第9話 人助け:倒せないから、とにかく逃げる

 ソウの言葉通りに街道を進むと、横転している馬車が見えた。

 乗客の姿はすでになく、現場は何者かに荒らされた跡が見て取れる。地面には大きな穴が開き、周囲に倒れた木々が何本も転がっていた。


【どうやらエニグマが出たらしいな。死体はないようだが……あっ、すでに化け物の腹の中か?】

「物騒なこと言わないでよ。ちょっと辺りを探そう」


 人の足跡から、馬車に乗っていた人々が森の中へ逃げたことが推測できた。ユイトはその痕跡を追って、森の中を走る。

 しばらく行くと、木々の合間に黒い大岩が現れた。

 ちょうど、二階建ての民家サイズくらいの大きさである。しかし、それが単なる岩でないことは、すぐに分かった。


 驚いたことにその大岩はゆっくりと、木々をなぎ倒しながら移動していたのである。ズシンズシン、と大岩が歩くたびに大地が震えた。


「間違いない。エニグマだ」


 それは岩でできた巨大な人形のようなエニグマだった。

 簡素な手や足のようなものが生えている。


【えらく、デカブツだな】

「さすがにアレは、今のわた……ボクたちの手に余るね」


 ユイトは早々に、目の前のエニグマを狩ることを諦めた。

 チチュの『毒牙』でアレを仕留めることはできないと彼女は判断する。前の世界線での経験から、ああいった無機物タイプのエニグマに、毒の通りが悪いことを知っているのだ。


【ふぅん。流石にそこまで分からないほどバカじゃねぇか】

「無理はしても無茶はしないよ。ボクが死んでしまったら、イオも助けられない。元も子もないからね」

【なら、この場に長居は無用だな】

「でも、馬車の乗客がいるかもしれない。彼らがちゃんと逃げられたか、確かめないと」

【フン。あのデカブツの動き、まるで亀のようだぜ。あんなのに捕まるノロマはいねぇだろうよ】


 ソウの言葉も一理あるとは思うが、ユイトは心配になってエニグマの前方を確かめた。

 間違っても巨大な岩のエニグマに踏みつぶされないよう、チチェの糸で樹上を移動し、上から様子を眺める。

 そして、アッと息を呑んだ。


 エニグマの進行方向には、二人の人間がいた。

 一人はユイトと同じくらいの年頃の少女、もう一人は年老いた男性だ。

 老人の方は足が悪いのか、歩くのに難儀している。その手を必死で少女が引っ張っているのだった



「もういい!リコ、わしを放って行きなさい!」

「バカ言わないで!おじいちゃんを見捨てて、逃げられるはずないじゃない!」


 リコと呼ばれた少女は、泣き出しそうな顔で叫ぶ。


「きっと、すぐにお兄ちゃんたちが来てくれるから!それまで逃げよう!!」

「しかし……」


 そのとき、地面に足をとられリコの祖父が転んだ。手をつないでいたリコも巻き込まれ、そのまま転倒してしまう。

 その間に、大岩のエニグマが彼らの間近に迫っていた。


「きゃあっ!」


 リコが叫び、祖父は身をていして庇おうと孫に覆いかぶさる。

 そのとき、二人の耳に何か不思議な音が聞こえてきた。


――シュルシュル


 リコと祖父が疑問に思ったのもつかの間、次に彼らが感じたのはだった。

 急に空中へ浮かんだかと思うと、二人は少し離れた木へと引き寄せられる。

 そこには一人の少年がたたずんでいた。


「えっ?えっ?」


 混乱するリコは、そこでやっと自分と祖父の身体に白い糸が巻き付けられていることを知った。その糸は少年の方へ続いている。


「大丈夫ですか?」


 少年がリコと祖父の安否を確かめる。

 その言葉を聞いて、リコは彼が自分たちを助けてくれたのだと分かった。


「あ、うん」

「良かった」


 ホッとしたように胸を撫でおろす少年は、おそらく奇石使いなのだろう。

 緩やかに波打った黒髪と、柔らかな黒い大きな瞳。

 顔の整った、中性的な雰囲気のある少年だった。


「残念ですが、わた……コホン。ボクにはあのエニグマが倒せません。ですが、逃げるお手伝いならできます」

「わしのことはいい。どうか、孫のリコだけでも逃がしてやってくれないか?」

「お孫さんもあなたも。きちんと逃がしますよ。他に逃げ遅れた人はいますか?」

「いいや。わしらだけじゃ。この通り、わしの足が悪いせいで逃げ遅れてしまった」

「分かりました。これから樹上を伝って逃げます。揺れますので、舌を噛まないよう歯を食いしばっていてください」


 少年の言葉と共に、リコと祖父はまたふわりと宙に浮かんだ。彼はリコたちを連れて、樹上を素早く移動する。

 上下左右に激しく揺れて、リコは酔いそうになったが、そんなことを言っている場合じゃないと、彼女はグッと堪えた。


 少年の動きに巨体のエニグマはついていけず、どんどん二者の距離は離れていく。そうして、リコたちは街道の方へ再び戻って来た。



【おい。アッチに多数の人間の気配があるぜ】


 ソウが教えてくれたので、ユイトはそちらに向かった。方向としては、街道に戻る形になる。

 位置的に、ここらは都メイセイの目と鼻の先だ。

 先にエニグマから逃れた馬車の乗客が、都の守護者に緊急事態を知らせたかもしれない。応援がやって来た可能性がある――そうユイトは考えた。

 そして、その判断は当たることになる。


 街道に戻ると、そこに武装した人間が大勢詰めていた。彼らは突如、森の中から現れたユイトたちに驚く。


「巨大なエニグマが来ます!」


 ユイトがそう知らせる一方で、他から声が上がった。


「リコ!じいちゃん!」

「お兄ちゃん!」


 その場にいた人間の中でも、とびぬけて体格の良い青年がユイトの方に走って来る。どうやら、ユイトが助けた少女と老人の家族のようだった。

 明るい茶髪を短く刈り込んだ二十代前半の青年だ。背が高く、むき出しの二の腕は筋肉が隆々としている。


「無事だったんだな!」

「うん、この人が助けてくれたの」

「そうか。妹と祖父のこと、ありがとう。恩に着る」


 まるで、一件落着といった様子の青年だが、問題はこれからだ。あの巨大な岩のエニグマをどうにかしなければいけない。


「まだ、エニグマが……」

「それは俺に任せろ」


 ニヤリと青年は口角を上げる。

 そのとき、ユイトは彼の右手の甲に鈍色の奇石が埋まっていることに気付いた。


――ズシン、ズシン

 そうこうしているうちに、地面を揺るがす音を立てて、巨大なエニグマが街道の方に近づいて来る。

 にわかに、辺りに緊張が走った。

 皆の先頭に立つのは、少女の兄を名乗った例の青年である。彼は仁王立ちになり、敵を迎え撃った。


 木々をなぎ倒し、とうとうエニグマが眼前に現れる。

 その大きさに皆が息を呑む中、青年だけは全く怖気づいた様子がなかった。

 青年の奇石が強く光ったかと思うと、彼の右手に大槌が現れる。彼はその大槌を手に、敵に突進していった。


 エニグマはその大きな腕を振り上げた。そのまま勢いをつけて打ち下ろし、青年を押しつぶそうとする――が、意外に素早い動きで彼は見事にその攻撃を回避した。

 そして、青年はエニグマの懐に入り込む。

 グッと、大槌を持つ青年の腕の筋肉が盛り上がった。


「おらぁぁぁぁっ!」


 獰猛どうもうな掛け声と共に、青年は構えた大槌を振り下ろす。

 その一撃は巨大なエニグマの体を木端微塵こっぱみじんに粉砕してしまった。



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