埋もれ木に咲く花の名は

空野 あお

第1話

 人が口にする”優しい”なんて、そんなの自分に都合がいいかどうかだ。

 そんな他者の目に振り回されるような人間を教育して量産するのが学校で、そこから外れようとしたら怒られる。

 「真島ましまくんは優しくない」、なんてそんなのお前の都合に悪かっただけだろ。なんでお前のために自分の身を削らなきゃいけないんだ。

 お前は俺にそれ相応の何かをしてくれたのか? 

 そうでもないのに押しつけの様に「人を思いやりましょう」とか「人のためになりましょう」とか、「痛みを知れる人間になりましょう」なんて、





 ──吐き気がする。






◆ ◆ ◆ ◆



 大学の講義を終えた真島 すみれは、居残りすることなく素早く自分のバイクが置いてある場所へと向かう。

 バイトがあるわけでも用事があるわけでもない。ただ単純に、残る意味がないから。同じ学部の人達と話すことも無ければ、教授に質問しに行きたいことがあるわけでもない。サークルにだって入っていない菫は、大学に入ってから二年間、居残りというものをしたことがなかった。


「なぁ、真島!」


 ヘルメットをかぶろうとしたその時、男の声に呼び止められる。振り向けば、そこに立っていたのはパーカーを着てリュックを背負った男。


 ……誰だこいつ。


 名前を呼ばれたということは同じ学部のやつか、同じ講義に出ているやつか。だとしても、菫に覚えはない。

 無視してしまおう。どうせ関わったってろくなことはない。


「あ、ちょ、おい!」


 ヘルメットをかぶって男の横をバイクで走り去れば、慌てたような声が聞こえてきた。どうせ課題見せろとかそんなくだらない話だ。

 話しかけてくる奴は大体そう。春になるとその回数が触れるのが腹立たしい。そして無視されれば陰口をたたく。優しくない、なんて決まりきった陰口ばっか。


「うざ……」


 川の上を走る道路に出た菫は、ハンドルを握る手に力を入れた。

 これだから人間関係は鬱陶しいんだ。勝手にあっちから踏み込んできておいて、都合が悪い対応をされると途端に非難し始める。「優しくない」なんて何度言われたことか。


 知るかそんなもん。なんでそれに合わせなくちゃいけないんだ。


 怒りが頂点に達しそうになったその時、目の前に誰かが飛び出してきた。

 咄嗟にブレーキを踏みこむが、急すぎて間に合わない。ハンドルを思い切りきれば、バイクが大きく横にそれる。

 ドンッと経験したことないような衝撃の後、俺を襲ったのは浮遊感だった。

 あ、と思った頃には目の前に空が見えて、腹の奥がぞわりとする感覚。

 下の川に体が落下しているということは、意外にも冷静な頭が理解した。



 ──あぁ俺、死ぬんだ。



 思っていたよりも呆気ない感情に、菫は思わず笑みがこぼれる。


「……は?」


 足掻くことなく遠ざかっていく空を眺めていた菫は、思わず目を見開いた。

 だって、そこに人の姿が現れたのだから。

 菫よりも少し年下に見える幼い男の顔。幼いくせにバカ程整った顔の男は、細い腕を菫に向かって伸ばしている。男の目がまっすぐ菫を貫いたかと思えば、その距離が一気に近付いた。


「息、しばらく止めてください」


 ぎゅっと抱きしめられたその時、小さな声が聞こえてくる。

 判断するよりも先に、菫は本能でその男の指示に従った。その男にぎゅっと抱えられたかと思えば、背中から落ちていた体が垂直になる。

 菫よりもずっと小さな体に包まれながら息を止めていれば、ドボンという音と共に水にたたきつけられた。

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