第32話 昇格:嫉妬と才能と努力

 普段のエニグマ狩りの成績や人身売買事件、そしてつい先日の出来事――七番隊と共に巨大エニグマ討伐に貢献した――が認められて、ユイトは晴れて昇格となった。守護者のランクが一つ上がり、蛍石フローライト級から燐灰石アパタイト級になる。

 三番隊の全体ミーティングで、ユイトは隊長のダンカンからそのことを告げられた。あまりにも早すぎる昇格に、周りの隊員たちがざわつく。


「マジかよ。あんなガキが?何かの冗談だろう?」

「異例の早さだな」

「こんなのコウキ副隊長やあの八番隊副隊長以来じゃないか?」


 皆の注目がユイトに集まった。

 彼女に向けられる視線は様々だ。それこそ、好意的なもの、好奇心に満ちたもの、懐疑的なもの、そして――悪意あるものまで。

 けれども、ユイトは周りのことなんて気にしてはいなかった。


 守護者に入隊して二か月で燐灰石アパタイト級昇格というのは、確かに早い。だが、前の世界線での知識というアドバンテージがあるのだから、これくらいは当然という思いがユイトの中にはある。


――これで満足している場合じゃない。もっと、上へ行かなきゃ……。


 焦燥感のようなものすら、ユイトは覚えていた。なぜなら、彼女にはタイムリミットがあるからだ。

 四年後に起こるだろう結界の破綻とその後の災厄。それを防ぐためには、結界の核心的な部分に迫ることの可能な身分が必要だ。何の権限もない末端の守護者では話にならないのだ。


 ユイトが異例の早さで燐灰石アパタイト級に昇格すると、周囲の反応は良い意味でも悪い意味でも変化をみせた。隊員の中には、『ただの子供ガキ』から『一角の守護者』として、ユイトを認めるようになった者もいる。

 その一方で……。


「あの、ライトさん」

「……」


 同じ班の仲間であり、一番年の近い同僚であるライトにユイトが話しかけたところ、彼はあからさまに無視して、その場を立ち去ってしまった。


【……アイツ、何のつもりだ?】


 ソウが低い声を出す。

 最近、ユイトに対するライトの態度はがらりと変わってしまっていた。口をきこうとはせず、今のようにユイトが話しかけても、無視してしまう。

 ライトの反応にユイトは肩をすくめた。

 彼の態度の変化の原因は、己の昇格だろうとユイトは予想する。実際、前の世界線でも同様のことはあった。

 逆行前には、ありもしない噂を立てられたり、稽古と称して私刑リンチまがいな暴力を受けたりもした。それに比べれば、無視されるくらい可愛いものだと、ユイトは考える。


「こればかりは、どうしようもないね」

【やけにあっさりしているな】

「ボクに落ち込んでいる時間なんてないもの」


 ライトとの仲がこじれてしまったのは残念だが、ソレを気にして昇格を躊躇ためらうのでは、何のために過去に戻って来たか分からない。ユイトの目的を果たすためには、これからも上を目指し走り続けなければならないのだから、一々立ち止まるわけにはいかなかった。


 さて、仕事の時間だ――そう、ユイトは頭を切り替えた。



 この日、休日だったライトは繁華街を一人歩いていた。

 本当ならば、最近街にやって来たサーカスを友人と見に行く予定だったが、その友人が急に体調を崩してしまった。それでライトは急に手持ち無沙汰になったのだ。

 繁華街に特に用があるわけではないので、ライトはあてもなく通りをぶらつくだけだ。一日家で過ごすという選択肢もあったが、生憎そういう気分ではなかった。一人家に閉じこもっていると、どんどん気が滅入ってしまいそうだったのだ。


「はぁ。サーカス見物で気晴らしできると思ったのに……」


 憂鬱な気分でライトはため息を吐く。

 彼が気落ちする原因は仕事のこと、ユイトの件に他ならない。


 ユイトが守護者に入隊したのが、ほんの二か月前。自分の後輩ができたと、ライトが喜んだのがほんの二か月前だ。

 そして、その後輩が燐灰石アパタイト級に昇格した。ライトはまだ蛍石フローライト級。あっという間に、ライトはユイトに追い越されてしまった。


 ライトは強いショックを受けた。

 入ったばかりの新人、それも自分より年下の子供に負けたのだ。ドス黒い嫉妬心が彼の胸を覆って、素直にユイトを祝福なんてできなかった。それどころか、ユイトをあからさまに無視してしまっている。


 ユイトの昇格を快く思わない者は、ライトの他にもいた。よその班の隊員が口さがなく、ユイトの陰口を叩くのをライトは耳にしている。


「上の連中にこびでも売ったんじゃねぇか?コウキ副隊長とか」

「なるほど。あのガキ、女みたいな顔しているしな」

「おいおい。副隊長ってソッチのシュミがあるのかよ」


 下世話な話をしながら、笑う隊員たち。同じ班の後輩が根も葉もないことで貶められているのだから、先輩として一言文句を言ってやるべきだ。少なくとも普段のライトならそうしていた。

 けれども、このときの彼は見て見ぬふりをして通り過ぎた。そんな自分に対して、ライトは自己嫌悪に陥る。


 ライトのユイトへの態度の変化は、第三者から見ても明らかのようで、


「ガキみたいな真似マネをするな」


 そう班長のヨキから注意された。

 普段、優しいユマにさえ「気持ちは分かりますが、良くないですよ」とたしなめられた。

 そのとき、ユマが口にした言葉がライトの心に重くのしかかる。


「羨んでも、どうすることもできません。天才と我々凡人とでは、埋めようのない格差があるのですから」


 ユマは慰めでそう言ったのだろうが、『努力ではどうにもならないこと』を突き付けられたようでライトの気持ちは沈んでいた。そして、今に至る。



「このままじゃ、マズいよなぁ」


 胸の内から重いため息を吐き出しながら、ライトが歩いていると、見知った顔が視界に飛び込んでいた。

 ライトはドキリとする。

 何というタイミングだろう。前方からこちらに向かって来るのは、他でもないユイトだった。


 気まずさから、ライトは方向転換し、ユイトとの接触を避けようと考えた。しかし、そのとき彼はあることに気付く。

 ユイトの服はあちこちに土や泥がつき、汚れていた。少し怪我もしているようで、顔に擦り傷も見える。その様子を見て、ライトの頭にとっさに浮かんだのは私刑リンチだった。ユイトの昇格を妬んでいる者はライトの他にもいる。現に、酷い悪口を言っていたやからはいた。


――まさか、あいつらにやられたのか!?


 ライトの顔色がサッと青くなる。そして、気まずさなんかも忘れ、思わず彼はユイトの元へ駆け寄った。


「おいっ!お前、その格好どうした!?」

「え?ライトさん」


 突然、ライトに話しかけられてユイトは目を丸くしている。


「誰かにやられたのか?」

「えっと、いったい何のことで?」

「だって、お前。ズタボロじゃねぇか。誰かにとっちめられたんじゃ…」

「……あぁっ!」


 やっと状況が呑み込めて、ユイトはポンと手のひらを打つ。それから、ふわりと微笑んだ。


「コレ。誰かにやられたわけじゃないですよ。今の今まで、エニグマを狩っていたので服が汚れちゃって」

「そうなのか……って、エニグマ?」


 私刑にあったわけじゃないと分かって胸を撫でおろしつつ、今度は他のことでライトは驚く。

 本日は三番隊第二班の休日だ。つまり、ライトと同様にユイトにとっても貴重な休暇である。そんな日に、ユイトはエニグマ狩りに出かけていたというのだ。


「お前、プライベートでエニグマ狩ってんのか?お前、一人ソロでか?」

「はい」

「なに、危ねぇことやってンだよ」


 守護者個人でのエニグマ討伐は禁じられていない。ただ、ライトからすれば、休みの日まで潰して、エニグマを狩っていることが衝撃的だった。さらに言えば、ユイトの奇石はサポート型だ。一人での狩りは、チームでのものとは違って、相当大変で危険だろう。

 呆れるライトに対し、ユイトは困った顔をした。


「そうですね。でも、ボクはチチュをもっと強くしたいんです」


 そう言って、ユイトは右手の奇石に触れる。なるほど、とライトも合点いった。

 仕事だと、狩ったエニグマから採れる魔晶石は、どうしても教会に上納しなければならず、守護者個人への還元が少ない。だからユイトはプライベートでエニグマを討伐して、そこから得られる魔晶石を自分の奇石に使っているのだ。


 ガン、とライトは頭を殴られたような心地になった。

 ライトが無為に時間を過ごしている間、ユイトは自分の奇石を育てようと努力していたのだ。


――俺は何をやっていた?自分で努力もせず、ただ他人ユイトを羨んで……


 ライトは自分が恥ずかしくなり、うつむいた。そして…


「……悪かった」


 彼の口からぽつりと、謝罪の言葉が自然に漏れた。



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