2023年8月15⑤


「あぁ~だりぃなぁ……」


ベットで寝転ぶ青年の名前は鈴木雄大。今年で21歳になる大学生だ。彼が握ったスマホの画面は12:30分を指していた。


「もう…いいや」


彼はそう言いながらスマホをベットの端に置くと、体温で温まったベットを足で押し下げ、そのベットの上に両足を置いた。クーラーを効かせた部屋で、ベットのこもりながら熱くなったらベットを剥いで寝て、それで寒くなったらまたベットの中にこもる。


これが彼にとっての至福の一つであった。


そんな彼はぼーっと天井を見つめる。この小さな幸せを噛みしめながらも、心の中は何かを求めていた。漠然とした渇望と、ささやかな焦りの日々。そしてそれをわずかあな幸せで紛らわせる日々。


高校を卒業してからの3年間はずっとそんな毎日であった。


大学に入れば彼女も…そんな思いはすでに消え失せていた。そもそもめんどくさがり屋でサークルに入らなかったのが致命的だった。彼もそれは痛感しているが、いまさらサークルに入っても、既に作られた人間関係の中に入り込む勇気も、コミュ力も自分にはなかった。


めんどくさがり屋と言えばこれからする二度寝もそうだ。本当は7時に起きて、9時から始まる大学の一限に出なくてはいけなかったのに、朝の4時にベットに入った彼の脳味噌はスマホのアラームを無視し続けた。


だがこんなことは今日に限った話ではない。この寝不足によって落とした単位は前期を含めて9つ目になる。そもそも夏休みに無理して集中講義を入れたのが間違いだったのだ。それも元は二年の時に単位を11個落としたのが原因だが、自分が出来ない事を無理やりやろうとしても、モチベーションが下がるだけである。


彼は大学の単位制度に関してはよくわかっていなかったが、それでもこれだけ単位を落とせば留年することぐらいは分かっていた。


つまり今日の授業に出て単位を取った所で、留年は必須なのだ。だからこそ余計にやる気は削がれていく。


そしてそんな憂鬱を無理やり消すように、目を閉じた時だった――。


「うえ⁉なんだぁ⁉」


鼓膜を張り裂けるような爆発音が鳴り響いた。

自分がいた部屋が揺れるほどの大きさ。すぐ近くだ。


何が起きたのか、近所でガス漏れがあったのか。

だとしたら火災になるかもしれない。


彼は急いでベットから起き上がると、急に血液に下に流れていく気持ち悪さに耐えながら二階にある自室のドアを開けた。


「お母さん!!やばくね!いまの⁉」


階段を急いで駆け下りながらリビングのドアを開けたさきには、母親がキッチンの前で全身を硬直させながら自分の方を凝視していた。


「ゆうちゃん…今のなに?」


心配そうな表情を浮かべる母親に、彼はなぜが焦りを募らせていく。この状況で頼れる人間はだれ一人いない。自分の命を守るには自分で判断しなくては――。


「いや分かんねぇよ!でも火事になるかもしれねえから一旦外に出よ!」


「うっうん」


小さく頷いた母親は小走りで彼の元に駆け寄っていく。彼も急いで玄関の方に向かっていく。


「マジでなんなんだよっ」


悪態をつきながら玄関を開けて彼は外に飛び出した。だが外の景色はいつも通り。目の前には住宅街の小さな一本道を挟んで、よその家があるだけ。


空を見上げても煙は一切なかった。


「ゆうちゃん!火事⁉」


彼は玄関の手前でこちらを呼んだ母の方を振り返った。


「分かんねぇ!取りあえず周辺見てくるから!お母さんは外で待ってて!!」


「分かった!気を付けてよ!!」


「あぁうん!!」


彼はそう返事をして。走って道の左側に向かい始めた。自分が二階で寝ていた時、左側斜め後ろ、西の方角で音が聞こえた。なにかあったとすればこっち側の通りだ。


すぐT字路に入った彼は、こんどは北に向かおうと、首を右に曲げた時だった。T字路のすぐ手前には工場の大きな駐車場があるのだが、その隣にある一階建ての一軒家が屋根ごと吹き飛んでいた。


辺りに散見する瓦や木材の破片。


彼はゆっくりを辺りを見渡しながら、慎重に目的地へと歩いて行く。


家の敷地内に入ると、家の残骸が山積みになっていた。

窓ガラスが割れた家の壁の半分は崩壊していた。家具も中庭に四方八方に飛び散っている。


彼はすでに形を成していない玄関を潜っていく。


「お邪魔…し……」


そこで言葉が途切れた。


「え?…ん?え………」


そこには階段があった。所々模様の入ったその階段は、深い青色の見慣れない石材でできていた。まるで異世界へと誘う道のようだ。


そう、異世界。


「いや…うん……」


分かってる。そんなことありえないことぐらい。でも彼の鼓動は、その加速を止める

ことを知らない。血流が頭に上り額が熱くなっていく。ジットリとした汗が顎に滴り落ちた。


もしこの階段がこの家にもとからあるもので、なにか危険なものをしまっていた地下室の可能性もある。


でもこれが異世界へと繋がる道であったら?

この先になにか貴重な財宝やアイテムがあったら?

こんな鬱蒼とした人生に少しの華が灯されるのでは。


誰かに取られたくない。

じっとしていたら警察や消防が来て中に入れなくなる。

少なくとも誰かに知られる前に、自分が先に入って確かめたい。


妄想と憶測がさらなる妄想を生み出し、だが彼の中ではそれが確固たる真実へと固まっていく。息を一杯に吸い込んだ彼は、その重たい足で一歩ずつ階段を下りていった。



その階段を一歩、また一歩と下りていくたびに太陽の光は次第に届かなくなっていく。しまいにはまるで真夜中のように真っ暗になってしまった。


いつまで続くんだこの階段は。


彼の中で少しずつ不安が芽吹いて来る。だが後ろを振り返って微かに見える外の景色に、彼はまた勇気を振り絞って階段を下りていった。


空が見えなくなったらいったん戻ろう。そう思って階段をまた一歩降りた時だった。


「あれ?」


階段だと思って降りた先は床だった。


「なんだここ?」


小さな通路のような場所に来た彼は、通路の奥をじっと見つめる。

なにか光るようなものが見えた。


もしかしたら異世界じゃなくて、迷宮、ダンジョンのような場所なのだろうか。だとしたら人間を襲うモンスターもいるかもしれない。


せめてスマホを持ってくればよかった。


彼は左右前後、周囲を警戒しながらその光の先へ向かっていく。そしてその光に近づくにつれて、その正体の全貌が露わになった。


「鏡?なにこれ」


大きさは自分の二倍近くある。青白い光を放ちながら揺らめく鏡のようなものが正面に立ちふさがっていた。


彼はその鏡を軽く触れる。すると自分の指に触れたところから水面が広がっていった。だがそれだけではない。鏡を触れた瞬間、自分の指先がすこしだけ鏡の中に入り込んだのが分かった。


鏡の中に入れる。



…どうするか。

彼は後ろを振り返った。

もう外の光は見えない。

いまここを後にすれば無事に母親のもとに帰れる。

今日の夕飯にもありつける。警察が来たら事情聴取を受けて、この騒動が話題になればメディアにも出演できるかもしれない。


でもそれが終わればまたいつも通り。

つまらないわけじゃない、不幸な訳でもない。

でも楽しくないし、幸福でもないし、刺激もないそんな日々の繰り返し。


そしてそのまま死んでいく。




…………それで…いいのか?



「魔法とか…あんのかな」


彼は鏡を見つめる。

そしてまた一歩、前に進んだ。



『条件を獲得しました。称号”初めて挑んだ者”を獲得しました。特殊称号”勇者”を獲得しました。レベル上限の解放。ステータスボーナスを獲得しました』



その声が聞こえたのを最後に、彼はその生涯を終えた。



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