第二章 あなたには希望の匂いがする

第10話 迷える仔羊


 ドーグ島は、王都より東方の海に浮かぶ濃い霧に囲まれた孤島だ。

 原住民の多くはドワーフ族だが、彼らの高度な鍛冶や工芸技能によって多彩な民族、種族が道具や武器を買いにやってくる。

 フローリア王国で一番賑わっている市場があり、島の中心には火山もあるため、温泉宿も立ち並んでいる島だ。


 東の海岸から出発して半日後、船を降りたアンとマジカは、質屋の看板を探しながら人混みの中を進む。


「王女様、どうして質屋なんですか?」

「これを売るのよ。マジカが大事に貯めてきた金貨を私のために使うことはしなくていいわ」


 アンの右手には大きなダイヤモンドのついた指輪。

 それと船に乗る前まで着ていたドレス。

 質屋の看板を見つけると、アンはすぐにそれらを売り払った。

 ダイヤの指輪は金貨100枚、ドレスは金貨10枚と銀貨8枚に。

 アンは金貨1枚と銀貨5枚を使って、隣にあった様々な衣装が売られている店で修道女シスターの修道服二着と、ロザリオを買ってきた。


「え……どうして修道服なんですか?」

「ウィンプルで髪も隠せるし、他国へ行ってもシスターなら不自然には思われないわ。それに、すぐに人相書きが国中に配られるだろうから……変装は必須よ」


 アンが逃げた知れれば、王国側は必死に探すだろうと簡単に予想できる。

 同じように一緒にいなくなったマジカも探される可能性が高い。

 変装の必要があると、船の上でアンは考えていた。


(それに、ヴィライト様を誘拐犯にしたように、マジカにも同じ容疑をかけてくる可能性があるわ……)


 そばにあった温泉宿に入って体を綺麗にした後、アンとマジカは修道服に着替える。

 さらに、アンはこの宿に常駐している理髪師に頼んで、髪を肩の上くらいまで短く切りそろえてもらった。


「いいんですか? 髪まで切ってしまって……王女様の髪は、あんなに美しかったのに……」

「いいのよ。髪なんて、また伸びるわ。それと、マジカ。王女様と呼ぶのはやめて。アンでいいわ」

「そ……そんな! 王女様に向かって、そんなことできませんよ」

「いいのよ、私は国を捨てたの。もう、王女はないんだから————」


 流石に、今までお仕えしてきた王女様を呼び捨てにすることなんてできない。

 マジカは少しためらいながら、恥ずかしそうに提案した。


「……で、では、あの、お姉様とお呼びしてもいいですか?」

「お姉様?」

「その私、ずっと憧れていたんです。兄と弟はいますが、姉はいませんし……」


 兄弟たちを食わせるためにフローリア王家に売られ、メイドになったマジカ。

 実はずっと、姉妹というものに憧れていた。

 王女たちは基本みんな仲が良く、自分もこんな風に姉がいたらなぁと思っていたのだ。


「いいに決まってるじゃない。そう呼んで」

「ありがとうございます! お、お姉様……えへへ」


 照れ臭そうにしているマジカの頭をアンは優しく撫でた。


(あなたを巻き込んでしまったのは私だもの……それくらい、当然だわ。ごめんね、マジカ……)


「ところで、銀髪の魔女様はドーグ島に行けって言っていたんですよね? 次は、どうするんですか?」

「……そうね、行けばわかると言われてはいたけど……」


 ドーグ島に到着して、もうすっかり夕陽も沈み始めているが、行けばわかるとはどういうことなのか……

 アンはリンゴの銀細工がエリクシアの契約者たちに見えるようにロザリオと一緒に首から下げたままにしている。

 ところが、今のところ何も起こっていない。

 温泉街にも、露店が並んでいる市場にも、たくさんの人やドワーフ、妖精やエルフがいるが、エリクシアからはなんのコンタクトもなかった。


「銀髪の魔女様の話が本当なら、王女さ……————お姉様はできるだけ遠くに逃げた方がいいと思います。きっと、今頃、勇者様たちが必死に探していると思いますし……イルカさんが勇者様と一緒いたので、おそらく国王様も同じ考えだと思います」

「確かに、そうね……」


 イルカは魔力はないが、その優秀さで王から重宝されている王室執事だ。

 そのイルカが勇者に加担しているということは、王の命令で薬を使いアンを無理やり眠らせて閉じ込めたのだとアンにも理解できる。


「でも、一体どこへ行けばいいのかしら?」


(隣国のノヴァリスかニコリアに逃げたとしても、どちらもお姉さまの嫁ぎ先だし……見つかったら連れ戻される)


 アンたちは暗くなるまでドーグ島を歩き回ったが、特に何も起きなかった。

 ドーグ島には確かにいろんな人がいて、何人も魔女や踊り子、神父なんかともすれ違っているが、アンに対して何か言ってくるようなこともない。


 歩き疲れて、屋台の前にあった椅子に座り、どうすべきか考えていると、そこへ一人の少年が近づいてくる。



「————ねぇ、シスター」

「…………」

「ちょっと、そこのシスターたち! ねぇってば!」

「……えっ!?」


 自分たちがシスターになっていることをすっかり忘れていたアンとマジカは、声のした方を慌てて向いた。

 ドワーフ族の少年だ。


「その銀細工、銀髪の魔女様のだろう? どうして、あんたが持ってるんだ? それを持っているのは、王女と騎士だって聞いているぞ?」


 少年はアンの首にかかっているリンゴの銀細工を指差して、そう言った。


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