しんかんの しょうじょ
「さあ、アリスちゃん。今日のふみふみの時間だよ」
「いやです」
爽やかな朝の挨拶。
アリスちゃんのベッドの下から顔だけを出しながら、ついつい、おはようの顔踏みも期待してしまう。
というのも、ここ一週間の間ずっと踏まれていないのである。
さすがに我慢の限界が近い。
この作戦を実行し始めたのは二週間ほど前。始めこそ驚きと勢いで強烈な顔面幼女キックをお見舞いしてくれたものの、次第に慣れてきてしまったのか、今ではぴょんと顔面を飛び越えてベッドから降りると部屋を去ってしまう。
ほら、今日も同じ様に。お兄ちゃん寂しいです。
「ま、それならそれで仕方ない」
だから、最近出来る事といえば……。
誰も居なくなったアリスちゃんの部屋で、アリスちゃんの寝ていたベッド……フローラルな香りと仄かな温かみが残る神域へとダイブするだけだった。
「これもアリスちゃんの成長を計るため……」
おっと、今日の温もりは丁度下腹部の辺りまで来てるぞ? ふむふむう……また背が伸びたんだねぇ。
あらあら、寝ている間にだらしなく開いた口から発した涎が、まだ枕についているじゃないか。
全く、アリスちゃんはまだまだ子供だなぁ。あっ、今度は別の場所に、
……と、アリスちゃんのくるまっていた毛布とシーツに簀巻きにされながら呟いていると、物凄い足音と共に颯爽と彼女は現れる。
「おねがいですから、しんでください!」
涙目になって真っ赤な顔で、ポカポカと簀巻き状のぼくを殴るアリスちゃんはかわいくて、快感と満足感と言い知れぬ背徳感に苛まれながら、今日も朝日は昇る。
いつもと何ら変わらない、爽やかな日常。
ぼく達の心の距離は、段々と縮まってきてると言えるのではないだろうか――――
◇
「んな訳ないでしょ、このド変態が」
――と、そんな平和でハートフルな日常の断片を、小洒落たお店の窓際で語っていたら。
向かいで話を聞いていた人物が開口一番そう叫んだ。
「もっと言って!」
とりあえず悶えた。
今のぼくは、アレだ。アリスちゃんからお預けを喰らい過ぎているため、簡単な罵倒でもそれなりに魔力が回復してしまう。
全く、困ったものだ。ぼくのこの気持ちは、アリスちゃんを雇った時から彼女だけの物にするって決めていたのに。
これじゃあ、逆NTR展開も期待せざるを得ないじゃないか。
……。
「……あ、ちょっといいかも」
「はぁ……」
ささやかに侮蔑の視線を送られた。
「ごめんごめん。ちょっと、君に寝取られるのも悪くない話なんじゃないかなって考えちゃってさ。ま、気にしないでよ」
「言われなくても、あんたの考えている事は大体分かるわよ……」
「それって、以心伝心ってことかな?」
「それなら話が早いわね。これ以上変なこと言うと、どうなるか理解してるんですものね」
「ごめんなさい」
そう言ってジットリした目で僕を睨み付けながら、お酒の入った器をくいっと飲み干す。
彼女の名はエーミア。小さな教会に仕える神官で、薄栗色の髪を持つ平たい胸の少女。ぼくの古い友達だ。
透き通るようなエメラルドグリーンの瞳を見ていると、冷や汗をかいているぼくが反射して見えそうで。ははは、情けない。でも彼女はどこぞの幼女ちゃんと違って本気っぽいから怖い。
「……話が脱線したわね。そもそも、どんないやらしい目的でメイドを雇ったのよ」
い、いやらしい?
一般人に聞かれたら誤解されそうな事を、それなりの声量で質問してきました……このお方。
お店に居るのはもちろん、ぼく達だけじゃない。近所の住人はもちろん、冒険者に商人まで集う場なのだ、ここは。
気のせいか、周囲からヒソヒソと噂されているような気さえする。
エーミアは気付いていないのか、ぼくを変態に仕立て上げたいのかどちらなのだろう。
もし後者だとしたら……いや、どっちにしろ彼女も、メイドをいやらしい目的で雇った疑惑の変態と、何らかの関りがあるってことになっちゃうんだけどね。
「それ、ここでしなくちゃいけない話?」
これ以上彼女の尊厳的被害が大きくならないように、紳士であるぼくは助け舟を出す。
彼女は聡明で優秀な子だ。きっとこの意図を理解してくれるはず。その後で、アリスちゃんの話は日を改めようと持ち掛ければいい。尊厳の損傷は最小限に押さえ込めるはずだ。
しかし、
「当たり前でしょ? あんたが……え、えっちな目的でメイドを雇ったかなんて聞くまでも無いけど、やっぱり本人の口から聞いておかないと」
……ぼくたちから半径数メートル以内のお客さんが、老若男女問わずに言葉を交わし始める。
ひそひそひそ。
「それに、おかしいじゃない。例えあんたが幼女趣味の変態でも、メイドが主人を罵るようになる……なんて、さ。
確かにあんたは、物心ついた時から自分を踏めだの靴舐めさせてだの、色々――」
ひそひそひそひそ。
……もう、弁明は諦めた。
どうやら事態は既に手遅れのようだ。ああ、無常。
こんな視線ですら快感に感じるぼくはともかく、勝気でプライドの高い彼女は後で気付いた時に耐えられないだろう。それならせめて、ぼくも正々堂々と開き直る事にしようじゃないか。
「ええと、何で僕がメイドを雇ったか、だっけ」
「そうよ、変態」
「ありがとう」
褒められたらきちんとお礼。これ、子供の頃からの常識だよね。
「とりあえず先に釈明するけど、決していやらしい気持ちだけじゃないんだよ」
「いやらしい気持ちがあった事は否定しないのね……」
けど、あくまで別にアリスちゃんに変な事をしようとしてるわけじゃない。むしろしてもらいたい――というのは置いといて。
「――よく考えた結果さ……魔力を効率よく得る為には、呑み込みの早い子供に一から教え込むのが一番なんじゃないかって結論に至ってね」
「なんか妙にへんたいチックに聞こえるわね」
エーミアは理解できないといったように頭を抑える。
「……幼い女の子である理由は?」
「好み」
「……」
周りのヒソヒソ話が止んだ。恐らく、賢者であるぼくへ畏怖と尊敬の念を抱いて押し黙ってしまったのだろう。
決してドン引きされた訳じゃない。はず。
……賢者とは数百年に1人と言われるほどに強力な魔力の使い手だ。それゆえ、国から任せられる仕事も多い。
そりゃぼくだって、ただ普通に生活してるだけで魔力が回復するなら、アリスちゃんに踏まれたいだなんて――言うかも。
「……まあ、あんたがメイドを雇った理由は分かったわ」
エーミアはため息をつきながら続ける。
「けどさ、気をつけなさいよ」
「ん? 何の事?」
「彼女の、その、髪の色……。
黒は魔族の血が入ってるって言い伝えがあるじゃない」
確かに。そんな噂があったからこそ、アリスちゃんはメイドギルドでも色々あったのだろう。
エーミアはその事実を言い難そうに、しかしはっきりと話し続ける。
「メイドギルドは陰湿だって聞いたわ。もし、何かされていたら……人間にどれだけの憎しみを持っているか分かったものじゃない。それを晴らす機会があるなら、誰でもいいって考えるかもしれない」
「……」
「別に痛め付けろとか、四六時中拘束しておけとか、そういったことを言っているわけじゃないわ。
……話をしても良い、甘い味を教えるのも勝手。今のあんたみたいにね。けど――」
「けど?」
「――あんたに何かあったら、わたしがどうにかするから」
その言葉を放つ彼女に、先程までの抜けた雰囲気は無い。
「……」
少しの静寂が過ぎて。
丁度席の位置から見える外の風景を見やり、席を立つ。
「あら、もう行くの?」
「うん。迎えが来たからね」
「そう」
彼女もぼくの視線の後を追い、気付く。
そうして一点を見つめながら、また一つ、小さくため息を吐くのだ。
「……ま、うまくやりなさいよ」
「うん。忠告、ありがとね。……ああ、それと」
彼女は大切な友人だ。賢者として、色々な意味で距離を置かれがちなぼくが、初めて心から話せる様になった友人。
聡明で優秀。神官の中でも抜きん出た才能と頭脳を持つ彼女の言葉は、きっと本気だ。
けれど、
「ぼくは――信じたいな、あの子を」
◇
「アリスちゃんアリスちゃん、おかえりの往復ビンタをお願い」
「ちこくしてきた人なんてしりません」
お昼ごろ。
大勢の人々や獣人でごったがえす街の中に、アリスちゃんはいた。
「それは、ごめんね? ほら、彼女が中々離してくれなくてさ」
「……こいびとさん、ですか」
「ちょっと違うかなあ。確かに友達だけどね」
「そうですか。そのわりには、ずいぶんなかよく話し込んでましたね。べつに、どうでもいいですけど」
ぷい、とそっぽを向く。
「……ま、まさかアリスちゃん嫉妬して」
「ちち、ちがっ! ……し、しんでくださいっ!」
そう言って、ぷんすかと先を行くアリスちゃん。
待ち合わせの時間に遅れてしまったのは事実だけど、彼女は僕らが話し込んでいた事を知っていた。ずいぶん早くに来てくれたのだろう。
それだけなのに、つい頬が緩んでしまう。
「待ってよアリスちゃん! ほら、お土産のお酒だよ!」
「おさけは背がのびなくなるのでいりません!」
「むしろ飲んで! いつまでも、そのままの君でいて!」
「それがねらいですか。ほんとにどうしようもない、へんたいさんです……」
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