犬も歩けば謎に当たる

さえ

序章

 真っ赤な絨毯とカーテンで彩られた、旧館のダイニング・ルーム。中心には木造りのダイニングテーブルが置かれ、重厚なクロスが敷かれている。その周りには身なりのいい人々が円を作って立っていた。

 その人の輪の中心には、長い黒髪にサングラス、胸の大きく開いたワンピースを纏った女性――『探偵』が立っている。


「以上がぼくの推理だ。犯人はきみだよ」


 まるでミステリ漫画のような華麗な推理劇のあと、探偵は犯人を指し示した。相手ががっくりと肩を落として、犯行動機を訥々と語り始める。刑事たちは神妙な顔をして彼に手錠をかけた。

 だが探偵はそれに見向きもせず、謎を解き終えれば自分の存在は用済みとでもいうように、踵を返して部屋を出ていった。振り返った拍子に長い黒髪がはらりと翻り、大きな胸がゆれる。探偵の隣に立っていた青年は慌ててその背中を追いかけた。


「お手柄だったな! すげーじゃん」


 青年は面長の顔に笑みを浮かべる。

 彼――椎名八房しいなやつふさは大学生活の傍ら、とある探偵の助手をつとめている。フリーの探偵という、いささか怪しい肩書きの雇用主ではあるが。

 一方彼女はからかうような笑顔を返す。


「ワンちゃんこそ、手伝ってくれてありがとうね。えらいえらい。これはご褒美だよ」

「え? ……痛ッ!」


 言われた瞬間、つま先に鈍い痛みが走った。思い切り足を踏んづけられて悶絶する。探偵はくすくすと笑いながら先を歩いて行った。


「冗談キツイっつーの!」


 困ったような笑みを浮かべて、彼女と共に歩き出す。彼の体格の良さもあって、まるで律儀に飼い主の後を追いかける大型犬のようだった。



 Take it easy.気楽にいこうよ

 椎名の脳裏に思い浮かぶのは、二人の出会いである高校時代の春だ。

 使い古して表紙がボロボロになった単語帳の中身が、椎名の脳にちゃんと移植しきれているかどうかは、今でもちょっと疑わしい。SubordinateもFeasibleもMediocreも、単語テストさえ終われば綺麗さっぱり忘れてしまう。試験さえ終われば忘れ去られる英単語みたいなものに意味があるなんて到底思えなかった。

 でも彼女は、それをくだらないと一蹴した。蹴るだけじゃない、全身を強く打って、頬を張り倒して胸倉をつかんでゆすって、椎名に消えない痕を残し、視界から飛び出していった。

 Subordinate、二次的、実行可能、平凡、そんなのどうでもいいじゃん。命を懸けて向き合い楽しみつくしたものだけに価値があって、そうでないものは見向きする必要もないのに。だから遊ぼうよ、椎名。自分の主張を延々とまくしたてることが暴力なら、彼女はとっくに傷害罪でしょっぴかれている。


 物覚えに関してはまったく不得手な椎名でも、目を閉じればいつでも彼女を思い出す。教室の机に突っ伏す眠り姫をたたき起こし、出来合いの焼きそばパンを買って、屋上へ続く人気のない蒸した階段で食べるんだ。話題は今日の小テスト、ニュースに出てたイケメンタレントのこと、パンのしけぐあい、最近の事件への憶測、なんだっていい。どんな話の種だって満開のブーケに化ける。それが二人の青春だった。

 ドアから漏れるまばゆい光のきらめきに包まれ、穏やかに目を細めて探偵はわらう。汗で張り付いた黒髪。ほこりをかぶった予備机。今でも疼く、消えない傷痕。


 ――これは、破天荒に聡明で最悪な美少女探偵と、平凡でお人好しな助手犬の、邂逅と青春の物語だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る