第4話 いざ、滝の底へ
高揚感のおかげか、スッキリとした目覚めの朝だった。
「それでセレン、こっから出るにしたっていったいどうすればいいんだ? 俺が滝の中に突っ込んだらそのまま死ぬぞ?」
朝食に残りの牛をほとんど一人で食べきり、満足そうにセレンは寝転がっている。
「簡単だよ、お前もアタシと同じ魔法を使えばいいんだ、適正も同じだし、血は違うけど余裕だろ。あ、アタシの血は青だかんな」
相変わらずセレンの言う『血』についてはよくわからない。赤、青、黄、緑、白、黒。この六種類があるところまではなんとか理解できた。
魔法について知らないことは多い、けれど、屋敷でも読書が娯楽のほぼ十割を占めていた。知識欲がうずいて仕方ない。
「まぁ血については上の世界でまた調べるよ。とにかく、俺も魔法を使えないとダメってことだよね?」
「せっかくアタシがあんなに丁寧に説明してやってんのにまだ分かんねぇのかよ、エストはバカだなぁ~」
そういってケラケラとセレンは笑う。何もかも実力はセレンが上なので、下手に逆らえないのが悔しい。一度怒らせたとき、一日ごはん抜きにされたのはつらかった。
何はともあれ、今頼れるのはセレンしかいない。俺はペコリと頭を下げる。
「じゃあセレン、改めてちゃんと魔法を教えてください!」
「エスト! アタシのことはシショーと呼べと言っただろう!」
誰だよセレンに師匠なんて単語を教えたのは、おおかた修行バカの武人さんかな? というかそもそも初耳です、師匠。
「分かりました師匠、ぜひとも私に魔法の奥義を伝授してください」
「うむ、ではまず滝の前に立つがよい」
露骨に師匠呼びに嬉しそうにしながら、セレンは腕を組んでいる。言われたとおりに滝の前に立つ、何度立ってもここからの眺めは足が竦む。
「立ちましたよ師匠、それで何を?」
首だけで振り向くと、セレンがこちらに向かって両手を広げ、飛び込んでくるのが見えた。
「師しょ――セレン!?」
背中に柔らかい感触が当たり、ドキッとして名前を呼ぶが、向こうはお構いなしに抱きしめてくる。そして、洞窟の淵に立っていたのだ、当然滝へと一緒に落ちる。
「うわぁぁぁぁぁ!? …………あれ?」
時間にして数秒だろうか? 空気の混じった滝の中が終わり、どぷんっという着水の感覚がして全身を水に包まれる。
数秒とはいえかなりの高さから落ちたはずなのに、不思議と叩きつけられる衝撃はなかった。
というか水!? 溺れッ――!?
「なにやってんだエスト? 面白いダンスだな」
セレンは俺の真似をしながら笑っている。本当に笑いの沸点が低い。
それどころじゃないと、俺は口を塞ぎ、それを必死に指さす。
「あぁ、呼吸か、すっかり忘れてたわ。安心しろよ、出来るからやってみ」
何を馬鹿なことを……と思ったが、もう信じるしかない。こうしている間にも水面がどんどん遠ざかっている。今からじゃ到底間に合わない。
恐る恐る手を離し、口を開けると、当然のように大量の水が流れ込んできた。
「ごぼっ、もがも!」
息なんてできないじゃないか! そう言おうとするが、当然何も言葉にならない。
「だから焦んなって、落ち着け。アタシを信じろ」
俺は最初突き落とされたときのことを思い出した。そうだ、あのとき俺は死んだんだ。もう恐れることはない、この命はセレンがくれたものだ。
息をするように吸い込む。当然水が入ってくるが、体感で分かる、今水が入っているのは胃じゃない、肺だ。
静かに息を吐く。口から水が出る感覚はない。しかも、不思議と苦しくない。
驚きつつも呼吸を始めた俺を見て、セレンはウリウリと頭を撫でた。
「怖かっただろ、よく頑張ったな、エスト」
「説明してくれたらここまで怖くなかったんだけどねぇ?」
セレンはキョトンとしている。その顔には『だから説明したじゃねーか』と書かれているが、俺の記憶には存在しない。
「ここは人間たちが滝つぼって呼んでるところ――『デル=ボラ』の滝、その最深部『デル=アグマ』神の水汲み場だよ」
周囲を見回すと、確かに不思議な空間だった。どこまでも続くように見える水中のような奥行きに、見上げれば水面が見える。足元の水は透明なのに、強く踏み込むと弾力があり、足を押し返してくる。
「ここはちょっと特殊でさ……これ全部水だと思うだろ? 違うんだ、これ全部が水の魔力の塊なんだ」
「水の魔力の……塊?」
俺は試しにその場で手を動かしてみる。確かに水のように揺らぐのに、水の抵抗がない。
「そ、だからみんな死んじゃうのさ。水の魔力以外のやつは一口飲んだら体内で魔力がケンカして死ぬ。水の魔力のやつは身体の魔力が全部流れ出て死ぬ」
そう語るセレンは少し悲しそうだった。今まで彼女のもとを訪れた冒険者は、みんな死ぬのを分かっていて飛び込んだのか……。
「アタシがついていけばこれまでのやつも死ななかったんだ。けど、アタシが一度に守れるのは一人だけ……」
死ぬと分かればそこで諦めるのか? 答えはノーだろう。冒険者はみんな、滝に飛び込んだ時点で死ぬ覚悟をしていたはずだ。
そして、単身滝に挑むような冒険者は……きっとセレンの提案を断ったのだろう。
「……それで師匠、修行の続きは? 俺は何をしたらいいの?」
重い空気を払うように質問する。
セレンの顔色はぱっと明るくなったが、返事は予想外のものだった。
「ん? あぁ、こっから先はアタシは何もしねぇよ。そのうち声が聞こえるから、仲良くしな、それだけだ」
それだけ言い残すと、セレンはすいすいと上へと昇って行った。
「じゃあな~、たまには様子見に来るからよ!」
まさかの置いてけぼりに、いつものように謎のアドバイス、これ本当に修行といっていいのだろうか?
「仲良くしろって言われても……誰もいないよな?」
周囲には人影どころか何もない。生き物もいないし、いくつか武器や装備のようなものが転がっているだけだ。
とりあえずその場に座り込み、俺はセレンの言う『声』を待った。
◇◇◇
……いつの間にか眠っていたらしい。
ぺちぺちと頬を叩かれる。なんだセレン、思ったより早く帰ってきたんだな。けれど、水の床が思ったより寝心地がいい、もう少し、もう少しだけ……。
「起きてるよ師匠……あと五分……」
ぺちぺち、ぺちぺち、ぺちぺち……、ぺちぺちぺちぺちぺちぺち――。
「だぁぁぁぁ! セレン! 起きてる! 起きてるって!」
あまりのしつこさに飛び起きると、目の前にいたのはセレンではなかった。
幼い、だいたい十歳くらいの子供だろうか? 瞳は黄色で、真っ黒の髪、シンプルな青いワンピースを着ていて、なぜか不機嫌そうにこちらを見ていた。
「神である私を他の女と間違えるなんて……いい度胸してるじゃない、ニンゲン」
自らを神と名乗る少女は俺を見下ろし、口の端からチロリと長い舌を見せた。
この場所にいるだけで、人じゃないのは疑う余地もないが。少女の放つ威圧感は神と言われても納得できる。
というか、もしかしてセレンが言ってたのはこの子だろうか? だとしたら仲良くなるどころか、いきなりめちゃくちゃ怒らせたかもしれない。
俺は即座に神様に向き直り、水の床に頭をつけた。
「す、すみません寝ぼけていて! よく見ればセレンとは大違いです。そのキリッとした表情! 美しい意志の宿った瞳! 何より艶やかで流れるような髪!」
だいぶ前に読んだ恋愛小説の受け売りだが……さすがにクサかったか?
おそるおそる視線を上げると、神様はその髪をもじもじと弄りながら、顔を赤くしてこっちを見ていた。
「……ほ、本当?」
あ、これチョロいやつだ。すぐにそう確信する。俺の脳内では、おだてたときのセレンが同じように照れていた。
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