第8話 実地研修

「おはよう、朝だよ」

「ん…、んぅ…」


 女の人の声が聞こえる。

 女の子が俺を起こしてくれる、幸せな夢…

 ニートの俺が願っても叶わない夢…


「起きて。時間よ」

「……!?」


 目を開けると、目の前には黒髪美人の字神先輩がいた。


(ち、遅刻!!!)


 俺は慌てて飛び起きる。


「す、すみません!!」

「いや、まだ時間まで10分あるわよ。私としては、もう少し寝顔を見ても良かったのだけれど」

「し、失礼しました…」

「うふふ。さあ、準備なさい。外で待ってるわ」


 字神先輩は俺の部屋を出て行った。

 今世紀最大に驚いた。一瞬時が止まったかと思った…。

 それにしても、


(あ、字神先輩って……、もしかしてものすごくモテるのでは……!?)


 男の部屋に押しかけて起こしてくれて。

 しかも顔がいい。これで惚れない男はいないだろうっていうレベルだ。

 美人が部屋に押しかけるなんて、正直ニート時代には夢にも思わなかった。

(もしかしたらこれも夢かもしれない…)

 俺は自分の頬をつねった。


 ──痛い。


 これは現実だ。

 よし、と今度は頬を両手でバチンと叩いた。

 痛みが頬を駆け巡る。

 現実を自覚した俺は急いで出発の支度をした。




 そして、約束の時間通りに集合した。


「さて、今日はこの人の魂を回収するのね」


 字神先輩はノートを開き、名前を確認する。


「あの、このノートは?」


 先輩の持つノートは白く、縦に黄土色の線が入っている。まるで古代ギリシャをイメージしたかのようなデザインだ。


「ああ、これね。これは『心のノート』。

 ここに回収する魂の持ち主と、その情報が書かれているの。見る?」


 そう言って先輩は俺にノートを貸してくれた。

 俺はノートを受け取り、パラパラとめくる。

 ノートには名前と現在地、その人の今までの出来事、そして死因が書かれている。


「死因まで書かれているなんて……」

「これから死の間際に立ち会うわけだからね」

「あ…」


『死の間際』。

 字神先輩が発した言葉に少し怖気づく。

 そうか、これから死を見るのか…。

 人の死を見るのは初めてだ。



「そんなに怖がらなくていいのよ」


 字神先輩は俺を落ち着かせるために、俺の背中を優しくさすった。


「こうすると、よく弟たちが安心していたのよ」


 確かに心地良い。それに少し花の香りがする。多分椿かなにかだと思う。凄く落ち着く…。


 俺が少し安心してきたところで、字神先輩は「あ、そうそう」と何かを思い出したように言った。


「今日はこの人の魂を回収するわ」


 そう言って俺からノートを取り、パラパラとノートを開いた先輩は、あるページを僕に見せた。


「この人の名前は平塚竜。工事作業員のようね。

 熱中症で倒れて、そのまま工事現場で死亡。」



 …………平塚、竜。



 俺はその名前に見覚えがあった。



 高校の時、俺を虐めていたクラスメイトの1人。



 俺の心臓がバクバクしている。




「本当に…この人を…」

「何かあった…?」

「あ、いや、その………」


 俺は正直に言うか迷った。

 その迷いに気付いたのか、字神先輩は俺の頬を両手で包み、字神先輩の顔に向けられた。


 ノートがパサッと落ちる。


「隠し事はしないで。私、隠し事は嫌いなの」

「せ、先輩…」


「言って」


 字神先輩は俺を睨みつける。


「お、俺は……」



 すると、突然オルゴールの音が鳴り響いた。

 字神先輩は懐に仕舞っていた懐中時計を取り出す。

 どうやらオルゴールの音はその懐中時計から鳴っていた。


「そろそろ時間ね…。あなたの隠し事、あとで聞くわ。行きましょう」


 落ちたノートを拾い、俺たちは翼を広げ、平塚竜のいる工事現場へ飛び立った。



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