関わらないほうがいい

 数日後、事情聴取前日の深夜。眠れずにベッドに寝そべっていたら、いきなり携帯がバイブレーションし始めた。きららからいきなり通話に呼び出されたのだ。先日から学校を欠席して京都一人旅に向かっているらしい。脈略が無さすぎる。


『いま家?』


「ああ。お前、旅行行ってるのか?」


『うん、そうだ京都行こうって感じで、今関西。お土産買っといたよ。帰ったら生八つ橋あげるね』


 椎名は軽く肩をすくめた。電話口の向こうからドヴォルザーク『新世界より』をアレンジした発車メロディが聞こえている。


 思うにきららは社会性が薄い。自分が今何を考えたり思っていたりするのか説明しない割に考えは頑固で、その上少数派について多数派を煽るのが好きときた。もっと色んな話を聞かせてくれたらいいのに。せっかくエネルギッシュな性格なのに、その長所が生かされず、むしろ敬遠されているのが勿体無いと思う。


『椎名は、もう怪我治ったんだっけ。ほんと人体の奇跡だよね、頑丈すぎる』


「安西はまだ病院だけどな」


『なるほどね。灰戸の件、後手になっちゃってすまないね。正直ここまでやるかって思った。でも、委員長のこと見直したよ! ただのお清楚キャラかと思ってたら結構タフなんだもん』


 電話口の彼女は楽しそうだ。最悪の状況だというのに、全く変わった様子のないきららを見ると何となく安心する。


「警察が出てきたぞ。今度事情聴取だってさ」


『へえ。まあ最近は締め付けも厳しくなってるし、椎名の立場的にも自白強要なんかはされることないと思うから、気負わなくていいよ』


「……りょーかい」


『ていうかその後うちに来てよ。何があったか聞きたいからさ』


 それで電話は切れた。


 正直、学校に行くのが億劫だった。勉強が嫌だと思うことはあっても、そもそも教室に入りたくないという気持ちは椎名史上初だった。椎名がいるだけで、周りの空気がどんよりと曇って重くなる。どんな目で見られているか必要以上に過敏になってしまう。


 だが自分のことよりも、きららのことが気になっていた。灰戸が入院中の今、きららはクラス内で唯一、椎名の無実を信じて絶対的な味方となってくれている。しかしこれ以上捜査を進めれば彼女にまで危険が及ぶかもしれない。彼女は止まれと言って止まる人間ではないし、大物芸能人の娘という立場から、親や妹に影響する可能性もあるだろう。それだけは絶対に避けたかった。


 当日、警察までは父親が送ってくれた。車の中ではラジオの軽快なトークが流れていて、気まずい雰囲気を緩和してくれる。息子を案じているのだろう、車の中で父は渋い顔をしていた。


「何か知ってることがあったら、正直に言うんだぞ」


 言われなくてもそのつもりだった。


 警察の刑事課では、金田と名乗る壮年の男の他に、天崎(あまさき)という優男が応対してくれた。尋問は一時間程度だったが内容はよく覚えていない……というより早く忘れてしまいたかった。閉塞的な調べ室の空間がプレッシャーで、その上同じ質問を何度も聞かれて疲れた。これで思考や記憶が乱れた結果、間違ったことを言ったら自分が犯人だと疑われそうな気もするし。


「灰戸が轢かれかけたのは、俺と関わったせいなんですかね?」


「申し訳ないが、答えがないのが応えだと思ってくれ。現在捜査中の案件だし、君は参考人だからね」


 それが壮年の刑事の答えだった。


 謝礼金として五千円くらいのお金が貰えた。二人が警察署の前まで見送ってくれたところ、出迎えにやってきたのはきららだった。彼女は金田に軽快に手を振る。


「お前……素襖きららか」


「やっほう、元気だった? まさか会えるとはねえ」


 きららと金田が立ち話を始める。 椎名と天崎はそれを呆然と見つめていた。


「君は確か、檜山高の二年生だったね。あの子と知り合いなのか?」


「そッス、同じクラスの友達で」


「……忠告しておく。素襖さんとは関わらないほうがいい」


 天崎は、端正な顔立ちを苦々し気に歪めた。しかしちょうど、それに気づいたらしい金田がぴしゃりと窘めた。


「おい! 他人の個人情報をペラペラ喋るな」


 皺の多い顔をさらに歪めている。


それから彼は声を潜めて、天崎に耳打ちする。


「素襖に何があったかは知らんが、人は誰しも、環境や条件によっては犯罪者になりうる。わからないことに口を出すべきじゃない」


「……はい。すみません」


 椎名は目をぱちくりさせる。きららが疑われているのだろうか? 自分で事件を起こし自分で推理を始める。あまりに頓狂で無意味だ。だが頓狂で無意味なことに執心するのがきららの性質でもある。


 きらら本人といえば、携帯をいじって暇そうにしていた。椎名は見送ってくれた職員達にお礼を言い、きららの元に戻る。


「話してたけど、あのおっちゃんと知り合い?」


「うん、いい人だよ。論理的な話が通じる」


 きららは悪びれもせずそう言った。論理より屁理屈に縁近い人間のくせによく言うものだと思う。


「椎名、お腹空いてるならうちでご飯食べてきな」


 そこで椎名は思い出す。先日、素襖家で連絡なしに夕飯を食べて帰ったら、母がだいぶご立腹だったのだ。しかも今日の夕食は八房がリクエストしたハンバーグ。帰らないわけにはいかない。


「いや〜俺んちは母さんがうるさいから――」


「つばきさんでしょ? ぼくが連絡しておいたから」


 ――なんでこいつ母親と連絡とってんの? 最悪だ。


 とはいえ、『探偵』たるきららにメッセージを送ったのは自分なので、今更逆らう理由もない。椎名は自然にきららのアパートに戻った。

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