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 いたた……。持っていた本をばらまいちゃった。本を落としちゃうなんて……。

「図書館の中で走るなんて!」

 マナー違反よ、危ないじゃない! つい大きな声を出しそうになったけど、どうにか小声でとどめさせて振り返る。すると──。

「耳……?」

 目の中に、ぴょんと細長くて白い耳が飛び込んできた。ウサギの耳みたい! って、図書館にウサギ……? いや、違う。ウサギのような耳が頭に生えている男の子が床に転がっていた。

 この耳、本物かな。耳は、ぴょこぴょこと小刻みに揺れている。

 不思議な耳を生やした男の子は、私と同い年くらいかな。黄金色の麦のように燦爛と輝いているブロンドの短髪に、真っ白なシャツの上からチョッキを着ている。

 男の子の瞼がゆっくりと開いていくと、生命の源そのものを閉じ込めたような琥珀色の瞳が現れた。男の子は私を無視して、首から下げている懐中時計に視線を落とし、

「ええと、現の世界だって? こんな所に本当にアイツがいるのか?」

 ぶつぶつと独り言を零す。私のことは眼中にない。

「人にぶつかっておいて、一言くらい謝ったらどうなの!?」

 男の子の肩に手を乗せた瞬間、彼が手にしていた金の時計から強かな光が放たれた。

 なに、この光は。眩しい……!?

 私は腕で目を覆い隠す。光は、まっすぐに私のことを指し示した。すると私の胸の辺りも、その光に感化されるよう瞬き出す。目を瞑ったまま手探りで首から下げた紐を手繰り寄せて光の源を掴み取ると、あの鍵だ。鍵がこんな風に輝き出したのは初めてだ。

「おい、どこでその鍵を……!」

 目を見張る男の子の手が、私の鍵目がけて伸びた。

「なにするの、やめてよ!」

「いいから、その鍵を寄越せ!」

「いやよ! この鍵は、あの人から預かった大切な物なの! 絶対に渡せない!」

「預かった? まさかメルキアデスからか!?」

「え……、メルキアデス……?」

 男の子は前のめりになって私の顔に自分のそれを近付けるけど、気にならなかった。だって、それどころじゃなかったんだもん。あのお兄さんの……、図書館の君の名前は、メルキアデスというの? そう、なんだ。そうなんだ。なんて好奇心がそそられる名前なのっ……!!

 感動に浸っていると横から、「おい!」と声が上がり、

「その鍵、本当にメルキアデスからもらったのか!? アイツの居場所を知ってるのか!?」

 男の子は、捲くし立てるよう訊いてくる。

 むしろ私の方が知りたいくらいだ。それに、この子、図書館の君と、どういう関係なの? 図書館の君は、どういう人なの?

 知りたいことが多過ぎて、頭の中が整理できない。その上、男の子は、鍵を寄越せ、としつこく言ってくる。

 少しくらい感慨にふけらせてよ! やっと図書館の君の手がかりを掴めたのに。大体、この鍵がなんだというの? これは私と図書館の君を繋ぐ物で、この子には関係ない物だ。

 男の子の手を払い除けるけど、彼はやめてくれない。それどころか私のことを鋭く睨み付け、

「その鍵は、メルキアデスの書を手に入れるために必要なんだ──っ!」

と叫んだ。

「メルキアデスの書……?」

 私の脳内は、一瞬ぴたりと止まる。“書”ってことは、書物──、つまりは本のことだよね。なんだか、とってもおもしろそう……!!

「ねえ、そのメルキアデスの書って、どんな本なの!?」

「なっ、なんだよ、急に……」

 男の子の顔に、ずいと自分のそれを近付けると、彼は、ようやく鍵を奪おうとする手を止めてくれた。

「お前、知らないでマコンドの間の鍵を持ってたのか?」

「だから私は鍵を預かってただけだってば。それより教えてよ。メルキアデスの書って、どんな本なの?」

 私の胸は今、最高潮に高まっている。目は宝石みたいに輝いているに違いない。

 男の子は一寸考え込む素振りを見せたけど、一つ咳払いすると口角を上げていく。

「メルキアデスの書は、魔術師メルキアデスが記した、世界に一冊しかない特別な本だ」

「世界に一冊……?」

「ああ。この世に存在しているあらゆる世界の、全ての世界の中で、たった一冊だけ存在している。その書には全ての世界の、全てのことが記されている。そう、過去に現在、それから未来のことまでも──……。つまりは、この世の真理が記されている魔法の書だ」

 世界に一冊だけの、魔法の書……。もし本当にそんな本が存在するなら、

「私も読んでみたい……!!」

 ますます興味をそそられる!

 もう一度お願いするけど、男の子は困った顔をする。

「読みたいって、オレに言われても……」

「どうして? この鍵があれば、メルキアデスの書が手に入るんでしょう」

「それ一つじゃだめだ。メルキアデスの書が眠っているマコンドの間に入るための鍵は、もう一つあるって話だ。もう一つの鍵は、メルキアデス自身が持ってると思う。メルキアデスのヤツ、一つは自分で持って、もう一つはお前に預けたってことか」

 彼の推測通りなら、もう一つの鍵はメルキアデス自身が持っているのね。

 なんて話し込んでいたけど男の子のウサギみたいな耳が、不意にぴくんと動いた。

「もう追いつかれたか」

「追いつかれたって?」

「アイツら──、ハンプティ・ダンプティの一味だ」

「ハンプティ・ダンプティ?」

 私の頭の中には、卵のおじさんの姿が思い浮かぶ。次第にバタバタと忙しない音が響いてきて……、現れたのは卵のおじさんではなく、黒いスーツに黒い中折れ帽子、それから黒いサングラスをかけた数人の男たちだ。

 この人たちが、ハンプティ・ダンプティ? みんな同じ格好をしているから同じに見える。

「ひとまず逃げるぞ。お前も一緒に来い! どこかに扉はないか!?」

 男の子は私の腕を掴むと引っ張って、きょろきょろと辺りを見回し出すそんな男の子の声に応えたのか、彼の持っていた時計が光り出し、続いて目の前の本棚の前に、なんの脈絡もなく扉が一つ現れた。

 なに、この扉……!?

 だけど答えを知る前に男の子は現れた扉のドアノブを掴むと勢いよく開け放って、

「行くぞ!」

「きゃっ……!?」

 私のことも引っ張って、その中へと飛び込んだ。

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