仮面の勇者〜中身はただの不細工です〜
わさび醤油
旅立ち前の最後の依頼
応えよう、その願い
きっかけとなった悲劇の幕開けは、中学二年になってすぐのこと。
彼が落ちた善意で消しゴムを拾った際、拾われた側の少女が呟いた侮蔑の一言が火種だった。
『最悪。不細工に消しゴム触られたんだど』
少年少女の多感な時期。衝動から人を貶し、直情的に自分の感情を吐き出すお年頃。
だから最初は取るに足らない、言った側はすっきりし、言われた側が耳にすれば傷つく程度の陰口でしかなかった。
けれど陰口は悪口へ。悪口は罵倒へ。そして罵倒は暴力と無視にまで。
規模は次第に大きくなり、夏を迎える前には歯止めが効かないいじめにまで発展してしまったのだ。
『こんな世界から抜け出したい』
それが当時、彼がよく一人のときに発してしまう、後ろ向きな口癖だった。
言葉の最中に彼が思い浮かべるのは、当時流行りだした異世界転生やら異世界召喚の類。ここではないどこかで剣を振るい、人々を助け笑顔を向けられる希望に満ちた
世に疎まれ自らを嘆いた彼が、そんな逃避に嵌まるのは道理であったのだろう。
部活を追い出され時間の余った彼は、元々好きだったのも相まってのめり込むように没頭した。
素人なりに絵を描き、文を綴り、動画サイトでその作品に合う曲を場面へと合わせる。
その場面を脳裏に浮かべて枕に就けば、悪夢を見ることも少なくなった。どれだけ苦しくとも、彼は恵まれている感じることが出来ていた。
だが世の中というものは実に残酷。虐げる者に都合良く、虐げられる者には追い打ちを掛けるもの。
ゆとりある狩人達は、狩られる獲物の細やかな幸せすら容易く踏みにじる。彼が机で描いていた、上手くもない下手でもない一枚の絵を奪い嘲笑った。
何という児戯。三つほど歳を重ねれば、実にくだらないと嗤える程度の茶番劇。
けれども年頃の少年の
自らではない大切なものへの罵倒と否定は、限界間近であった少年が最後の一線を越える後押しには十分過ぎるものであった。
不幸だったのは、彼の根は善性且つ凡庸なものであったこと。
どれほど憎悪と殺意を抱こうと、家族の顔が浮かんで行動に移すまでには至らず。
他に励ましてくれるほどの関係を築いたこともなく。さりとてこの怒りを何か別の手段で発散出来る程、賢く視野が広いわけでもなかったのだ。
だから夏休み前の最後の日。誕生日にあの青空の下で彼の取った
心という容れ物が弾け、屋上から自ら身を投げた彼の行動は、きっと必然だったのだろう。
我が輩は不細工である。理由はない。強いて言えば、偶然の産物である。
生まれ育った世界での十四年。そしてこの世界に来て大体六年。いずれも気心の知れた仲になれた者はおらず、一人でふらふらと旅をするだけの日々である。
今向かっているのは、冒険者の集まる半端な秩序と暴力の場。
ときに
平和に始まり平和に終わる日など滅多になく、世から外れた無法者などの蔑みも笑って酒のつまみに変える馬鹿共の集い。どの街であろう、大なり小なり大差ない荒くれ者の居場所。
そんな耳がおかしくなりそうな陰キャお断り空間の門を、今日も俺は音を立てて開いていく。
俺が敷居内に入ったからか、次第にこちらへ注目が移るのを感じてしまう。
この街に滞在して大体
依頼で出ているとき以外はほとんど毎日顔を出していたというのに、周りの奴らの注目が変わることはない。いくらこのなりが辺鄙でも、少しは慣れてくれても良いと思うのだが。
「よう
「……ギランダか。すまん、今日も遠慮する」
「つれねえなぁ!! ま、てめえはいつものことかっ!!」
肩を組もうとしてきた荒くれの男に一言だけ告げ、すり抜けるように離れて歩を進める。
ギランダはこの町を拠点としている腕の立つ冒険者。所謂地元のボスというやつだ。
別に嫌いではない。むしろこんな格好をしている自分に気さくに声を掛けてくれるので、個人的にはそこそこ好感度は高かったりする。
だが鬱陶しい。典型的な体育会系の人間でノリが合わない。昔を思い出すので一緒に飲みたいとは思えない、中々話しにくい男だ。
とはいえ罪悪感はある。毎回のように誘いを断っているので、少しばかり申し訳なくなってくる。
けれど仕方ない。生憎昼から酒を呷る趣味はない。こちらの酒は基本的に強いのだ。
「あ、ウォントさーん!」
そんなことを考えていると、前方から声を含ませて俺を呼ぶ少女の声が聞こえてくる。
彼女の名前は……そう、リンゼ。ここのギルドの受付嬢で、確かそんな感じの名前だ。
最初の戸惑い様からは考えられない好対応。よくもまあこんな奇抜な仮面を付けた男に愛想を振りまけるなと、彼女の善性を心の中で賞賛しながら前に立つ。
「お疲れ様ですウォントさん! 二日ぶりですが、今日は依頼の報告ですか?」
「……ああ。依頼主からの印と証拠の
「かしこまりました。少々お待ち下さい!」
俺の無愛想な声に戸惑うことなく笑顔で頷きながら一枚の紙と角を受け取ったリンゼは、パタパタと奥の扉へ駆け込んでいく。
それから待つこと三分程。長くなるのかなとどこか座る場所を探し始めた時、再び奥の扉からリンゼの姿が飛び出してきた。
「お待たせしましたー! では、こちらにサインを!」
「……これでいいか?」
「はい、確認しました! 報酬はいつものように
「……いや、五万ほど下ろす。リル金貨四枚、後はラー銀貨で頼む」
「かしこまりました! ……では手続きをいたしますので、少々お待ちください!」
てきぱきと、慣れた手つきで魔力ペンを動かして書類を作成していくリンゼ。
恐らく俺と大差ない、もしかすれば普通に年下かもしれない若さ。
識字率が高くないこの世界において、こうも書類を作成できる彼女の勤勉さには脱帽してしまうな。
「お待たせしましたー! ではリル金貨四枚に、ラー金貨十枚です! ご確認ください!」
差し出されたのは、六つの敷居で分かたれた天井なしの箱。その中に金貨と銀貨が数枚ずつ。
ラーとリル。金、銀、銅の計六つで区分された通貨。異世界のくせに、十万円まで硬貨になっている便利で覚えやすい単位達。
黒い手袋を付けた手で触り、ある程度確かめながら懐から出した袋へ仕舞っていく。
丁寧に数えてはいるが、別に信用していないわけではない。記録されている所持金を呼び出せる、ATMいらずの現金盤も。そしていませっせと働いている、リンゼという受付嬢も。
だからこれは形式だ。差し出されて、確かめて、受け取る。ある種の礼儀と見栄による行動でしかないのだ。
「確かに。受け取った」
「はい! それでちょっと聞きたいんですけど~? 次の依頼はどうなされるんです?」
「……そう、だな。少しばかり報酬の多い依頼にしようと思ってる。次の旅路の支度をしなきゃいけないからな」
聞かれた問いに少しばかり考えながら、隠す気もなかったのでそのまま答える。
そろそろ周期が変わる。この町の名産品である穀物が故郷の米と酷似していたために随分と長居してしまったが、いよいよこの心地好い町への寄り道も終わりにして旅立つ時期だ。
「えっ、ウォントさんこの町出ちゃうんですか!?」
「……っ、その予定だ。居心地の良さと事情故、少し長居しすぎてしまったが、そろそろ旅を続けねばな」
「そ、そんなー!」
元気でよろしいリンゼの驚きに、少しばかり耳を塞ぎたくなってしまう。
そんなに驚かなくてもいいものを。流れの冒険者が離れることなど、ギルドの受付をやっていればそれこそいくらでも経験する事例だろうに。
「……うん! ウ、ウォントさん! この後お時間あ、ありますぅ!?」
「……夜?」
「はい! よ、よろしければ一緒にご飯でもと。……いかがでしょう!?」
ごにょごにょとした小声から、次第にいつもの倍は大きな声へ。
勢いのまま言ってやりましたと、そう言わんばかりの恥ずかしげな表情でこちらを覗いてくるリンゼ。
夜、夜ね……。もしや俺に好意があるとか? ……いやないな。顔出したことないし。
大方高位の冒険者を手放したくないと言ったところだろう。昔みたいにギルド長の指示で若い女を付け、自身の管轄に強い手駒を置きたいと、おおよそそんなところだろうか。
欲深いものだ。こんな顔は愚か、肌すら碌に晒さない不審者が手元にいてもメリットなぞ少ない。この辺りの穏やかさならば、ギランダ一派がいればこの町は安泰だろうに。
俺以外であれば即座に頷くであろう、美少女からのお誘いという絶好の好機。
例え誰かの策略であろうと、これほど可愛い少女に誘われて断ることなど、それこそよほどの阿呆でなければまずあり得ないだろう。
けれど俺は普通じゃない。厨二的な意味ではなく、悪い人間不信という方面で。
だからいくら美少女のお誘いであろうと、はいそうですかと頷けるほど簡単なメンタルをしていない。
そういうのはこの五年……いや、この短い
どんなに口では綺麗事を吐けようと、所詮はその場限りのハリボテに過ぎない。
俺の場合は特にそう。どんなに親しくなったと思えたところで、この仮面の内を見せて良いことなど一つもなかった。少なくとも、二回も経験すれば充分過ぎるほどの学びがあった。
だから、目の前の女性もきっとそうに決まっている。そうとしか思えない。
不細工よりもイケメンに。ただまともに生きようとする人より、リスクのある野蛮人に惹かれるように。
今だってそう。俺の顔が分からないからまともな対応をしてもらえているだけ。例えこの夜の誘いの果てにそういう機会が巡ってこようとも、仮面を外せばきっと幻滅されるだろう。
「あ、あのっ、受付のお姉さん!!」
そういうわけで、どうやって出来るだけ傷つけずに断ろうかと。
不安がる少女の前で普段使わない脳みそを回していた、ちょうどそのときだった。
思考を遮ったのは、鈴のように響く少女らしい声。
その方向を振り向けば、そこにいたのは案の定少女。いくつかは知らないが、大体中学生くらいかなと思える背丈、少し窶れた金髪美少女であった。
「どうされましたか?」
「い、依頼のお願いをしたいんです。お願いしますっ!!」
「い、依頼ですか? ──はい、お伺いします!」
息を乱しながら、それでも言葉にされる悲痛な少女の叫び。
リンゼは一瞬だけ戸惑いを見せたものの、直ぐさま受付嬢としての顔に戻り少女へと寄り添う。
……流石だな。優先すべきことをわかっている。当たり前のようで、これが出来るやつは意外と少ないからな。
リンゼの勤勉さに改めて感嘆しながら、これ幸いと思ってこの場を離れようとする。
悪いが食事は受けられない。その言葉は俺ではなく、他の冒険者にでも向けてやって欲しい。
真っ正面から言ってやれない自分の弱さを恥ながら、それでもギルドから去ろうとした。
しかし阻まれてしまう。他でもない金髪の少女が、まるで逃がさないとばかりに俺の外套をしっかりと掴んで離そうとしなかった。
「お願いします!! どうかあの化け物を、
瞳から涙を溢れさせながら、強く強く力を込めてくる少女。
その名を告げられた瞬間、周りの冒険者はざわめく。リンゼも口を押さえ、驚愕を露わにする。
この町で挑める者などいないだろう。サイズによっては、グランザ一派でも勝ち目は薄い。
成体であれば最早災害。あの巨大な蛇を倒すならば、王都の騎士団か近隣の冒険者へ招集を救援を頼むのみ。──それこそ、俺のような冒険者がたまたまその場に居合わせるか。
「助けてッ! 誰か、助けてよ……」
誰も応える者はいない。当然だ。誰だって、他人よりも自分の命が優先なのだから。
身なりは貧相。恐らくこの依頼を熟したとして、碌な報酬は貰えない。名誉欲しさの馬鹿以外が、こんなところで命を掛ける理由にはならないだろう。
──嗚呼、でも。助けを求めている。この
こんな目をした人間はごまんといる。元の世界にも、今の世界にだって数えられないくらいいる。
その多くは手を差し出されることはなく、どうにもならないと足掻くのすら止めてしまう。かつての俺と同じで、助かろうと考えることすら諦めてしまう者達ばかりだ。
けれどもこの少女は違う。あの頃どうしようもなかった、声の上げ方を知らなかった俺とは違う。
今この瞬間も助けを求めてきた。喉も瞳も枯らしながら、助けて欲しいと願ったのだ。
ならば助けよう。いや、助けなければ。
誰も動けないなら俺が動く。誰も戦えないなら代わりに剣を取る。それこそが俺の役目。
例え醜悪な面を持つ、
ウォントなら、
勇者として喚ばれ、欠陥品と捨てられながら、それでも生きろと助けられた
かつて空想で憧れた、人を笑顔で満たした
誰かが付けた、
「……ああ。その依頼、俺が受けよう」
傲慢にも彼女へ手を差し伸べる。これがこの町で最後に行う、大仕事の幕開けだった。
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また、現在同サイトにて『高嶺の勇者を殺したい! 〜ある日ステータスを見れるようになった俺は、隣の席で異世界帰りらしい高嶺の花に脳を焼かれてしまいました〜』という作品も投稿しております。よければそちらも読んでいただけると嬉しいです。(https://kakuyomu.jp/works/16817330656558568354)
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