいパスタ作って待ってるからね♪」

「はい、ありがとうございます」


マスターにきちんとお礼を言って、再び夜の街をのんびりと歩く。家に帰るっていう気分でもないし、郊外にある夜景が綺麗な山に登ってみよう。

そしたら、気分も晴れるかもしれないし。

電車を乗り継いで約30分、私はお気に入りの場所に立っていた。ここなら誰にも邪魔されず、好きなだけ考え事ができる。

それにしても、今日は散々な1日だった。クビ宣告に始まり、失恋に親友の裏切り。夏歌から最近彼氏ができたと聞いていたが、まさか拓弥だったとは。


「ほんと、最悪な日だな…」


ボソリと呟いた私の言葉は風の音に掻き消され、夜の闇に消えていく。そしてまた、恐ろしいくらいの沈黙が私を包む。

こんなことなら、いっそのこと消えてしまいたい。誰にも邪魔をされず、傷つかずにいられる場所へ行ってしまいたい。

それはすなわち"死"を意味するのだと、心のどこかで悪魔が囁く。楽になってしまえと誘惑され、私はジリジリと歩を進める。

きっとここから落ちたら即死だと思うし、万が一助かっても無傷ではいられないだろう。私の理性はやめろと言っているが、もう後には引けない。


「さようなら、私の人生。来世はきっと輝かしい人生にするからね」


そう言って私は、身を投げた。

あぁ、飛び降りの瞬間って本当にスローモーションなんだ。何もかもがゆっくりに見える。

もう少しで地面に落ちるという時、急に目の前が明るくなった。

それはもう、眩しくて目を閉じるとかのレベルじゃないくらい明るい。目を閉じていても眩しくて、思わず目を塞ぐ。

この光は何?

今はたしか夜だったはずだし、夜が明けるにはあまりにも早すぎる。それに、太陽がこんなに眩しいはずがない。

これがいわゆる走馬灯なのだろうか。いやでも、生前の記憶は全然蘇ってこないしただただ眩しいだけだ。

もしかしたら、自殺をしようとした私に罰が当たったのかもしれない。きっと、自殺は失敗だろう。


「お前はまだ死ぬべき人間じゃないよ」


一体、この声は誰の声なの?

そんな問い掛けが言葉になることはなく、ぐしゃりという音が遠くに聞こえた。

遠くに聞こえたはずのその音は、考えなくても私が地面に叩きつけられた音だと瞬時に分かった。痛みは一切なく、いつの間にかあの光も消えていた。


こうして私は、24年という短い生涯に幕を閉じた。

あの光の正体も分からず、誰にも知らせぬまま死んでしまった私。まぁ、きっと誰かが私を見つけて家族に知らせてくれるだろう。

遺体の第一発見者になる人には申し訳ないが、私にはもうどうすることもできない。


「倫音、君の名前は倫音だろう?」

「えぇ…そうですけど…」

「君は、────という言葉を知っているかい?」

「もちろん知っているわ。でも、それと私の死は何の関係があるの?」

「それは秘密だよ。さぁ、少し眠るといいよ」


今まで聞いたことがないような優しい声で囁かれ、私は完全に意識を失った。

まさかこの出来事が私の来世と繋がっているとも知らずに。

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