第1幕・Aim(エイム)の章〜⑧〜

 4月16日(日)


 奈緒美なおみさんの家での清掃を終えて、彼女のマンションを去る頃には、とうに日付が変わっていた。


 泥酔して帰宅し、玄関でそのまま寝込んでしまうことの多かった祖父を介護していた経験が、こんな場面で役立つとは思わなかったが、ともかく、お店のさんからの依頼を無事にやり遂げることができて、僕は、ホッとしていた。


 さらに、ダイニングテーブルに、

 

「ナニかあれば、いつでも連絡ください」


というメモと一緒に、電話番号を残しておいたからだろうか、ひとり暮らしのアパートで、僕のスマホに着信があった。通話ボタンをタップすると、スピーカーから、すぐに、奈緒美さんの謝罪の言葉が聞こえてくる。 


「中野さんの携帯ですか? 御子柴みこしばです! 昨夜ゆうべは、その……本当に申し訳ありませんでした!」


 前夜、カラオケ・バーで話していた時のような、フワリとした口調とは違って、生真面目で真剣な雰囲気が伝わってくる声のトーンだ。

 その一生懸命なようすが伝わってくる声に、


「いえいえ、大丈夫ですよ! 家族が、よく玄関先で寝込んだりしていて、ああいう場には慣れているので」


苦笑しつつ、そう答えると、彼女は、さらに申し訳なさそうに語る。


「でも、あの……お手洗いの後始末までしてもらって……どうやって、お礼をしたら良いか……」


「いや……お礼なんて、そんな……昨日も話したように、御子柴みこしばさんの作ってくれていた引き継ぎ資料のおかげで、僕は、学校でもスムーズに仕事に入れましたから……そのお返しと思っておいてください」


「だけど、それじゃ……そうだ、今度お食事でも一緒にどうですか? 私、美味しいお店に案内するので!」


「そんなに気を使ってもらわなくて大丈夫なんですけど……でも、せっかくだから……今度のゴールデン・ウィークに……」


 彼女からのお礼のお誘いに、そう返答し、日程を提案をしたのだが――――――。


 ※


「――――――それで、結局、その女子の先輩との食事会は無くなったのか?」


 その日の夕方、ビデオ通話の画面越しに、大学時代からの友人・和田久わだひさしが、ニヤニヤと笑いながら、問いかけてくる。


「ちょっ……ヒサシ! 他人の不幸を喜ぶのは、良くないよ」


 言葉では、友人をいさめながら、その相手以上に、笑いをこらえ切れないといった表情で、同じく学生時代からの友人である大野豊おおのゆたかが、画面の向こうで言葉を続けた。

 大学卒業後、地元に残って就職した僕と違い、ヒサシとユタカは、それぞれ、一部上場のOA機器商社と国家公務員の仕事に就いていて、いまは、関東で働いている。


 彼らとは、大学一回生(注1)の時に、ゼミで同じクラスになり、僕は、野球やサッカーなどのスポーツ全般の観戦、ヒサシは、アニメ観賞とライブ・イベントなどの参戦、ユタカは、映画やクラシック音楽の観賞と、それぞれ、趣味が異なるにも関わらず、妙に気があって、卒業後も三人でオンラインのビデオ通話を楽しんでいる。

 

 僕らの大学生活後半は、世界的な感染症のまん延の影響で、ほとんどまともに授業やサークル活動などが出来なかったが、クチは悪いものの、学業と趣味に賭ける情熱は一流の彼らから教えてもらったアニメや映画のおかげでだった。

『おうち時間』という名の引きこもり生活を退屈せずに過ごすことが出来たので、その点には、とても感謝しているし、居場所や立場が異なるようになっても、こうして、気兼ねなく、なんでも話し合える関係を続けていられることを、僕は嬉しく思っている。


 大野・和田・中野の自分たち三人の名字にあやかり、少年隊(注2)今日も、彼らからイジられる対象になることは理解しつつも、奈緒美なおみさんから、


「本当に申し訳ないんだけど、ゴールデン・ウィークは、ずっと仕事になりそうだから……また、あらためて、日程を決めさせて」


と、提案した日程のリスケジュールを求められたことを報告すると、ふたりからは予想どおりの反応が返ってきた。


「はぁ〜……阪神も勝てないし……明日から、また仕事なのに、気分が上がらないままだ……」


 そう愚痴をこぼすと、僕のボヤキにヒサシが反応する。


「なんだ? 阪神、今年は調子良かったんじゃないのか? ネットでも、メジロマックイーンが、『今年は、阪神優勝ですわ〜』って言ってたぞ?」


「いや、開幕直後は、たしかに連勝したんだけど、今週は、勝ったり負けたりで、絶好調って感じではないよ」


 友人の疑問に、僕はチームの現状を語る。


 ちなみに、彼の言っているメジロマックイーンは、平成初期に活躍したサラブレッドではなく、その競走馬をモデルにしたアプリゲーム『ウマ娘プリティーダービー』のキャラクターである(ちなみに、ゲーム内のマックイーンは野球ファンという公式設定があるものの、阪神ファンであるという設定は状況証拠から推察されるプレイヤー側の二次創作だ)。


 アニメやマンガ全般を好むヒサシは、就職活動まっただ中の時期にリリースされたこのゲームを二年以上経ったも熱心にプレイしてるらしい。

 その影響で、実際の競馬にもハマり、貴重な給金をレースに注ぎ込んでいるようだが……。

 

「そうか……オレも、今日の皐月賞は散々だったからな……中山のレースで、あんなに前が総崩れになるなんて予想できね〜よ!」


 どうやら、彼のレース予想は、無惨な結果に終わったようだ。

 そんな僕とヒサシの日曜夕方の恨み節を聞きながら、


「ふたりとも、充実した週末を過ごせたみたいで、羨ましいな〜」


と、ユタカは、半笑いの表情で言い放つ。


「そういう、お前はどんな週末を過ごしてたんだ?」


 ヒサシが、画面越しに問いかけると、ユタカは、


「ボクは、ふたりに薦めた映画『サーチ』のパート2を観に行ってきたよ! 今回は、途中でオチが読めたけど、十分に面白いストーリーだったから、おおむね満足だね」


淡々とした表情で観てきた映画の感想を語る。


「なんだ……結局、今週の勝ち組は、ユタカだけか……『サーチ』は、面白かったもんな〜! パート2が、サブスクに来たら、ネトフリかアマプラで観てみるわ」


 ヒサシの言葉に同意して、ウンウンとうなずくと、映画好きのユタカは、あきれるように返答する。


「キミたちさ〜、面白い映画はサブスクじゃなくて、劇場で見なよ! ふたりとも、野球やライブは、現地参戦派なんだろう?」


「でも、普通の映画は、劇場で声なんか出せないだろ? 最近話題の応援上映とかなら、行ってみたいと思うけどな!」


「あ〜、『スラムダンク』の応援上映とか話題になってるしね! ちょっと、面白そうかも」


 再び、ヒサシの言葉に、僕は同調する。

 すると、ユタカは、深い溜め息をついて、


「これだから、阪神ファンとアクティブ系オタクはイヤなんだよ……ふたりとも、大人しくステージを観賞する気持ちとかないだろ?」


と、ジト目でツッコミを入れてくる。

 そんな彼の言葉に、僕とヒサシが、ハハハ……と苦笑していると、


「キミたちには、インド映画の『RRR』の応援上映をオススメするよ。明日も仕事が早いから、もう落ちるね」


と言って、ユタカは、グループ通話から退室した。


 友人の言動に、僕とイベント好きの友人は、画面越しでお互いに肩をすくめて微苦笑をたたえる。


「じゃあ、オレも落ちるわ。またな、コタロー」


 ヒサシの言葉に、軽くうなずき、「あぁ、また……」と返答し、スマホの画面が切り替わるのを確認した。

 

 【本日の試合結果】

 

 横浜 対 阪神 5回戦  横浜 2ー1 阪神

 

 先発・才木が7回2失点と好投するも、打線が援護できず、レギュラーシーズンの横浜スタジアムでは、これで10連敗。

 開幕4連勝と絶好のスタートを切ったチームも、4月半ばの時点では、勝ったり負けたりを繰り返す、一進一退の成績だった。

 それにしても、これまで、『第二の本拠地』と言えるほど得意にしていた横浜スタジアムハマスタで、2022年のシーズン以降、急に勝てなくなってしまったのは、なぜだろう?


 ◎4月16日終了時点の阪神タイガースの成績


 勝敗:5勝3敗 1引き分け 貯金2

 順位:2位 (首位と0.5ゲーム差)


 注釈)


 注1:関西の大学生は一年生のことをこう呼ぶ。

 注2:もちろん、渦中の芸能事務所の新社長が所属していた往年の男性アイドルグループ……ではない。80年代後半に監督を務めた村山実が、チームの若返りを図って抜擢した大野・和田・中野の三選手をこの名称でアピールした。タイガースの暗黒時代を知る世代にしか通用しないネタ。

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